最後の人生をどう生きる?
最後の人生とは定年退職後の人生だ。
第二の人生と言われることもあるが私は最後の人生だと考えている。
少しNETをググれば教科書のようなページはすぐに見つけることができる。
それらはなるほどと思える文面ばかりで、分かったような気にさせられる。
しかし実際には正解はない。
迷いながら最後の人生の道を進むしかないと私は思っている。
将来が見えないのが人生というものだ!
「人生は先が読めないから面白い」と言う人もいる。
2019年に「老後2,000万円問題」というワードが世間を賑わしたが、そのような報道はただのデータであって誰にでも当てはまるものではない。
お金が不足していても幸せに暮らしている人もいれば、大金を持っていても不安を抱えて生きている人もいる。
最後の人生はお金で幸せが手に入る訳でも、お金さえあれば不安が消えるわけでもないことだけは確かだ。
サラリーマンで培った人格が老後の人生向きではないと分かった時
定年退職で世間の煩わしさから離れ、誰からも束縛を受けずに自由に暮らせるのがサラリーマンの特権だ。
子育てや親への責任も終えたなら後は自分だけの人生になるはずだ。
しかし「そうは問屋が卸さない」というのが人生だ。
定年退職という特権を受けることができるのも私のようにサラリーマンで生きた人だ。
組織の中で矛盾に立ち向かい、人間関係に気を使いながら長年組織の中で形成されたいわゆる人格者だ。
その習慣や感情は定年退職したからといってすぐに変えられるものではない。
退職して数カ月はその解放感に酔いしれることもできるだろうが、その間にその後の道を探さなければすぐに谷底へ落とされたような感情に苛まれる。
世間からの疎外感や、生産性のない日々を生きる罪悪感が脳を蝕むと言ってもいいだろう。
長年営業職で生きた私が特別だったのではなく、おそらくサラリーマンなら概ね同じような感情に陥ることだろう。
定年退職したら趣味の園芸と、冬は好きな習字でもやりながら心豊かな人生にしようなどと想像していても、そんな悠々自適な生活は夢でしかない。
私の場合は、そのような生活で心豊かに暮らせる人格形成が元々なされていなかったようだ。
「暇は老後の敵」
ある日気付いたのは、暇な時間が脳を蝕むということだった。
そのことに気づいてからは何度も「暇は老後の敵」と戒めてきた。
暇な時間が増えれば増えるほど、ネガティブな思考で脳が支配されることに気付いたのだ。
おそらく長年のサラリーマン人生によって、そのような脳に人格形成されてきたのだろう。
そのことに気づいてからは心を前に動かす方法を探ってきた。
数日何もせずに過ごしていると、やる気のなさが蔓延して悪化の一途をたどることになる。
そうなれば自分の意志だけで脳を何かに始動させることも難しくなる。
手遅れになる前に何らかの手立てを講じることが賢明だと考えてやったのが、家の本気掃除やひとり旅の計画だ。
「どうしたらもっと快適に暮らせるような家になるだろう」と思いながら掃除や片づけをしていると自然に脳は前を向いて動き出した。
ひとり旅は計画から実行まで全てが前向きだ。
ネガティブな脳のままでは旅の計画すら立てることができない。
このNoteも脳をネガティブにさせないために大いに貢献してくれている。
暇つぶしと言われても反論はできないが、文章を書くことが想像力を高めてくれるからだ。
私が想像した最後の人生
最後の人生で、私が多くのことに挑戦したのは暇をなくすためと言ってもいいほどだ。
暇を作らないことが、サラリーマン時代のような価値のある日常を保つことができる唯一の方法に思えた。
従って何かをやるときは、中途半端にやるよりも一生懸命に取り組むくらいがちょうどよかった。
全身全霊とまで言えば少し大げさに聞こえるが、今ではそのくらいのめり込んでもいいくらいだと考えている。
どうせ暇を埋めるのなら魂を込める方が楽しめると思うからだ。
そう考えるなら好きなこと以外で時間を埋めようとは思わないはずだ。
三日坊主の悪癖に向き合いながら暇を埋めるためにやりたいことを探した。
そのため私が時間を掛けてやることの選択基準は、能力のあるなしよりも好きか嫌いかだ。
もちろんこれが正解だとは思ってはいない。
生産性がないと分かっていることに価値を求めるには、サラリーマン的人格は邪魔でしかない。
何となくそのことに気づいたから、道標のない暗く細い野道を歩けるようになったのだ。
サラリーマンの常識から今やっと抜け出たに過ぎない。
もしこのまま命が尽きたとしても、自分で選んだ道なら納得できるはずだ。
もちろんそんな人生だからといって楽ではないが、何となくフェードアウトする人生にもしたくはない。
楽しい最後の人生の光は細い道の向こうに薄っすらと見え隠れしている。
やっとサラリーマンの鎧を脱ぐことができたと感じている田舎オヤジの戯言だ。
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