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人生初めてのひとり旅の記憶

今の年齢になってやっとひとり旅の楽しさやその価値について分かってきた気がするが、初めてひとり旅をした時は何も考えずに旅に出た。
何も考えずにというよりそもそもひとり旅をする予定もなかった。
二人で旅をするつもりで家を出たにもかかわらず、結果的にひとり旅になっただけだ。
しかしその初めてのひとり旅が、私の人生を豊かにしてくれたのには間違いないところだ。


旅は人生を心豊かにしてくれる

人生初めてのひとり旅というタイトルにしたが、そもそも旅自体が初めての経験だった。
それまで県外に出たといえば祖父と小豆島に行ったことしか記憶にない。
当時の私にとっては正に非日常の冒険だった。
ちょうど半世紀前に経験したひとり旅物語だ。

ひとり旅のきっかけは裏切り

17歳の夏休み前だっただろうか。
通学のため田舎の高等学校から最寄り駅に向かって歩いていた。
その途中で後ろから来た後輩に声をかけられた。

同じ汽車に乗って通学している同じ地域に住んでいる後輩だ。
顔は知っているが仲がいいわけでも友人というわけでもない。
その後輩が世間話をした後こう言った。
「先輩、高校最後の夏休みですね。思い出作りに僕とキャンプにでも行きませんか」

私にとっては耳障りのいい言葉だったから、「いいなあ」とすぐに返事を返した。
「じゃあ日程だけ決めましょう」といって集合場所と日時だけ約束をした。
その時に違和感を感じなかったわけではない。
いくら何でも相談したことがアバウト過ぎたからだ。

当日待ち合わせをした駅に時間通り行った。
後輩は30分待っても来なかった。
私は公衆電話の電話帳で彼の家の電話番号を探した。
手掛かりは苗字だけだった。

3軒くらい電話をかけてやっとその家に繋がった。
同じ学校の友達だと言って後輩を呼んでもらうと本人が電話口に出てきた。
「すみません、風邪をひいたのか熱が出て行けそうにもありません」という情けなさそうな言い訳だった。

後で考えると最初から行く気はなかったとしか思えなかった。
ただ私をからかっただけの話だ。
その理由が本当ならどんなことをしても私に連絡してきたはずだ。

17歳のひとり冒険旅

私は3日間友達とキャンプに行くと言って家を出てきたから帰るわけにはいかなかった。
いや、それをいいことに念願の冒険旅に出たということだ。
兵庫県北部の山陰本線の駅から鳥取方面行の汽車に乗った。

夏ということもあり荷物は薄いビニール製のナップサック一つだった。
鳥取駅で一度降りて昼食のため食堂に入った。
メニューを見て一番安い天ぷら定食を注文したが、当時は店の門構えを見てどの程度の料金体系の店か判断ができなかった。

想像以上に高かったがメニューまで見てから出る勇気もなかった。

鳥取駅に戻ると次の汽車まで時間があったので次の駅まで歩くことにした。
途中で道を間違ったのか気が付くと遠くに走る汽車が見え、結局その汽車にも乗れずに時間が過ぎた。

そのおかげもあり島根県に入ったころ車窓から美しい夕日を見ることができた。
行く当てもなかったが、山陰方面で当時唯一名前を知っていた出雲大社へ行くことにした。

出雲市で最終電車に乗り換え出雲大社駅に着いたのは午後10時ごろだったはずだ。
なぜここまで来たかというと出雲大社駅の待合室で寝ようと考えたからだ。
ところがこの駅舎は、夜閉めると言われ追い出されてしまった。

仕方ないので出雲大社の方へ歩いた。
勢溜の鳥居から中に入ると松の参道がある。
出雲大社には社会人になって何度か行ったがその度に思い出すのが、その松の参道にあったベンチで寝たことだった。

今なら確実に補導されていることだろう。
当時は夏とはいえ夜の気温は低かったように思う。
薄暗い外灯の光が何とか届く場所にあったベンチに座り、出雲駅前で買ったパンを牛乳で流し込んだ記憶が残っている。

容赦ないアクシデントと忘れられない一期一会

何とか腹が満たされたので薄いビニールヤッケを羽織ってそのまま横になり眠った。
深夜2時半ごろだったと思うが寒さで目が覚めたが、一度目覚めると寒くて再び寝ることができなかった。

