僕らは奇跡でできている
家に帰ってきてベランダから外を眺めてみるとワクワクする景色が広がっていた。夕焼けの綺麗なオレンジ色の空、その上にはグレーの曇り空。それから、夕陽の色を浴びた雲と、曇天に溶け込んだ雲。強い風が吹いているのか雲の流れは早くて、一分一秒たりとも同じ景色は続いてはくれない。シャッターを切った瞬間、その景色は過去のものとなっている。ファインダーを覗いた景色と肉眼で見た景色は、どれもこれも違っていて、この瞬間を正しく切り取ることはできないのだと少し残念に思った。そんな景色を眺めているといろんなものがどうでもよく感じてしまう。わたしの中のもやもやとか、知っている言葉をつなぎ合わせて作った会話とか、大切に思いたかったこととか。自然は壮大であると感じながら、虚無感に襲われていた。本当に大切なことは何か、教えてくれている気がした。
そんな儚い景色を、 日が沈むまでずっと眺めていた。日没後もその余韻が残っていて、足を部屋に運ぶのが遅れてしまった。太陽は行ってしまったのに、そこには行き場のないわたしがいて、置いていかれたような気になった。今日が終わりを迎えようと準備をしているのに、今日を終わらせてしまうのが名残惜しく感じてしまうわたしがいる。駄々をこねるように無作為に気持ちだけが足掻いている。その気持ちの独りよがりで、行動は何も伴わない。うずうずしている心と、何とかしたいのに行き場がわからず迷子状態の身体。
「ああ、もうすぐ今日が終わる。」
何となく悲しい気持ちになってしまう。
しかしそんなことを考えていても、沈んだ太陽を持ち上げることはできないし、さっき見ていた景色を再現することもできないし、発してしまった言葉を無かったこともできない。その一瞬一瞬が奇跡のようなものだったのだと、後になって気づいた。その一瞬がなければ今のわたしはいないし、先祖代々一瞬を重ねてきた結果この時代がある。 見る もの聴くこと感じること、そこに在る物、出会う人、芽生える想い、全部奇跡なんだと。一つも欠かすことができない生き物の軌道。苦しいことも悲しいことも辛いことも楽しいことも嬉しいことも面白いことも、全部大切。自分の生きた証、生命が存在した標。大切に刻んでいこう。僕らは奇跡でできているのだから。