見出し画像

サラリーマンの老後の夢と現実

私がサラリーマンだったころの夢は世界中を旅することだった。
それはあくまで夢だ。
もちろんサラリーマンをしながら叶うはずもないから夢と言えたのだ。
そうかといって現実離れした夢だとも思っていなかった。
可能性ゼロの実現できない夢なら見ない方がいい。

自由に世界中を旅する夢は、如何にも組織に縛られて人生を送った者が描く夢だった。


現実に叶わないから夢を見る

飛行機に乗って旅行をすることは全く叶わないといったことでもなかった。
現に20代のころ仕事の延長とはいえ海外旅行もしている。
私が夢に見たのは海外旅行ではなく自由に行く海外の旅だ。
誰かと決められた旅行に参加するのではなく自分で考えた旅のことだ。

年代とともに変化する環境変化

30代〜40代のころは北欧やバルト三国にも行ってみたいと思っていた。
しかし宝くじでも当たらない限り叶えられることはない夢だとも感じていた。
自由に使えるお金も休みもなかったからだ。

海外旅行と言っても2泊3日が関の山だったから、精々韓国くらいが行ける範囲でもあった。
だから家族旅行も含め韓国にはよく行っていた。

50代は仕事の責任も重くなり、家では同居している母が認知症になるなど旅行どころではなくなった。
しかしこの年代になると定年退職というワードが何となく頭に浮かぶようになっていた。

ヨーロッパにも行ってみたいが、その夢は定年退職後の楽しみに取っておこうと思った。
「妻もスイスに行ってみたい」と言ったことがあったが、私は「定年退職したら行こう」と答えた。
それどころではないと分かっていた妻もそれ以降海外旅行の話はしなくなった。

もちろん経済的に考えても叶わぬ夢でしかなかった。
子ども3人を私立の大学に行かせていたからだ。
そうして私にとっての激動の50代は終わりを告げた。

60代に入り定年を迎え延長雇用で会社に残った。
延長雇用制度を受け入れたのは、厚生年金が満額頂けないといった理由よりも母の施設入居代金を賄うためだった。
認知症の上、脳梗塞で車椅子生活になった母を家で介護するには限界があったからだ。

しかし介護施設の費用は母の年金額では半分も賄えない状況だった。
子育ての責任が終わったと思ったら今度は引き続き親への責任が重くのしかかったのだ。
ところが施設に入居していた母が急に亡くなった。

張り詰めた糸がぷつりと切れた気がした。
一年ほど経って、これで私の責任も終わったと思った時ふと頭に浮かんだのが定年後の夢だ。

夢を叶えるタイミング

夢を叶えるにはタイミングがあるようだ。
今では、いつまでも同じ夢を抱いたまま時間が過ぎていくのではないことを痛感している。

夢と現実は常に開きがあるものだ。
もし夢がすぐにでも現実になるならそれはもう夢とは言えない。
昔北欧やバルト三国に行きたいと思った夢は、定年退職を迎えるころには思いが少し変わっていた。

「スイスへ行かないか」と妻を誘って断られたからでもある。
いつの間にか妻の夢も変わっていたということだ。

延長雇用制度を少し早く切り上げて定年退職したのは、社会的常識のように感じていた子育てや親の責任から解放されただけでなく、頭の片隅にある夢を叶えたいという思いがあったからだ。
しかし何となく夢で見ていた旅を実行しようと思うと簡単ではなかった。

若い時のように体調が常に一定に良好なことは少なくなり、気候変動や世界的なパンデミックにも阻まれることになったからだ。
今になって思うことは夢を叶えるのにもタイミングがあるということだ。
時には現実を顧みず思い切った行動をすることも、夢をかなえるためには必要なことなのだろう。

もしくは夢は夢のままであっても、少しずつ夢に近づこうとすることしか出来ないのかもしれない。

夢と現実の狭間

年齢的にも夢を実現するには後がないと思うようになった。
これを読んだ人にはまだ60代なのに何を言っているのかと叱られそうだが、健康や気力には個人差も大きい。

自分の能力を過大評価せずに自覚すれば年々長旅は控えるようになっていった。
しかし諦めているわけではない。
体力や気力を挽回して再び夢を追いたいという思いは強い。

まさかエベレストに登る夢を叶えるのではないからハードルは高くないが、毎日ウォーキングをしているのも海外を歩くという夢のためだ。
そして夢半ばと思っている間は頑張ることができそうだ。

今は夢と現実の狭間で生きていることが幸せだと実感している。

#夢 #夢と現実 #老後の夢 #定年退職 #第二の人生 #定年後の夢


いいなと思ったら応援しよう!