見出し画像

第二の人生でやりたいことを見つけるのは難しい!

いつも同じようなことを書いているが、どうもうまく文章にすることができない。
それが定年退職後にやりたいことだ。
サラリーマンとして送った人生が長かったせいもあるだろうが、何でもできる状況になれば本当にやりたいこととは何だろうと考えてしまう。
第二の人生に入った途端、どの道を進めばいいのか分からなくなるのだ。
このNoteでも何度も書いているテーマだがいまだに迷いながら歩いている。


やりたいことが分からない!

「やりたいことが分からない」とはサラリーマンの第二の人生の重要なテーマだ。
定年退職まで仕事一筋にやってきた人が、退職して第二の人生に入ったからといって急にやりたいことが見つかるはずもない。
多趣味の私はやりたいことなど探すことなどないと思っていた。
しかしそうではなかった。

仕事のように日課にできること

会社に行っている時は例え実務をやっていなくても一日を遣り過ごすことができた。
特に退職前などは会社の椅子に座っているだけで仕事として成り立った。

このNoteにいつも書いているが、定年退職で失うのはサラリーだけではない。
仕事というやることだ。
しかしそれまでやっていた仕事は好きでやっていたのではなく、あくまで生活を維持するためだ。

好きなことを仕事にできるということが定年退職後の特権だと言ってもいい。

しかし生活基盤さえ整っていれば毎日好きなことをやって生きていけるというのに、日課にできるほどの好きなことが見つからないのだ。

私は決して裕福とは言えないが、仕事をしなくても年金などで何とか食べて行けるのだから誠に贅沢な話なのだ。
それなのに好きなことが見つからないというのは勿体ないと思った。

収益を取るか好きを優先するか?

これまで好きでもない仕事を長年続けてこれたのは収益を得られたからだ。
これはサラリーマンとして考えることもなく、ごく普通の社会の仕組みだった。
給料という収益が生活のためでもあり楽しみになっていたということだ。


定年退職後に何でも好きなことやることができると言っても、収益を伴うこととなれば限られる。
そうかといって好きという理由だけで、収益にならないことを仕事のように日課にするのは簡単なことではない。

好きなことなら例え収益に繋がらなくても日課のようにできるだろうとぼんやりと想像していたが、それがどのようなことなのかまったく理解できていなかったということだ。

もし好きなことで収益を得ることがあったとしても、収益を重視した途端に好きなことではなくなってしまうように感じた。

私もやっていたYouTubeがその例だ。
撮影も動画編集も好きだったはずが、収益を得られるようになった途端に楽しくなくなった。
その理由はおそらく収益に目を向けてしまったからだ。
収益視点で見ればやっていることが決して収益目的に向いていなかったからだ。

しかしそれもやってみなければ分からなかったことだ。

最後の道は少なくない

定年退職後の道は少なくない。
これが定年退職から5年以上経過した私の感想だ。

多少やりたくなくても収益を得るために働くこともひとつの道だ。
収益を得たことに喜びを得ることができるからだ。

収益は得られなくても、没頭できる趣味の道を歩くことができればそれに越したことはない。
その場合は収益を得られない仕事として日課にする覚悟が必要だ。

そのどちらか一方の道を選ぶ必要もない。

真ん中の道もありうるということだ。
半分は収益を得るための仕事をして、後の半分は趣味に高じてもいい。

私は極端に考えてしまっただけだ。
結局どの道に進もうとトゲを持った茨が生えているのは間違いないところだろう。
歩きやすい道など最初からない。

それにあまり平坦な道であっても面白くはない。
多少起伏があったり緊張するような崖の道を歩いてこそ、平坦な道で落ち着くことができるのだ。

これが正解だという道などないということでもある。

今日は自分が歩いた道を正当化するためのような文章になってしまったが、ひとつだけ言えるのはこれからも一生懸命歩ける道を探したいというだけだ。

#人生 #定年退職 #第二の人生 #最後の人生 #仕事


いいなと思ったら応援しよう!