営業人生をどう過ごした?
昨日も営業畑を歩んだ人生の経験談を書いたが、今日も営業の話だ。
昨日は営業の仕事をする切っ掛けや若い頃の話を書いたが、今日は歳を取ってからの経験談を書こうと思う。
話し好きは営業に向かない
正直に言うとNoteのネタを考えるのが邪魔臭かったのだ。
営業の話なら昨日書いたところなので、さほど考えずとも文章が浮かんでくると思えたのだ。
話し三分に聴き七分
話し三分に聴き七分ということわざは営業の鉄則だ。
私も若い頃は話し下手だったこともあり言葉は少なめだったが、営業職を長年やっていると段々と話が長くなってきていると自覚していた。
自覚しているだけましな方だ。
私が勤めていた会社の違う部署に、絵に描いたように営業の下手な先輩がいた。
国家資格をいくつも取得していて知識は申し分ない人だった。
ある日その人を連れて営業に向かった。
その人が持つ資格を営業に利用したかったのだ。
お客様にその資格の入った名刺を渡して頂くだけでよかったのだが、途中から私とお客様の話に割り込んでくるようになった。
話し好きな人は一度話し出すと止まらなくなるようで、お客様の話を遮ってまで自分の思いを説明しかけたのだ。
営業の反面教師には持って来いの人だった。
しかし私も段々とその人と同じようになっていった。
知識や経験が増すにつれてその傾向が強くなるようだ。
私は部下を自分の営業に同行させ客観的に話を分析させることにした。
話の量、話の内容、お客様の変化などだ。
営業の帰りに「今日はどうだった」と聞くと部下は「今日も少し話が長いと感じました」と教えてくれた。
客観的な事実情報だけでいい
そもそも初期営業に必要なのは営業先の客観的な事実情報だけだ。
いかにその情報を引き出すかにかかっている。
営業先の決定権は誰なのか。
予算はいくらなのか。
年齢や、趣味は何なのかといったことだ。
本来ならクロージング(最終的な)営業では1時間以上の時間をかけるが、アプローチ営業に時間を掛けないのが営業のプロセスだ。
話の長い人はアプローチ営業でも時間をかけてしまう。
その結果肝心な次回のアポどりを忘れて帰ることになる。
私はアプローチ営業の時は10分から15分と自分に言い聞かせて営業をしていた。
この短い時間にその日に聴き出す客観的事実情報を絞って話をすることにしていた。
ところが私が営業をしていた地域が田舎ということもあって、なかなかその時間を守ることができなかった。
2回目以降の営業では、お客様も安心されるのか熱いお茶を出して下さる方が多かった。
私はそのお茶に弱かった。
猫舌だったこともあり、お茶を出された段階で自分で決めた15分を守ることができないと諦めた。
そして諦めた瞬間から自己制御が効かなくなった。
中にはお客様が話し好きな人もあり、聞き役に回ればもうそのお客様の餌食になった。
しかしそれが営業において全て悪いわけではなかった。
人は時間を掛けただけ意思疎通を図れるからだ。
特にそのような人とは2回会っただけで友だちになれると言えるほどだ。
長年営業職をしてきたお蔭でコミュニケーション能力だけは上がったようだ。
そうして私の顧客は増えて行った。
営業のリソースは人脈
私は田舎の同じ地域で営業をしていた。
リストラや倒産などを経験し、何度か転職して会社は変わったが営業職と営業エリアはさほど変わってはいない。
つまり会社が変わっても同じ地域で営業をしていたということだ。
そして契約するものが変わってもお客様は同じだった。
会社が変わる度に違う名刺を持って同じ顧客を回った。
個人的な信頼関係ができているのでアプローチ営業はする必要もなかった。
もちろん客観的事実情報も取得済みだ。
1千万円以上の契約でもアプローチなしでいきなりクロージングができたと言う訳だ。
そのような顧客とは長年の付き合いなので紹介も多かった。
時間をかけて育ててきた人脈というリソースだけで営業職が成り立ったのだ。
営業だけはやりたくないと思っていた私が、営業しかできない人間になっていた。
人生とは分からないものだ。
思うようにいかない人生も、世間の波に流されていたら知らない間に泳げるようになっていた。
私の営業の理想は既存顧客のリピートと紹介だけで目標達成でき、新規客がプラスアルファという構図だ。
まあ、そんなに上手くはいかなかったが、何の取り柄もない私の人生としては上出来だったと思うことにしている。
定年退職で区切りをつけたはずの営業職
そんな営業一筋の人生も定年退職で区切りをつけた。
営業職では常に数字に縛られていたが、サラリーマンの卒業と同時に数字からも開放されて自由になった。
何と軽くなったんだろうと感じた。
とにかく次回の会議を心配することがなくなった。
思うようなグラフが描けない時の、針の筵に座るような会議はストレス以外のなにものでもなかった。
それなのに気が付けば、また知らず知らずの内に数字を追っていた。
定年退職後に始めたYouTubeの登録者数や視聴時間などだ。
「何で定年退職してから数字に追われるようなことをするの」とは隣で見ている妻の言葉だ。
それを聞いて我に返り数字を追うSNSはやらないことにした。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」とは私のことなのだろう。
そう戒めながら今日もNoteの毎日投稿を更新してしまった。