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亀との日々

 仕事でいくつかのトラブルを抱えている日々だった。気分転換で自転車で三十分ほどの沼に向かった。そこから農道を通って河川に向かい、ぐるりと田舎道を通って戻るコースだ。沼沿いを漕いでいると丸い障害物が道路わきにあり、通り過ぎてから亀かなと戻って、それを手に取った。生後それほど経っていないクサガメだった。車に牽いてくれという位置にいたので、一旦沼の脇の雑草の中に戻したが、ふと飼ってみようかという気になり、ショルダーバッグのプラスチック箱に入れて急いで自宅に戻った。
 そいつを入れる水槽を買い、甲羅干しできる石を入れ、陰になれるような屋根を工夫し、餌を買い、空気ポンプをセットし、少しずつ亀の生活環境を充実していった。妻が毎日「カメちゃん、カメちゃん」と餌を与えていた。すぐに水が汚れるので毎朝入れ替えるのが日課になっていた。ときどき静かにしていると鳴き声が分かったりしていた。
 二三ヶ月が経ち、大きくなってくると、首を伸ばして水槽から脱出する事件が二回ほどあった。夜中にリビングからガサゴソと音がして、家具の隙間の中に入って埃まみれになっていた。深夜に妻が大声で「カメちゃんがいない」と大騒ぎで探したこともあった。しばらく家族の話題は亀だった。
 その後、娘が子猫をもらってきた。ムギという名前を付けて、最初はゲージに入れていたが、簡単に飛び出せるようになったので、小さい部屋に古タオルを敷きつめ、その子の部屋にした。仕事で外出時はその部屋に閉じ込めておくようにした。
 仕事に疲れて帰ってきて、猫じゃらしで遊ぶのが楽しみだった。時折驚くほど高く跳びあがり、そうした様子やミルクを必死に飲む姿などを慈しんでみていた。
 徐々に体もしっかりしてきて、リビングの亀に興味をもったのか、その小部屋から自力で出て、気が付くと亀の水槽を叩いたりしていた。そのたびに小部屋に戻し、ドアを開けられないように荷物を置いたりしていた。しかしどうやって自力でドアを開けられたのだろうと、夫婦で観察し、ピアノの上から取っ手に飛び乗り、その振動で少し空いたドアを咄嗟に爪で開ける隠れ技を発見することができた。そうした子猫の賢さは団らんを明るくしていた。
 妻も娘も私も、可愛い姿で可愛い声で泣くムギに夢中で、亀のことは、ときどき覗き込んで、ときどき水を替えるくらいになっていた。そうしているうちに、亀の首回りに白い粒々ができて、調べると水カビ病だということで、娘はイソジンを薄めた水で治療していた。
 数か月が経ち、娘が一人暮らしをすることになり、子猫のムギも連れていくことになった。娘とムギが出ていった後、広い空間となったリビングで、すぐにカメちゃんを思い出した妻は、亀の水槽が汚いことで私を責めた。
 その夜、丁度子猫が出ていった日の夜、亀は水槽の中で甲羅を干しながら動かなくなっていた。気が付いて甲羅をもって左右に振ったが、振られるままの手足だった。妻にこのことを伝えると、冬眠かもしれないと、一層激しく振ってから、私に戻した。
 子猫の引っ越しともに亡くなった不思議を娘に伝えると、亀も連れて行けばよかったと電話越しで泣いていた。
 名前はカメで、きちんと名付けられないままの一生だった。
 翌朝は快晴だった。亀の死体を紙に包んで元の沼まで戻しに行った。
 沼に着いて、ポケットから紙包みを取り出し、拾った場所から寸分違わず位置に戻してみた。立ち去る間際に、後方から軽トラックが走ってきて亀すれすれを横切った。亀を取りに行こうとした途端、続けてダンプカーが走ってきた。私は道路脇から亀の姿を凝視していた。亀はダンプの前輪の内側をかすって、カーンという音を立てて車のボディにぶつかって跳ね返された。
 亀は道路の中央まで転がり、白い砂ぼこりまみれて甲羅が割れていた。それまで生きていたような気がしてきて、亀が今さっき死んだと思った。
 小さな音がして振り返ると、拾ったときと全く同じ大きさの子亀が歩いていた。
 私は咄嗟にそれを拾って、沼に向かった空高く放り投げた。


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