趣味の音楽を通して若返った話!
年齢とは多くの場合壁になる。
話が合わないとか冗談も通じないといったことが年齢の差によって生じることも少なくない。
それは当然の話だ。
生まれ育った時代背景や経験が違うからだ。
若返るとは年齢を意識しないこと!
私は60代と言っても70歳に近い高齢者だ。
気が若いと言われることもあるが自分では年相応の実感を持っている。
筋肉は弱り懸垂は一回もできない有様だ。
昔体育の授業で、体操部でもないのに蹴上がりを10回連続して行い褒められたことがある。
褒められることはめったにないので今でも記憶にあるが、そんな運動神経など微塵も残ってはいない。
昨日のセッション
昨日は月一で行われるセッション会場に出向いた。
「昨日は」と言ったが毎月あつかましく参加しているセッションだ。
会場は私が住んでいる田舎の町だが、昼間ということもあって遠くからもお見えになる。
参加者の誰にもどこに住んでいるのかは聞かないが、おそらくこの市の住人は私だけだろう。
言うなれば私は会場近くの高齢者だ。
築100年以上は経過しているであろう古民家を改修した会場に入ると、この日は多くの人で賑わっていた。
毎回誰が来るかも何人来るかも分かっていないので人の多さに少し驚いた。
人の多さに加え参加者の年齢が若いこともいつも以上だった。
トランペットやトロンボーンといった金管奏者に加えテナーサックスやフルート、尺八と言った木管奏者もいる。
ピアノやベースも3人ずつはいらしたが、ドラム奏者も私を含め3人いた。
金管奏者も木管奏者や打楽器奏者も私の子供と同じ世代だろう。
音楽の良さは年齢の壁を超越できること
演奏が始まると今日初めて会った人たちだとは思えないほど息があっている。
3曲目に自分の番が回ってきた。
若い方々に張り合おうとは思わないが、聴いている人も多いのでいつも以上に緊張した。
私は「今日を精一杯楽しもう」と思って演奏した。
参加者の少ない時は聴いている人も少なく会場の空気は演奏者だけのものだ。
しかしこの日に限っては、聴いている人もこの空間を共有して雰囲気を作りだしていた。
そういえば昔々まだ私も若かったころ、同じような経験をしたことが何度かある。
ステージで演奏を始めた途端にその会場の空気が一瞬で変わる経験だ。
初めて出会った人たちによって作り出される雰囲気は、その日だけの経験になることは間違いない。
言語化は難しいがこの楽しさを表現するなら息の合ったチームプレイだ。
そのチームは20代から60代までの混合プレイヤーたちだ。
セッション会場とはいえライブ状態でもある。
若い頃にやっていた趣味を定年退職後に再開したとはいえ、こんな日が来るとは予想していなかった。
充分とは言えないが、この数年毎日練習した甲斐があったというものだ。
自分の年齢を感じなくなる瞬間
数曲演奏しているうちに年齢のことは考えなくなる。
最初この会場に入った時は「今日は私が一番歳を取っているな」と思ったが、音に年齢はない。
音だけ聴いて「この人は何歳だ」などとは感じないのと同じで、演奏している時も年齢を意識していない。
意識しているのはあくまで音楽のことだ。
言い換えれば年齢を超越した時間だ。
確かにこのチームで私は年長者だが、年長者の役割ではなくドラムという楽器の役割を果たそうとしているのだ。
私がここにいるのはチームのみんなが楽しく乗れるようにするためだ。
あいにく技量が足りないせいで楽しませてもらったのは私の方だったかもしれないが、音楽をやっていなければ経験できない楽しさだ。
定年退職してから楽器の練習をしていなければ絶対に会っていない人たちとのセッションだ。
今日出会って一緒に演奏した人たちは私の素性も知らないだろうが、この一期一会に感謝する次第だ。
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