5話 美術部
美術部は、ほとんどが幽霊部員だった。
部活の日(授業時間に組み込まれている)でなければ、人は集まらない。
私が入ったのは1年の半ばというころだったので、最初の部長はさっさと引退して次の部長へと引き継がれた。
新しい部長は人が来ない事を嘆きながらも、毎日、美術室を開けていた。
別棟の美術室に来るのは、部長とこたみちゃんと私だけという日が続く。
時々、美術展などに出品する事になると作品を作りに部員が集まる事もあったが、出品は強制ではなかった。
別棟の3階が美術室、2階には音楽室がある。
第一音楽室は合唱部が使い、第二音楽室は吹奏楽部が使っていた。
吹奏楽部は運動もしていたので、別棟の階段は階段を走っている吹奏楽部員で埋まっている日もある。
楽器がずらっと階段に並べられている時もあった。
吹奏楽部の存在感は圧巻だった。
合唱部はと言えば、吹奏楽部の音に紛れて、やっているのかやっていないのか音楽室を覗かなければ分からまなった。
合唱部・吹奏楽部・美術部以外の人間が、放課後にわざわざ別棟に来ることはほとんどない。
毎日、雑談をしに美術室に行く。
部長は絵を描きながら、私たちの相手をする。
私はと言えば、スケッチブックやノートに落書きをしながら、雑談に加わる。ある時には、昔話を元にお話とイラストを描いた。
部長は変わった人だった。
見た目は細身の男性。話し出すと、女言葉が混じり、小指が立てられ、腰がくねくねと動く。
「もっとちゃんと、男らしくしなさい」と先生が、注意なのか突っ込みなのか分からない言葉をかけていた。
男らしさとは程遠い部長は、なんだか安全に思えた。
最初は違和感があった部長の言葉や態度も、しばらくすると慣れた。
こたみちゃんも最初は突っ込んでいたけれども、やがてそれはやめた。
部長から帰ってくる言葉は「しょうがないでしょ。これが私なんだから」だった。
2年の夏。美術部で写生に出かける事になった。
メンバーは部長と副部長。こたみちゃんと私に、あと数名。5・6人程度が駅で集まって、自転車で写生場所へ。
最初は滝に行き、涼みながら写生をした。夏でも、木陰が多く滝の傍は心地よかった。
滝での写生が終わると、ダムということだった。遠かったので、途中で休憩しながら進む。
ダムにつくとお昼だった。それぞれが持って来たお弁当を食べてから写生に入った。
絵について、見せあうこともなく、それぞれが好きに描く。
描き終えると、再び元来た道を自転車で戻った。家が近い人たちは途中で離脱して、駅に戻る頃には減っていた。
私は道が分からなくて、駅まで戻った。
この写生が唯一の美術部らしい活動だった気がする。
夏休みが終わると、部長も引退して、美術部には来なくなった。
新しい部長は、幽霊部員の一人がなることになった。どうやって決まったのかは覚えていない。
部長が変わると、新しい部長が発言権を持って他の部員にはっぱをかけるようになった。
2年生の間はこたみちゃんも私も、美術室に行った。
時々美術部に来る、元部長との雑談を楽しんでいた。
元部長が卒業して、3年生になったころ、美術部の様子は様変わりした。
部活に顔を出す人が増えたが、私とこたみちゃんはその中に入れなかった。
さらには、下級生も入部してきて人が増えた。
3年の夏休みが終わると3年生は受験に入るので、部活からは離れていく。
新校舎での部活動は、時々、美術室を見に行くと下級生がいた……という程度しか、記憶にない。
こたみちゃんは「下級生たちが怖い」と言っていた。
私は下級生が何をやっているかは全く知らなかったし、部活がどうなっているのかも知らなかった。
ただ、時々みかける美術室の下級生たちは、こちらを知らない人として見ていた気がする。
こちらも下級生の顔を覚えていないのだから、向こうも同じだったのかもしれない。
その視線がこたみちゃんには、怖かったのかもしれないと思う。
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