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誰かを好きでいるという幸せ

距離が愛おしさを増してくれる。

会いたい人がいる。会いたすぎて泣いちゃうくらい、会いたいと思える人がいる。だけど会えなくて、ひとり寂しい夜もある。そして、この文章を書いている今こそがその時である。しかしそういう時に気づくのだ、わたしはこの人のことが好きなんだと。

それはもちろん、会っている時に好きだと思うこともある。だけど、今か今かと会う瞬間を待ち望んでいるときの方がドキドキするし、想いが強くなる。そして、離れているときの方が自分の気持ちに正直になれる。離れているときの方が考えてしまう。あの人は今何をしているのか、誰とどこにいて何を見ているのか、しっかりご飯を食べているのか、仕事はうまくいっているのか、些細なことでイラついてないか、笑えているか、、
それはもう、頭の中がその人でいっぱいになってしまうほど。そして思う、あぁ好きなんだと。

実際に対面していると自分の気持ちと向き合えないこともある。目の前にいる人に向けた自分を作ってしまう。時には自分を演じてしまい、本音を秘めてしまう。そんな時は、自分にも向き合えていない。自分がどう見えているかよりも自分がどう見られているかを考えている。そう思うと、やはり距離が気づかせてくれるものは大きい。

人間、何事も当たり前だと思っているうちは、そのことについて考えることをしない。存在そのものが自然だと思っているから。しかしそんなものはない。自然も物も人も有限である。それは失ってから気づく。そして取り返しがつかず、後悔する。だからこそ、その当たり前を切り離して考えることも時には必要なのだと思う。会いたい気持ちを抑えて内省するためには、距離が必要なのである。


と、まあ最もらしいことを綴ってみたのだが、正直ひとりの寂しさを紛らわすための自己肯定から生まれた言葉たちである。だから、どんな感情も表現してみるといい。寂しさも苦しさも辛さも楽しさも。そうすると、自分の知らない自分が見えてくる。自分の気持ちに向き合うための手段になる。自分を感情に支配されなくなる。


今を生きる


いつ、どんなときも、忘れたくない。目の前にいる人を大切にしたい。人を好きであるという気持ちを大切にしたい。その時間に限りがあることを忘れずに、瞬間瞬間の幸せを噛み締めていきたい。忘れなることのないように心に刻んでいきたい。

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