タイムパラドクス治験

■実験■
ようやくタイムスリップの原理が解明された。だが、タイムマシンが実用化されるには、まだ重大な課題が残っていた。
タイムパラドクスの危険性についてである。
本人にどんな影響を及ぼしてしまうのか、世界自体はどうなってしまうのか。
タイムスリップの原理から様々な考察がなされ多くの論文が発表されたが、とうとう確証にはいたらかった。


これは、実験をしなければならない。






□青年□
その青年はお金に困っていた。
ギャンブルに負け、次の給料日まで53円で生活をしなければならない。冷蔵庫には使う予定の無い味噌だけ入っている。どこかに手軽でお金になる日払いのアルバイトは無いものか、などと考えているところに、そのチラシは届いた。
一風変わった治験の募集だった。
募集の条件はクリアしている。そして、目を疑うほどの高額な報酬だ。ただ、募集期限が今日までだ。直ぐにチラシに書いてある番号に電話をかける。すると、早くも明日に診断をしてくれるという。そこで適性を判断され、その場で直ぐに正式に治験がスタートするらしい。


53円で駄菓子を買い、腹ごしらえ。明日の治験に備え、早めに布団に入った。
ぐー、とお腹が鳴る。






■実験■
チラシは大学生をターゲットに全国で配られた。あまり噂が広まらないように期限を極端に短くし、内容も限定的な表現に留めた。
それにも関わらず応募は殺到した。条件が易しい事と、報酬が高額だったことが原因だ。
応募が多くても実験に問題は無い。多くの結果が得られるのであれば、それに超したことはない。


当日、当初の予定の三倍近くの大学生が施設に訪れた。






□青年□
青年は施設の大きさに驚き、また、集まった人の量に驚いた。これが皆応募者だとすると適性審査が物凄く厳しくなるのではないか、などと半ば報酬を諦め、今日のご飯をどうするかについて考え始めていた。
入口で整理券が配られた。番号が一つずつ呼ばれ、一人ずつ奥の部屋に消えていく。青年はじっと番号が呼ばれるのを待った。
ぐー、とお腹が鳴る。






■実験■
適性審査はタイムパラドクスを確実に起こさせるために必要ないくつかの質問をするだけだった。
「一人暮らしですか。」
「昨日は一人で家にいましたか。」
「チラシを見たのはあなただけですか。」
「チラシを見たのは午後5時以降ですか。」
非常に少ないこの質問だが、十分に適性は計れる。適性審査は滞りなく進められた。






□青年□
青年は適性審査に合格したようだ。
奥の部屋に案内され、そこで初めて実験の内容を聞くことになる。絵に描いた博士のような白衣のおじいさんが言う。


「この装置を使い」「タイムスリップをして」「昨日に戻り」「昨日の自分が見る前に」「自分の家の募集チラシを取ってくること。」


青年はタイムスリップなどこれっぽっちも信じなかったが、部屋中に黒いサングラスをかけた屈強な男がいたこともあり、黙って装置を受け取るしかなかった。
ゴテゴテしたフルフェイスヘルメット型の機械。
青年は指示されるまま恐る恐る装置に頭を突っ込んだ。内側もゴテゴテしていて、特にこめかみの辺りが痛い。
眼前のシールド部分のディスプレイには昨日の日付が映し出されている。
うまく装置がフィットしなくて、苦しんでいると、ディスプレイに映る日付の奥で博士が合図を出したように見えた。
ぐー、とお腹が鳴る。






■実験■
適正審査の全工程が終了した。どういうわけか、審査には誰一人合格しなかった。応募した全員がいずれかの質問にノーと答えたのだ。






□青年□
青年が装置を取ると、施設の外だった。
状況が掴めず周りを見ると、施設の時計に昨日の日付か表示されている。
信じがたいが、どうやら本当にタイムスリップをしたようだ。
多少はこの事実に興奮をしたが、そんなことよりもおなかが減っている。さっさとチラシを取って帰ることを考えていた。
ぐー、とお腹が鳴る。






■実験■
研究者は一人も合格者が出なかったことについて、話し合った。
これからどうするか、再度応募を行うのか、質問内容を検討するのか、いやそんなことよりも、何故一人も合格者が出なかったのか。






□青年□
アパートの前に着いた。
今頃昨日の自分はパチンコ屋だ。今すぐそこへ向かい「やめろ大負けするぞ」と忠告をしに行きたいところだが、自分に会うのは禁止事項であったし、なによりそんな忠告を聞く人間だったらこんなにお腹は減っていない。
おとなしく指示通り郵便受けに入っているチラシを抜き取った。さっさと帰って報酬を貰いお腹一杯焼肉でも食べたい、と考えていた。
ぐー、とお腹が鳴る。






■実験■
研究者達は一つの結論に至った。
合格者にはタイムスリップをして応募チラシを取ってくるよう指示を出す予定だった。
そのため、合格者になるはずの人は合格をしたが故に応募をしてこなかったのだ、と。
つまり、どういうことだ。






□青年□
施設に帰る途中、カフェのガラスに写る自らの様子を見て、青年は思わず叫び声をあげた。
体が透けている。あまりにお腹が減っているので栄養失調ではないかと疑ったが、そんなわけがない。
どんどんと体は透けていき、いよいよ体に力が入らなくなってきた。存在が消えているのだ。
こんなことなら戸棚の奥に取っておいたクッキーを食べてしまえばよかった、などと考えながら、青年は元の世界もろとも消えてしまった。
鳴るお腹はもう無い。






■実験■
この世界はまだ誰もタイムスリップをしていない。だが、タイムスリップをした人による影響を受けている。
つまり、タイムパラドクスは発生したのだ。世界は無事だ。実験は成功したのだ。
この喜ばしい事実を受けて、タイムマシンは実用化されることになるだろう。
その通り。消えていった世界のことなど気にする必要は無い。確かに、残った世界は無事なのだ。






■青年■
なんと良い、日払いのアルバイトを見つけたものだ。
ヒラメとカレイを仕分ける、という仕事だ。
仕事終わりに食べる寿司の事を考えると、ひときわ大きく、ぐーとお腹が鳴った。




カフェの前で応募チラシが風に吹かれ空に飛んで行った。

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夢蒟蒻
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