座っているだけでも寒いので歩いて出雲市駅まで出ることにした。
雲の多い夜だった気がする。

雲から月が顔を出す時だけ明るくなるが、それ以外は星も見えない夜だった。
犬に吠えられながらアバウトな方向に夜道を歩いた。
駅で手に入れた地図と住宅の表札に書いてある住所だけが頼りだった。

今でもこれこそが冒険旅だと思っているほどだ。
空がしらけ始めたころに出雲市駅に着いたが、おそらく大分遠回りをしたに違いなかった。
腹が減っていたがコンビニなどない時代だ。

家に帰るまでにはまだ二日残っていたので、出雲市駅から始発で浜田方面行の汽車に乗ろうと思っていた。
浜田駅までの料金を調べ切符を買うためポケットに手を入れた時だ。
何枚かの千円札があるはずのポケットに何もないことが判明した。

当時は財布など持っていなかった。
一瞬青ざめたが、違うところに入れているかもしれないと全てのポケットを探った。
しかしどこにも入ってはいなかった。
出雲大社のベンチで落としたとしか思い当たらなかったが、また出雲大社まで引き返す元気などない。

念のためとナップサックの底に入れていたお金はあったが、家まで帰ることができる金額ではなかった。

浜田行は諦め鳥取方面に向かって歩くことにしたのは言うまでもない。
少しでも歩いて汽車賃を減らす以外なかった。
宍道湖のほとりをひたすら歩きどこかの駅で休憩したが駅名までは覚えていない。

その駅の待合室のベンチに座っていると知らない老婦人が隣に座って話しかけてきた。
「どこへ行くの」から始まって「家はどこ」「何歳」と言ったまるで取り調べに近い質問だったのを覚えている。

私は事情を概ね話した。
そして後から来た孫娘と一緒に駅前の食堂に連れていかれた。
そのご婦人の威圧感には到底逆らうことは出来なかったことを覚えている。

しかしそこで食べたどんぶりは忘れることができないほど旨かった。
結局最後まで私の家出容疑は晴れなかったようだ。
私が鳥取行きの汽車に乗って本当に家に帰るのかを、松江の大学に帰る孫娘に見届けさせたのがその証だ。

そのご婦人の名前を聞かなかったのが後の後悔に繋がった。

家に帰るまでに出合った心優しい人

結局鳥取駅からまた次の駅まで歩いた。
次の無人駅から汽車に乗って浜坂駅に着いた時には夜遅くなりそれ以上汽車で進むことができなかった。

仕方なく浜坂駅から国道9号線に向かって歩いていたが、その途中で後ろから来たタクシーが私の横で止まり「高校生だろう後ろに乗れ」と言う運転手に「お金がないので」と答えた。
すると「この先で検問しているから補導されるぞ」と言われた。

こんな深夜に家もない夜道を歩いているのだからその運転手の言う通りだと思った。
タクシーの後部席に座ると料金メーターを回すこともなく発車した。
その運転手にも質問攻めにあった。
「それで今からどうするつもりだ」と聞かれ「9号線でヒッチハイクします」と答えた。
「それは正解だ」という運転手は、9号線の路肩の広くなったヒッチハイクしやすいところで何も言わずに降ろしてくれた。

行燈を消して立ち去るタクシーに私は深くお辞儀をした。

もう深夜と言ってもいい時間帯だったと思うが、すぐに大型トラックが止まってくれた。
トラックの運転手は「どこまで行く」と聞いただけであとは何も話さなかった。
記憶の中では高倉健のような無口な人となっているが、真相はおそらく寝不足と疲労で寝てしまっていたに違いない。

無事家に着いたのは明け方前だったと思うが、その記憶は定かではない。

真実は分からないが後輩の裏切りから始まった17歳のひとり旅は終わった。
ちょうど半世紀前の思い出なのに、いまだに覚えているのはよほどインパクトの強い出来事だったからに違いない。

お金を失くした時の不安や疲労など決していい旅とは言えないが、その後の一期一会のお蔭でいい経験として私の潜在意識にもなっているはずだ。

今もひとり旅をしたいと思うのはこの時の記憶が消えないからだ。

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