
隠居生活に入るための三つの条件?
「隠居生活とは?」と検索すると、戸主権や家督を次の代に譲って悠々自適な生活を送ることといった内容のものが多く目に入った。
私もその一人だ。
ただ、子孫に譲るものがないというだけだ。
サラリーマンとして人生を送った私に大した財産はない。
田舎住まいなのでその家屋敷の価値もたかが知れている。
自立している子供たちも誰一人欲しがるものでもない。
隠居生活の真実は?
隠居生活と言っても悠々自適にのんびりと余生を送るというイメージは持ちたくなかった。
隠居という言葉も好きではない。
実際は隠居でも隠居らしくない道もあるはずだと思いたかった。
だからこれまでこのNoteでも隠居という言葉は使ったことがない。
第二の人生だとか、せめて最後の人生などと表現していたのは隠居にはなりたくないという意思が込められていた。
しかし70代を目の前にして、そろそろ隠居という生活を受け入れてもいいのではと思うようになった。
隠居を受け入れたからと言って何ものんびりしようと思っているのではない。
まだまだ挑戦したいこともある。
隠居生活に入る三つの条件
私が雇用延長期間を早めて隠居生活を送るにあたっては三つの条件をクリアしているという必要があった。
この条件が一つでも欠けていたら隠居生活には入っていなかったに違いない。
その一つが子育てが終わっていることだ。
私が定年になった60歳の時点で、3人の子供は大学を卒業して自立していた。
もし一人でも自立できていなければ紛れもなく退職していなかったはずだ。
子育ての終了と定年退職は切っても切れない重要な条件だと思っている。
二つ目の条件は親への責任だ。
私には同居していた母がいた。
脳梗塞で車いす生活になり施設へ入居したが、母の年金だけではその費用が半分程度しか賄えなかった。
年間200万円程度必要だったから、もし10年入居したなら2千万円の入居費が必要だった。
そのうちの半分は母の年金で賄えたとしても1千万は持ち出すことになる。
母の貯蓄もあったのでそれも使ったが、先の見えない不安を抱えたまま定年退職することはできないと考えていた。
その母が入居1年程度で呆気なく逝ってしまった。
親の死は私の最後の責任をも失くしてしまうことになったのだ。
三つ目の条件は家族の理解だ。
隠居生活をするにあたって家族の理解は最も重要だ。
その時点で私の家族とは一緒に暮らしている妻のことだ。
もちろん一人暮らしならその必要はないだろう。
これまで会社に行っていた旦那が、毎日家にいるようになって一番困るのは妻だ。
それまである程度の距離を置いていたから何とかやってこれたとしても、四六時中顔を合わせるようになれば何かと問題が起きてもおかしくはない。
私は数百万円かけて納屋を改修し、そこを居場所にすることで妻の理解を得られたことになる。
隠居生活のイメージ
以前私が持っていた隠居生活のイメージは、毎日やることもない老人がコタツに入ってテレビや新聞を見ているといった風景だ。
しかしそんな隠居生活は望んでいなかった。
夢見ていたのはアクティブといっていいほどの日常だ。
隠居生活と聞くとどうしても人生をフェードアウトしているような感覚に捉え勝ちだが、私が夢見たのはその逆だ。
そうかといって現状の安定した生活は捨てたくないとも考えた。
そしてリスクを負って起業をしたり投資をする余裕も考えることができなかった。
つまり私にできることは限られていることになる。
大きな資金をかけずリスクも負わずにできることを見つけることだ。
その結果が今の現状でもある。
隠居生活で実際にやったこと
YouTubeやブログ、ポッドキャストやこのNoteも隠居生活に入ってからやってみた。
しかしこれらはどれも発信ツールでしかない。
継続できる情報が必要になる。
その中には情報が続かなくてすぐに挫折したものもある。
退職後に始めた「アジアを歩く」といったテーマの発信もパンデミックによってやめることになったが、今から思うと海外に行かなくても情報発信だけなら続けることができたのだ。
このような経験が今の私のモチベーションを支えているようだ。
サラリーマンを定年退職した隠居老人にできることはその人の能力だけではない。
私がやったことは初めての経験だから、それらはすべて挑戦だったと思っている。
アジアの旅もYouTubeもやってみなければ分からないことばかりだった。
好きだったからやったのではなく、やってみたから分かったことの方が多い。
好き嫌いではなく、やってみて苦になるかどうかの判断をした。
車中泊旅をYouTubeで発信していて気付いたことがある。
登録者や視聴時間を意識して徐々に苦になっていったことだ。
営業職でストレスを感じていた数字を、気付けば隠居生活でも追っていたのだ。
収益を第一に考えるなら雇用延長を打ち切ってまで隠居生活を早めたことは間違っていたことになってしまう。
その時、収益目的をコスパで考えるならサラリーマンに勝てるものはないだろうとも思った。
お金や時間のことは考えずに特定の分野に傾倒できる人こそ、隠居生活に向いているのだろうと思った。
つまりオタクと言われる人のようにだ。
甘くはない隠居生活を楽しい隠居生活に?
いくら苦にはならないと言っても、生産性のないことを日常にするのは誰でもできることではない。
実際私も何度も挫けた。
いや、今も挫けることの方が多い。
挫けた後に暇な時間が続くと脳はネガティブな感情に侵され、悪循環で心も動かなくなることがある。
それは、悠々自適なのんびり隠居生活とはかけ離れた感情だった。
しかし隠居を自覚すると少し楽になった。
どうせ隠居なのだから暇なのは当然だ。
悠々自適にのんびりと過ごせばいいだけだと割り切ることもできる。
コツコツとNoteを書いたり楽器の練習をしたり夫婦でドライブにでかけたりと、やることはいくらでもある。
そんな日常を楽しめるようになったのは、隠居になって数年経過した最近になってからだ。
裕福ではないが心は豊かだ。
幸せラインは低く野心もないが、そんな慎ましい生活も悪くはない。
これこそ隠居の特権ではなかろうか。