旅物語【水原(スウォン)編】
ソウルの北エリアを歩いたあと水原市へ向かった。
ソウル駅から水原までは電車を使うことにした。
ムグンファ(急行)やITXセマウル(特急)なら30分で到着するが、まったく急ぐ旅でもないから運賃の安い普通列車で行くことにした。
ソウルから1時間の世界遺産
ソウル駅のコインロッカーから今朝預けたリュックを取り出した。
コインロッカーと言ってもコインではない。
私はTマネーカードをかざして清算をした。
スマホアプリのNFCセンサーで、Tマネーカードの残高を読みとればまだ50,000ウォン近く残っていた。
ソウル駅の改札を通る時はつい慎重になって、Tマネーカードをキッチリと1秒は当てている。
数年前にこの改札口でTマネーカードをかざしても出られないというアクシデントに見舞われたからだ。
ソウルから京釜線(下り)に乗った
私は田舎者で大阪ですら地下鉄に乗るのは好きではない。
大阪の土地勘がなく地下で迷うことが多いからだ。
そんな私はソウルの方が自由に動くことができる。
番号や色分けされた地下鉄路線のお蔭だろう。
地下鉄と言っても今から乗るのはソウル駅を出るとすぐに地上を走る列車だ。
ソウル駅で地下鉄1号線(KORAIL京釜線)に乗ると横長の座席は空いていなかった。
車両の後部に行って吊革を握った。
その時前に座っていた若い男性が立ち上がって席を譲ってくれた。
私は「ありがとう」と日本語で感謝を伝えてその席に座った。
するとその隣に座っていた青年が「日本の方ですか」と声を掛けてきた。
「はいそうです」と答えると「私は3年前まで日本に留学していました」と流暢な日本語で話した。
「これからどちらに行かれますか」と言うので水原(スウォン)に行くと言ったら、「私たちは水原に帰るところです」と言って、先ほど席を譲ってくれた青年と顔を見合わせた。
その後も他人から見るとまるで親子のように話をした。
息子より若い青年とよくこれほど話ができるものだとは自分でも意外だったが、もっと驚いたのはその青年から夕食に誘われたことだ。
海外ひとり旅の魅力は、日本では絶対と言っていいほどあり得ない異文化による交流が生まれることだ。
反日のムンジェイン政権下だった時に、日本の私ぐらいの歳のホストファミリーにとても親切にして頂いたのだそうだ。
私もひとり旅でいつも味気ない食事をしていたので嬉しくなった。
その青年は韓国人には珍しくラインを持っていたので交換することにした。
一般的に韓国人はカカオトークなどを使っているが、日本人との人脈にラインを使っているのだろう。
韓国の地下鉄ではWi-Fiが使えるが、ここは地上なのでアハモが使えた。
韓国に来てからずっとアハモ(ドコモの格安プラン)のローミングをONにして使っているが、原州(ウォンジュ)に行く時に少し繋がりにくかったくらいだ。
水原の八達門(パルダルムン)の東側で待ち合わせることにした。
水原の夜
水原駅から一般タクシーで予約しているホテルに向かった。
水原駅から3Km程度なのですぐに着いた。
アゴダで見つけた3,000円程度の格安ホテルだ。
この地域のホテルはほとんどがモーテルか元モーテルだ。
水原は駅前にホテルは少なく、普通のホテルも多くない印象が強い。
格安ホテルはゲストハウスかモーテルだ。
モーテルのメリットは部屋が比較的広いことだが、デメリットは窓のない部屋が多いことだ。
昔はいかにもモーテルだったが、今は言われなければあまり違和感を感じないモーテルもある。
このホテルも1階が丸々駐車場のところはモーテルそのものだが、部屋に入ればダブルベッドというだけで派手な装飾もなく広い部屋の普通のホテルといった感じだ。
リュックからショルダーバックを取り出し、財布やパスポートとDJIオズモポケット(カメラ)を入れ替えてホテルを出た。
一般タクシーはすぐにつかまった。
「パルダルムンカジガセヨ」(八達門まで行ってください)と運転手に伝えた。
水原でもタクシーは黒に金帯の模範タクシーと一般タクシー、それにカカオタクシーなどが走っている。
私は一般タクシーがつかまりそうにない時はカカオタクシーを使うことにしている。
昔の一般タクシーは乗り合いだったが今は禁止されているようだ。
八達門まで来ると既に先ほどの青年がひとりで待っていた。
