AIのべりすとに文章を作ってもらったら哲学を始めた
AIのべりすとに書いてもらった文章。
多分タイトルは「おやつ」
お腹が減っている時ほど、何かを食べたいと思うものはない。
そして食べ始めるとすぐに満腹になってしまう。
そんな経験は無いだろうか?
例えば、朝起きてから何時間か経って、ようやく空腹感を覚えたとする。
さあ、朝食を作ろうと思い立ち冷蔵庫を開けるとそこには、牛乳しかないという事がある。
それならまあいいかと諦めるかといえばそうではない。お腹が減ると人は苛立つもので、どうしても食べ物を口に入れたくなるものだ。
しかし今ある食料は牛乳だけ。この牛乳はいつ買ったものなのかすら定かではない。
そこで、ふと考える。
もし自分がこの場に居なかったら一体どうなるんだろう?
まず間違いなく冷蔵庫には牛乳以外何も入っていないだろう。そして、その牛乳だって飲めるかどうか怪しいものだ。
そこまで想像したところでハッとする。
何故なら僕はここに居るからだ!
僕の頭の中で繰り広げられる空想の世界に僕自身は存在していない。当然だ。
この世界に存在する人間は一人だけでいい。それが当たり前なのだ。
ならば、もしも僕がどこか遠い所に旅行に行ってしまった場合、どうなってしまうのだろうか。
僕が旅立った後に誰かがここを訪れる。しかしその時に牛乳が無かったら?
仮に留守中に泥棒が入ったとしたら? その人も牛乳を飲むために冷蔵庫を開けてしまうのではないか。そして、そこには何も無い。慌てて外に出るが既に遅い。空きっ腹のまま外に飛び出してしまい、結局飢え死にしてしまうではないか。
こうして考えると、おやつは適量に留めておくべきだと思えてくる。
また、お腹が減っている時は我慢するべきだと思うのだ。
そうすればいつか必ず良い事が有るはずなのだ。
経緯と感想
適当に昔作った文章をAIのべりすとに読ませ、続きを書いてもらおうと試してみた。
そうしたところ、いきなり「おやつ」と記載した後に冷蔵庫に入った牛乳の話を書き始めた。続きはどうしたんだよ!?と思いながらも、意味が破綻するところを消しながら、加筆はせずにひたすら文章を紡いでもらった。
突然「そこで、ふと考える。」の一文。その後、自分が存在しない世界を想像し始める。にもかかわらず、この牛乳は未だ冷蔵庫の中にある。
続いて「僕の頭の中で繰り広げられる空想の世界に僕自身は存在していない。」と、興味深い考えを披露する。
空想上の自分は自分ではなく、空想上の世界そのものが自分なのだ、ということだろう(きっと多分)
仮定を変更し、現実に即して自分が旅行に行った後の冷蔵庫のことを考え始める。
泥棒に入られ、そして餓死する。この部分は論理が吹き飛んでいて爽快だ。
そんなとんでもない想像の後、出した結論が「おやつは適量に留めておくべき」「お腹が減っている時は我慢するべき」という、非常に全うなもので面白かった。
おやつを我慢したら良い事があるってさ。