「これくらい私にも書ける」文章なんてあってたまるか
「エッセイ」のはなし。
有料noteですが、無料で読めます。何言ってんのかわかんないね。
言葉には価値があるんだよ、って意味の有料noteです。最後まで読めます読んでください。笑
「この程度のエッセイ誰だって書ける」という類の書き込みを見た。
言ってる人も言われてる人も、面識はないけれど、悲しくなった。
エッセイって、そういうものじゃない。
つれづれ書き連ねるおもしろおかしい文章だったり、ありのままを綴った泥くさい文章だったり、時には共感、時には反感を集める文章だったりするけれど、
だからこそ、エッセイは、人間らしくて面白い。
文字に書き手の想いがにじみ出ていて、自分の知らない表現に出会えたりする。この人の書く文章好きだなって人に会ってみると、だいたい人柄も好きだったりする。
何の制限もなく、文字を書くのは簡単じゃない。そこには一言一句、書き手の思考や嗜好、趣向が縫い付けられていると思う。
だから、誰にとっても
「これくらい私にも書ける」文章なんてどこにもない。
私の文章は誰かを動かすし、あなたの文章も誰かを動かす。
本屋さんに並ぶエッセイと、なんら遜色ない。
人の名前がその人だけの名前であるのと同じように、
人の言葉は、その人だけの言葉だ。
エッセイってなかなか読まれなかったりする。だから、本屋さんに並ぶエッセイは、有名人のものばかりだ。それどころか、有名人のものですら、知られていないこともある。
かくいう私も、先日さくらももこさんが亡くなった際、彼女が素敵なエッセイの書き手だとはじめて知った。本屋さんをまわっても、売り切ればかりだった。人の人生が終わってから、その人生のかけらを読みたがる人は、少なくない。視点を変えれば、エッセイは、死んでも残る人生だ。
そんななかnoteを眺めていると、数えきれないほどのエッセイが投稿されている。みんなエッセイを書きたいんだなって思う。
せっかく、在庫管理も値段交渉もいらなくて、エッセイ好きな人だらけのプラットフォームなのだから、もっとみんな書いたり、売ったり、すればいい。
書いたり売ったりはさておき、もっともっと読めばいい。みんな書いてばっかりだ。
そこには知らなかった人生がたくさんあって、付け焼き刃のような人生攻略本にすがるより、よっぽど役に立つ。
ハウツー本のような"誰かがうまくいった方法"も面白いし、私もたくさん読むけれど
やっぱり"誰かの生き様"を読んで、出会うはずのなかった人生に出会うのが好きだ。読んでいると、私も書こうと思えるし、書ける人生にしようと思える。
価値のないものが価値を持つ時代。
「どこかの誰かの人生になんて興味ないよ」なんて世の中から、
「どこの誰だか知らないけれど面白いから応援しよう」って世の中になればいいな。
今日もnoteの #エッセイ タグには素敵な言葉が増えていく。
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