「先ほど席を譲ってくれた方は?」と聞くと、今夜は用事で来れないそうですと言うことだった。
「普通の韓国料理でいいですか?」と聞くので「お任せしますが量は食べられないので」と言っておいた。
水原と言えば水原カルビが有名だが、八達門近くにカルビ専門店が少ないのは私もリサーチ済みだ。
私たちは八達門近くの池洞市場(チドンシジャン)の韓国料理店に入った。
中は結構広くコンロが二つ付いた8人掛けのテーブルが沢山並んでいた。
その一角に座ったらすぐに彼が「チョギヨ~」と叫んだ。
やはり彼も韓国人だなっと変なところで感心した。
このような食堂で遠慮がちになる韓国人は見たことがないが、日本人の観光客にはありがちだからだ。
結構大きな声だったにも関わらず返事がなかったのでこんどは「アジュンマ~」と再び叫んだ。
その声に反応したおばさんが「ネ~」と言って振り向いた。
「適当に注文します」と言って彼が頼んだのは鉄板焼きだった。
「何を飲まれますか」と聞くので「それも任せます」と言ったら、彼はマッコリを注文した。
私の年齢から濁り酒を連想したのか、それとも韓国と日本の違いを分かっていてビールを頼まなかったのかも知れない。
料理が運ばれてくると白いお椀を私に手渡し、マッコリを持っている手に左手を添えて注いでくれた。
「それじゃあこの一期一会に乾杯!」と私が言うと、彼は横を向きお椀に入った濁り酒を一気に飲み干した。
私も彼を見習って一杯目だけ一気に飲み干した。
お椀が小さくて良かったと思った。
マッコリの影響で私も饒舌になったが、できるだけ彼の話に耳を傾けようと努力した。
彼は仕事のことや日本で過ごした思い出などをいっぱい話してくれた。
これだけの年齢の差にも関わらず、他愛もない話が弾んで時間が過ぎて行った。
ピリ辛料理のせいでマッコリも進んだが喉も乾いた。
「チョギヨ~ムルジョンジュセヨ~」と今度は私が叫んだ。
すると彼が驚いた顔をして「韓国語を話されるんですか?」と聞いてきた。
「いや、ほんの少しですよ」と返事をした。
彼が驚いたのは、彼の前で初めて韓国語を喋ったからだ。
酔ってはいたがいざ韓国語を使おうと思うと考えることも多い。
この辺が最たる日本人の証しなのだろう。
いや、日本人というより田舎者と言うべきなのかもしれない。
どう見ても自分より若いおばさんにアジュンマとは呼べないといったことだ。
韓国人的には年齢には関係なくおばさんはおばさんでおじさんはおじさんなのだろうが、日本人的にはおばさんやおじさんは年下から見てといった概念の違いを考えてしまうのだ。
そんなことはさておき、彼がトイレに行っている間にアジュンマのところまで行き、先にこれまでの支払いを済ませた。
そして再び椅子に座り飲んでいると、トイレから出てきた彼がアジュンマのところへ行って何やら話す様子が目に入った。
私は心の中で良かったと思った。
彼も私と同じことを考えていたのだ。
彼は私のことを日本から水原に来てくれた自分のお客さんだと考え、ここは自分が接待するべきだと考えたようだ。
しかし私は、まさか息子よりも年下の青年に払わすわけにも行かないと考え先に支払ったのだ。
韓国でも今は少し変わってきたと聞いたが、韓国に割勘文化のなかった時代を知っているだけにここだけは負けないようにしなければと思っていたのだ。
彼は席に帰ってきて「すみません誘っておきながら」と日本人的発想で労ってくれた。
スウォンファソンを歩く
翌朝ホテルを出て一般タクシーを止めた。
「パルダルムンカジガセヨ~」(八達門まで行ってください)と今朝も昨夜と同じことを告げた。
今日はゆっくりと5.7Kmあるスウォンファソンを一周する予定だ。
スウォンファソンの一番南にある八達門を起点に反時計回りで歩こうと思う。
昨夜韓国人の青年と食べた市場の入口が目に入った。
昨夜はじっと見なかったが、今見るとスウォンファソンの門をイメージした大きなアーチにチドンシジャンと書かれている。
そのアーチの手前を左に折れた。
少し歩くとスウォンファソンの城郭らしき石積みが見えたのでその手前を今度は右折した。
ここから東一舗楼(トンイルポル동일포루)の少し手前までは城郭の外を歩く。
そこから城郭の下を潜って城郭の上へ登ることにした。
城郭の上を歩くこともできるが、果てしなく続く城郭の石積みを見ながら歩くのなら城郭の外を歩くべきだ。
