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村長の引継ぎ①


【あらすじ】

 山奥の村を出て県庁で果物の品種改良に携わっていた私は、現村長の推薦や父親が亡くなったこともあり村に戻って次期村長になりました。
 自然に囲まれた生活の中で、純朴な村人たちや支援者との交流を経ながら、現代文明からだいぶ出遅れている村を、少しでもよくしようとしてきた物語です。
 一方、運動会や結婚などのエピソードも交えながら、都会では忘れさられた田舎の健やかで穏やかな様子も織り込みました。
 誰も知らない山奥の村のささやかな発展を楽しんでもらえると幸いです。

村長の引継ぎ


《着任の日》

 私は村長を引き継ぐにあたって、役場の村長室で、重要書類を現村長から受け取った。かさばる書類で蓋が閉まらない厚さ七センチほどの金属の箱は、贈答用のお茶が入っていた入れ物だった。
 蓋を開けると書類が乱雑に入っており、その下には古いキーホルダーのようなガラクタも入っていた。奥に小さな木箱が二つあり、朱色で『重要』と書かれた物いれと簡素な筆入れとだった。

 私は村長室の表札に自分の名前を書かねばならず、鉛筆で下書きをしていた。すると後ろにいた剣道八段の村会議員がいきなり筆を取ると、こうですかと言って、彼の名前を書いてしまった。書道もやっていたのか達筆な字で村長の表札に相応しかった。
 表札が一枚無駄になってしまったので、郵便物を運んでいた事務の女性にもう一枚もってくるように頼んだ。探しに出た彼女の後姿は、自前の制服のようだった。

 男はこれから真剣での試合なので緊張していたとのことで、五分刈りの頭で深々とお辞儀をすると、村から車で一時間ほどの競技会場に向かって行ってしまった。もしかして表札は形見のつもりなのかもしれなかった。
 事務の女が無記名の表札は探したけれどなかったと話しにきて、仕方ないので、先ほどの表札の裏に書くことにした。

 現村長が農作業の恰好でやってきて、私は明日からもう来ないので、早いとこ資料に目を通して判子をついてくれと話した。方言でよく聞き取れないのと、どれとどれに判子が必要なのかさっぱりわからなかった。
 役場でお湯を沸かしていたずんぐりした副村長を見つけ、彼に書類を渡して頼むと、ずれていた分厚い眼鏡を戻しながら、だみ声で書類の題名を読み上げ始めた。

 ごくたまに帰郷していたとはいえ、二十年ぶりの山々は懐かしい思い出で一杯だった。明日から村長といっても馴染みは少なく、副村長をはじめ議員らも子供の記憶の中でぼんやりしているに過ぎなかった。事務の女性は私が村を出る頃に生まれたのだろう。
 ただ、何事もいい加減にできない性質で、村にいなかった年月を埋めるべく、役場と一体となって村長を務める気概に満ちていた。

***

 私はまずは明日からの役目のために、村会議員の名簿をもって、それぞれの議員に挨拶しようと、自転車にまたがった。名簿には五名記載されており、私と副村長と剣道八段を除けば二人だった。

 一人は村の入り口の交番のような建物にいる自称警察官だった。彼は少しでも不穏な気持ちになると、シンバルのような自前の楽器を叩いて回るので有名だった。やせ細っている彼は村人からのお裾分けで生活していた。
 彼に自己紹介し、この村に昨年戻ってきて、この度村長に推薦され、誰も立候補がいなかったので明日から村長になる旨を話したが、信じてくれなかった。彼の頭の中では、村長は唯一ひとりでそれは今日までの村長だった。

 もう一人は村一番の土地持ちの太って穏やかな男だった。子沢山で息子や娘らが田畑を耕しており、それを満足そうに眺めて暮らしていた。自己紹介すると握手を求めてきて、彼の汗ばんだ肉厚のてのひらから、村会議員の頼もしさが伝わってきた。

 帰りにのんびりと山を下りてきた高齢の現村長に、長い間お疲れさまでしたと挨拶し、ところで、村長の職務で一番大変だったのは何ですか?と聞いてみた。
 彼はかしこまった顔つきになり、二十年間やってきたが、七八年前の猛暑日に村を荒らしまわったイノシシを捕まえそこなったときかなあと話した。その前の年も大暴れして、子供が尻にけがをして、畑の芋やら白菜やらを食いまくって棒で殴ってもびくともしない奴だったとのことだった。

 先を急ぎながらも尋ねてしまったので、彼の長い話を聞く羽目になっていた。夕方になって、村役場に戻り、事務の女から建物の鍵を受け取り、ようやく落ち着くことができた。

***

 明日から村役場の一室で寝起きすることになっており、一段高くなった狭い和室に入り、届けてもらった衣類や米を確かめた。役場の中を巡って、客間や風呂場の様子を見て、再び和室に戻って、大の字になった。

 この村の将来は自分の肩にかかっていた。この村をよくしよう、と思ったら、急に感極まってきて涙が出てきた。

 洗面所の蛇口をひねると茶色い水が出てきて、風呂用の井戸まで走った。井戸の柱に猿がいて、私の出現に驚いて威嚇する鳴き声を上げた。
 井戸から綺麗な水が出てきてようやく汚くなった顔を洗うことができた。

 村の会議は月に一回で、明日は私の就任式だった。
 井戸から戻ろうとした途端、先ほどの猿が頭に飛びついてきて髪を引っ張って走って逃げていった。
 猿の逃げた森の奥を睨みながら、この村を過疎から立て直そうと決意した。

【村長の引継ぎ】
村長の引継ぎ①《着任の日》
村長の引継ぎ②《就任式の準備》
村長の引継ぎ③《就任式の演説》
村長の引継ぎ④《村長の仕事始め》
村長の引継ぎ⑤《運動会の準備》
村長の引継ぎ⑥《村の運動会》
村長の引継ぎ⑦《若かりし頃》
村長の引継ぎ⑧《新たなゴミ施設》
村長の引継ぎ⑨《分校の準備》
村長の引継ぎ⑩《開校式の準備》
村長の引継ぎ⑪《開校式》
村長の引継ぎ⑫《結婚相手》
村長の引継ぎ⑬《結婚式とその後》
村長の引継ぎ⑭《体験合宿》
村長の引継ぎ⑮《もう二組の結婚》
村長の引継ぎ⑯《謝恩会の準備》
村長の引継ぎ⑰《謝恩会》

以上、読んで頂き、有難うございました。


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