村長の引継ぎ⑰
《謝恩会》
四月三十日の朝が来た。若干風は強いがいい日和となった。
正装して妙な恰好になった議員らが、ばらばらに集まってきた。それに続いて彼らの家族れがましい面持ちで歩いており、その中には、感謝の手紙を秘密裏に持った娘さんらも含まれていた。
細田さんの妹さんも町から夫婦でやってきており、鮒島さんのお母さんも彼の息子らに支えられてやってきた。角島さんは家族全員だとさすがに大人数になるので半分ほどの人数での参加となった。
総勢二十五名ほどで合宿所は満席となり、壇上に貼られた「小此木村村役場謝恩会」を皆が見つめて座っていた。既に料理を準備している隣の台所からはいい匂いがしてきており、腹をぐーと鳴らす者もいて、それを笑う子供らもいた。
10:00-10:30 村長挨拶
10:30-11:30 感謝の言葉と感謝状授与
11:30-12:00 記念撮影
12:00-13:30 慰労会
私が演壇後ろの黒板にこう書くと、感謝の言葉って誰が言うのだろうと、そわそわした雰囲気があった。各議員ももしかして自分が誰かに感謝するのかと勘違いしている者もいた。
私は里美がそれぞれに秘密だよと念押ししてもらっているので、聴衆の中に、不安と期待と高揚と緊張が水面下でひしめいているのをワクワクした気分で楽しんでいた。
***
私からの挨拶は、長年の役場勤務のお礼とともに、山形さんから書いてもらった、それぞれの議員活動のエピソードを紹介した。
まずは鮒島さん、長年の役場勤務有難うございます。山形さんからはこのような話を頂きました。
「貴殿は七年前に役場の井戸に落ちた子ザルを救ってくれました。その猿は立派に成長し、その後井戸を自分の縄張りとし、私も随分威嚇されましたが、そうした優しい気持ちが大切かと思います」
鮒島さんは怪訝な顔をしており、私も事前によく読んでおくべきだったと反省しながらも、先を続けた。
山那さん、長年の監査役有難うございます。山形さんからは「貴殿が十二年前にもう役場の仕事は辞めると言った際、渓谷で採れたイワナを奥様にお届けしたところ、その話はなくなり、それから毎年イワナをお届けしていましたが、イワナはもはや高級魚ですので、今後は辞めるとイワナいでください」
しゃれなのかなんなのかわからない文章で、私も戸惑ったが、山那さんと奥さんも山形さんの姿を探していた。
丁度遅れてきた前村長の山形さんは、私が彼のメモを読み上げているのを見て、焦っていた。河野さんが彼に呼ばれて、彼女が私の元に小さな紙きれを置いてくれた。「それは慰労会用です」と書いてあった。
私は、山形さんからの話は全て慰労会向けの内容でしたと詫びたが、集まった連中は面白がって、村長、いいよーいいよー、先を読んでくれとのこと。
山形さんのメモを先読みすると、安田さんの家で下着泥棒があり、奥さんが大騒ぎしたが、娘さんが履いていたという話や、細田さんが村はずれの小屋を建てて一人で住み始めたが、その軒下に狸一家が暮らしていた話、そして角島さんが若い頃に村の相撲大会で優勝したが危うくまわしが取れそうになったことなど、どうでもいい話が続き、顔を上げて、私の知る限りの彼らの貢献活動と感謝を込めた話に切り替えていった。
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次に感謝の言葉と感謝状授与に入ります、と司会の副村長が標準語で喋ってしまうと、おやー、鮒やんどうしたー、というヤジが飛んだ。急にあか抜けたなあ、東京さ、行ったべかーと、もはや慰労会の気楽さを呈していた。
そこへ、今回依頼した五名の娘さん妹さんお母さんが壇上に並びだした。
鮒嶋さんが先のヤジで動揺してしまったので、私の方から、それぞれ議員の皆さまへの感謝を述べて頂いた後に、感謝状を授与いたします、と言うと、皆一斉におーという声と拍手がわいた。
まんずは、安田さんの娘さんおねげーします、と副村長。
はい、安田議員の娘のゆかりです、今回、お父さんが長年役場の手伝いをしていたということで、実は余り知らなかったのですが、ときどき畑仕事を抜け出して、村の催しものを手伝っていたのはそういうわけだったということがわかりました。私と弟は、お父さんの勧めで剣道と書道を習っていますが、議員の子としてさらに一生懸命精進したいと思います。あと、村長室の札は父が書いたと聞いています。
娘さんが原稿用紙を両手に掲げて読んでいるのを見て、安田議員は目頭を熱くしていた。それを見た長髪の息子さんが、とーちゃん泣くな!議員だろ!と言って笑いを誘っていた。
感謝状、安田健二殿、あなたは小此木村の村会議員として、長年に亘って村の運営に貢献して頂いたことをここに感謝します、云々。
次に、角島の娘さんおねげーします。
その後、細田の妹さん、山那の娘さん、鮒島さんのお母さんと続いて、皆笑ったり泣いたりしんみりしたりと会場の二十五名は感情の波を一つにしていた。
皆、議員の仕事を感謝されるというよりも、今日まで元気でいてくれてありがとうといった主旨になっており、それはそれでいいものだと聞いていた。
鮒島さんのお母さんが読めない手紙を読んでいる風に話始め、鮒島さんが驚いていると、シーンとした中で、息子さんの、ばあちゃんスゲーという声援が飛んだ。
このあほたれ息子が副村長という大役を仰せつかって役場にお世話になっており、本当に山形さんと葛西村長に感謝しております、と続け、しかしあほはあほなりに一生懸命村のためにやっておりますので、どうかご勘弁くだせえ、と言い始め、みんな納得しながらも涙を誘っていた。
計十回ほど九十近い親からあほと言われた鮒島さんは、目を真っ赤にして廊下に出て行ってしまった。
後日談で、里美に、お前、鮒島さんのお母さんの手紙に何度も阿呆と書いたのか、ときいたところ、そんなことあるわけないでしょ、沢山褒めていた内容だったわよ、多分照れ臭かったんでしょ、と男は鈍いわねといいたそうな返答だった。
そうして、感謝の言葉の時間も終わって写真撮影に移ろうとしたら、いきなり里美が母親を連れて壇上に上がり、私達からは、村長の母親と家内として、皆さまに感謝いたします。と始めた。あー、自分もやりかったんだなーと思いつつ、里美は私がこの二年間で村のためにやってきたことを改めて話し始めた。それがまた私よりも立派な演説であり、多くの拍手の中、満足げに壇上を下りていった。
その後の記念撮影、慰労会と、議員とその家族の集まりは顔なじみも多く、和気あいあいとした時間が過ぎていき、謝恩会は成功裏に終わっていった。
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こうして、村長になって二年が過ぎようとし、引継ぎの日から始まった私の話も、一旦終わりにしようと思います。
お付き合いいただいた皆様、有難うございました。
【村長の引継ぎ】
最初の話:村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑯《謝恩会の準備》
この話:村長の引継ぎ⑰《謝恩会》
この話がラストです。最後までお読み頂き、有難うございました。