
過去の記憶が心を豊かにする?
定年退職してから過去の美しい思い出に心を癒されることが多くなった。
サラリーマンのころはそんなことを考える暇などなかったのかもしれない。
美しい思い出の多くは体験と言うよりも過去に経験した感情だ。
Noteを使った思い出の喚起とは?
もちろん美しい思い出ばかりではなく、失敗して恥をかいた情けない感情もないわけではない。
しかしそんな失敗経験も、時間が記憶を浄化して美しいものだけを残してくれているように思う。
もし思い出そうとしなければ徐々に薄れていくのが過去の記憶だ。
その消えゆく過去の思い出を、もう一度蘇らすのに貢献してくれているのが私のNoteだ。
疑似体験した過去の思い出
感情を文章にするのは簡単ではない。
しかしそれをやっている時は心暖かく心豊かな感情になっている。
定年退職後に片付けをしていたとき古いレコードを見つけた。
探して見つけたのではなくそこに置いていたことは分かっていたが、レコードを掛けて聴くことをしていなかっただけだ。
実際に見つけたのはそのレコードを聴いていたころの感情だ。
改めて聴いてみるとその頃の記憶が蘇った。
言葉も分からない洋楽のレコードからはポジティブな勇気を得たような感情であったり、マイナーなロシア民謡からは寂しさを癒してくれる暖かさの感情が蘇った。
半世紀も経過した感情をそのまま今の感情として再現することは難しいが、思い出せる感情を文章に置き換えることはできそうだった。
今なら映画やドラマ、ゲームやアニメで感じるのだろうが、当時は洋楽のレコードで疑似恋愛していたり民謡や映画音楽のレコードでは世界旅行を疑似体験していたのだ。
これまでにもその当時の感情をこのNoteに書いてきたが、過去の記憶は感情の宝箱のようだ。
記憶の喚起は心の豊かさを得るひとつの手段
定年退職するような年齢になって誰もが求めるのは心の豊かさだ。
情緒の安定した落ち着いた感情だ。
遠い過去の記憶はそんな心の豊かさを提供してくれるが、私にはそんな過去の記憶がいくつかある。
家族旅行や友人との旅行などだ。
このNoteでもそんな過去の旅の記憶を探って記事を書いたりしてるが、その時の感情は楽しくて心も豊かになっていることを自覚できるものだ。
何十年も前の記憶を呼び起こして文章にすれば、再びその当時の感情が蘇り更に強い記憶として上書きされていく。
更にその文章を読み返せば、いつでもその当時の感情をいい意味で喚起させることができる。
懐かしい音楽を聴いて脳が昔にタイムリープするのと同じだ。
過去の記憶のフィクション化は悪いことではない!
どんなことでも半世紀も経てば全てを覚えているわけではない。
よほどインパクトの強い記憶であったとしても、都合よく美化されることはよくあることだ。
早く忘れてしまいたいと思う出来事は誰にでもあることだ。
過去の記憶を基に文章を書く時も辛い思い出は書かないようにしている。
本当に辛い思い出とは主に解決できなかったような出来事だ。
旅行で財布を無くしたといった思い出は、その時は辛い気持ちで諦めたとしても解決済みだから記憶が上書きされるたびに美化されていく。
それが記憶のフィクション化だ。
お金を失くして不安しかなかったその時の感情も、時間と共に不安は忘れ去り記憶を想像することで美しく蘇る。
昔の貧しさがそのまま映し出された白黒写真を見て、貧しかった記憶よりも懐かしさと美しい当時の感情が蘇るのも同じ理由からだ。
今Noteで昔の記憶を辿って記事を書く理由は、私自身が日常に心の豊かさを求めているからに相違ない。
サラリーマン時代は仕事をしているというだけで、精神的な心の豊かさが保たれていたということでもある。
老後生活に必要な心の豊かさはこれまでの人生にも詰まっていると思いたいのだ。
#定年退職 #老後の人生 #人生 #過去の記憶 #心豊かな人生 #記憶