そこから少し歩けば蒼龍門(チャンリョンムン창룡문)だ。
この近くにフライング水原という気球に乗って上空から水原を見下ろすツアーがある。
他にも弓道体験ができるアミューズメントはこの辺りだ。
今日は天気が良く暑いので背中が汗ばんできた。
ここへ来るまでに水原駅まで戻ってロッカーに荷物を預けようとも思ったが、それも邪魔臭いのでリュックを背負ったまま来てしまった。
さほど重いリュックではないが今になって後悔している。
まだ大した起伏ではないが後半は山に登らなければならない。
東暗門(トンアンムン동암문)を過ぎやっと華虹門(ファフォンムン화홍문)まで来た。
ここへは前にも一度来たことがある。
その時は華虹門から長安門までの最短を歩いた後、10キロほど東にある龍仁市の韓国民族村に移動した。
今の私より高齢の先輩を連れて来ていたので、少しでも多くの観光地を案内したかったのだ。
今回はその時のリベンジと言ってもいいだろう。
今回こそはスウォンファソンを一周するぞと意気込んで来ているのだ。
この華虹門と次の長安門(チャンアンムン장안문)はスウォンファソンで最も有名な門だけに、石積みも見事で見ごたえがある。
出発した八達門が一番南なら長安門は一番北の門だ。
つまり時計で表現すると6時の八達門と12時の長安門になる。
スウォンファソンを半周したので長安門の近くのカフェで休憩することにした。
昼ならこの辺りに多い水原カルビの専門店に入るところだが、まだ10時を過ぎたところなのでとにかくリュックを降ろしたくてカフェに入った。
前に来た時はスウォンファソンのこの辺りを歩くとき入場料を支払ったが、2年前に廃止になったようだ。
今は無料で全コースを歩くことができる。
カフェの近くの店でキンパプとペットボトルのお茶を買った。
長安門から水原華城を通り過ぎ華西門(ファソムン화서문)までは城郭の外の遊歩道を歩いた。
この辺りの石積みは他よりも高く、外から見る方が見ごたえがある。
華西門から再び城郭の上に登った。
さてここからが登山だ。
登山と言っても普通の山道ではなく石段が多くなるだけだ。
最初は上り坂のスロープだが徐々に石段が急になり標高を上げていく。
華城将台(ファソンジャンデ화성장대)は見晴らしがいい。
ここで少し休憩することにした。
ここから下山する道もあるがもう少し先に進む。
まだ登りが続き西舗楼(ソポル서포루)まで来た。
華城将台には見当たらなかったベンチもあるので、さっき買ったキンパプを食べることにした。
この辺りが八達山で最も標高が高そうだ。
やっと西南暗門(ソナムアンムン서남암문)だ。
後は八達門まで降りるだけだ。
注意をしながら急勾配の石段を降りて行った。
足腰の疲労感は限界に近い。
しかしここからの見晴らしは最高だ。
この景色だけでも来た甲斐があったというものだ。
麓に近づくと桜が満開だった。
私は見ていないが二十五、二十一というドラマのロケ地に使われたところのようだ。
八達門を朝9時前に出発して再び八達門に戻ったのが14時前だ。
長安門付近でカフェに入ったり休憩しながらのトレッキングに近いウォーキングだ。
もっと軽い山歩き用のリュックなら問題ないだろうが、私のような旅行用リュックは駅のロッカーに預けるべきだった。
それでもアジアを歩くという目標のひとつは達成できた。
後書き
この記事はフィクションを含んでいるが、できる限り今の情報を取り入れて書いたので旅物語として読んでほしい。
旅の主人公になったつもりで読んで頂き、非日常感を味わって頂けると幸いだ。
私も文章を書きながら再び水原に行くことができた。
この記事を切っ掛けにスウォンファソンに行ってみようと思ったなら、参考にして頂けるところも多くあると思う。
水原ファソンはソウルからも近く、ソウルのホテルに宿泊しても充分日帰りができる世界遺産だ。
今回は城郭の中にある華城行宮(ファソンヘングン)には行かなかったが、韓国の時代劇ファンなら一度行ってみるのもいいだろう。
水原の近くには韓国民族村やエバーランドもあるが、そのどちらもハシゴするには時間的制約が厳しくなる。
できればそれぞれ1日過ごすつもりで出かけるのがお勧めだ。
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