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私流の定年退職後の生き方

あくまで人にお勧めすることではないから私流というタイトルにした。
定年退職から時間が経ったから言えることかもしれないが、第二の人生と言われる人生に正解はない。
これが私の主観だ。


多くのものを捨てた最後の人生

定年退職して先ずは車庫や倉庫、家の片付けをした。
身の回りのものに片を付けて心を軽くするためだと言えば世間的にも説得力が増しそうだが、それ以外やることを思いつかなかったというのが本心だ。
理由はどうあれスッキリしたのには違いない。

一番捨てたかったもの

定年退職して最後の人生を歩くうえで、私が一番捨てたかったのは見栄や承認欲求と言われるものだ。
しかしこれを捨てるのは簡単ではなかった。

周りの定年退職者を見てもこれを捨てきれていない人が多いように感じる。
私は今も意識してそのような欲求に立ち向かっている。
このNoteを書いていても、承認欲求を満たすために書いていないかと自問自答することはよくあることだ。

見栄や承認欲求が悪いことだとは思っていない。
サラリーマンの時にはそんな欲求があったから生きてこれたのだ。
いや、サラリーマンとして生きるためにそんな欲求も必要だったと言ってもいいだろう。
意識しないと捨てられそうにないのはそんな理由からだ。

その欲求を捨てなければと感じた一番の理由はお金に縛られたくなかったからだ。
見栄を張ろうとするとどうしてもお金は必要だ。
承認欲求もやはり金銭と結びついているように思った。

生活基盤を年金で賄う以上、贅沢に繋がる見栄などは切り捨てるべきだと考えた。
逆に言えば見栄を張るために働くことをやめたのだ。
承認欲求も同じことだ。
最後の人生には、周囲の人に自分の価値を認めてもらう努力などに意味はないとも考えた。

そんなことに努力をするなら、もっと人生を楽しめることに努力するべきだとも思ったのだ。

贅沢を捨てても楽しむことはできる

私の周りにも定年退職後に働いている人は多いが、その誰もが生活のために働いているのではない。
理由は一つではなく夢を叶えるためであったり、仕事が好きだからという人もいる。
その人流の生き方だ。

そんな多くの人に共通しているのは、人生の最後まで充実した日々を送りたいという希望だ。
私が好きなことを日常にして生きているのもそんなところだ。

たまに行き詰ったら一人旅をするが、それは私にとって見栄でも贅沢でもない。
心を前に動かす燃料のようなものだ。
その一人旅のことを、まだサラリーマンをしている知人に聞かれたから話すとうまく理解してもらえなかった。

「それってほとんど仕事じゃないですか」と言われてしまった。
そんなつもりはなかったが私は「そうそう私にとっては仕事ですよ」と答えた。
彼がなぜそう思ったかというと、一人旅の途中に待ち時間などがあれば動画編集などして暇な時間を埋めたと言ったからだ。

金儲けだとは思っていないがそれを除けば確かに仕事と同じだ。
仕事だと思うことで充実した時間だと感じることもありそうだ。

そもそも贅沢な時間を過ごすために一人旅をしているわけではない。
贅沢をするなら夫婦であったり友人とするだろう。
敢えてとことん節約した旅をするのも、人生経験を増やしその日常を充実させたいがためだ。

暇を捨てることが私の最後の人生の生き方

定年退職をして仕事に行かなくなると、日常にメリハリがなくなる。
土曜も日曜もないが、毎日が土曜日曜になることだけはどうしても避けたいと思った。
「老後の暇は毒でしかない」というのが私の戒めだ。

このことは何度も戒めているが、暇な時間ができるとネガティブな感情が湧いてくる。
常に心を前に動かし続けようと思うなら暇をなくすことだと思っている。
つまり暇を捨てるということだ。

だから何もやる気が起きないときは本気で掃除をしたり旅の計画を立てたりする。
本気掃除は心を動かすセルモーターだ。
旅の計画は、その思考自体が前向きでポジティブなものだからだ。

何もやりたくないと思って時間だけが過ぎると、その無気力感は次第に大きくなり自分ではコントロールできなくなってしまいそうで怖いのだ。

根が横着者だと自覚している証だ。

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