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現在の変革期に考える: お陰様ということ 渋沢栄一 3 & 全般的なこと

今回は力作です。

個人的な、責任のない立場で書いている放談なので、それなりにお読みいただけたら幸いです。

やや長文になったので、お時間のある時などにお読みいただければ嬉しいです。

まず、結論めいたことを書きだしてみます。

■ 「経済成長神話」は、崩壊している?

■ 「資本主義」的な考え方は歴史的使命を終えた

■ すなわち、「持続可能な社会」の実現や「貧富の格差拡大」の対策には、かえって「経済成長神話」や「資本主義至上主義」が弊害となる

■ 新しい経済システムを考えるにしろ、渋沢栄一(など)が提唱したように「道徳と商売」の両立が必要である

■ 絹(シルク)産業以来、日本は海外の発明品の応用技術で発展してきた。現在は、AI、ロボット、ロケット、ITなどの新技術の黎明期ととらえると、今後の日本はその得意な応用技術を駆使しての大いなる発展が望める、という考えも成り立つ


1. 全般的なこと

繰り返すことになるのでしつこいようですが、大事なことなので再々度書きます。

「持続可能な社会の実現」「富負の格差社会をなくす」ことが、現在の日本・世界の大きな課題だと私は思っており、その解決方法について考えています。

(1)  「経済成長神話」について

 ①   巷でよく主張されるのが、経済成長さえ実現できれば問題の多くは解決できるという、「経済成長神話」です。つまり、みなが貧乏なのは経済成長が足りないからだ、という論理です。

 ②   また、「持続可能な社会の実現」のためにも、経済成長によって国費を増やし、そのお金を使ってその対策費に当てればよい、という論理もあります。

 ・・・ それは本当でしょうか?

(2)  「資本主義」的な考えが諸悪の根源だった

 ① 私は、現在の異常気象などの「自然の脅威」や、「極端な貧富の格差」とその拡大現象は、「資本主義」経済が諸悪の根源であると思い至っています。

  1-①の、みなが貧乏になってきているのは、「経済成長」が足りないというよりも、

「富の偏在」、つまり、お金持ち(経営者)が貧乏人(労働者階級)から、時間やお金を搾取するという、「資本主義の基本構造」が原因です。

  1-②の、「持続可能な社会」の実現のためには、お金持ち(経営者)が自然(資源、森林、CO2量)からの搾取やバランスを壊すことを止めさせなければならないのに、

「経済成長」をすればするほど、環境破壊が酷くなるのです。

資本主義経済」の基では、その環境破壊の程度が増し、加速されます。

 ・・・ アダム・スミスの「国富論」での、「神の見えざる手」により、「資本主義」下では、自然に皆が豊かになってゆく、という考え方は誤りだったのでしょうか?

(3)  「資本主義」一辺倒の考え方は直さなければならない

 上記の「資本主義的考え」は誤りだったのか?については、「誤りだった」と言わざるを得ないということです。

  つまり、アダム・スミスの言う「富」とは、国家やお金持ち(経営者)にだけ向けられた言葉で、

それと同様の「失われた富」、つまり、労働者が奪われた富、自然界から失われた「富」を勘案していないので、致命的な考え方の欠陥を有しています。

  対策としては、次が考えられます。

  a. 「資本主義を止める」

  b. 「資本主義」的な考え方を改めて、

   労働者層(貧乏な人たち)や、自然界に、「富を還元する」

  c.「資本主義」下にあっても、規制や法律、税の設定などで、

           強制的に「富の偏在」をなくす

        d. 物を節約して、「大量生産・大量消費」に陥らないようにする

  e.  その他

(4) 「資本主義」は歴史的使命を終えた?

  a.  ただ、現在の「生活」面での便利で快適な製品や機器であふれる、「物質文明」の進展の原動力に「資本主義」的経済成長があったのは間違いないところだと思いますので、一方的に「資本主義」を責める気はしません。

  b.  現在、生活面での便利で快適な製品や機器が整った状態では、もはや弊害を犯してまで「資本主義」の欠陥を放置できず、

  「資本主義」は歴史的使命を終えた、と個人的には思います。

(5)  渋沢栄一を取り上げた理由

 そこで、渋沢栄一が提唱して実践し、成功を収めた、「道徳と商売」の両立が、「資本主義」の欠点を補いうるのではないか?と考えて、

本まとめ「現在の変革期に考える: お陰様ということ 渋沢栄一」シリーズを続けている、ということです。

渋沢栄一に関する内容は、今回で最終回とします。

(6)  今までの内容


2. 富岡製糸場の見学

コロナ過の緊急事態宣言が発令される前に、見学してきました。

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(1)  富岡製糸場は、自宅から約110km、高速を通って車で 1 時間 45分くらいの場所にあります。歴史的に有名な施設とは知りながら、素通りしていました。(群馬県富岡市)

(2)  2000年前後から一部の先覚者達が、日本が明治維新以来の変革期になるという論調があり、最近、1章の内容にて結論付けています。

そして、混乱状態の解決の一端が、この富岡製糸場を設立した渋沢栄一の考え方にもあった、ということに気付きました。

えっ「富岡製糸場」って、そんなに重要な場所だったのか?と思い至って、見学に行ったというのが実際のところです。

(3)  渋沢栄一が明治5年に設立した「富岡製糸場」は、日本初の本格的な生糸・絹(シルク)の製作工場です。幕末に輸出産業であった生糸は粗悪品が横行して評判を落としたため、西洋から、品質や生産量確保のため、技術や機器を、下記方針の基、導入しました。

(方針)1つ目は洋式の製糸技術を導入すること、2つ目は外国人を指導者とすること、3つ目は全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り、器械製糸の指導者とすること。

(4)  そして、明治維新後の西洋流の産業形態の出発点が、この「富岡製糸場」であり、「世界遺産」にまで指定されることとなっています。

(5)  その後、品質の良い絹(シルク)は日本の輸出産業の花形になり、日本の発展に貢献しました。

確か、私の小学校の教科書では、まだ絹生産が日本の産業の一角を占めていたように記憶しています。

(6)  見学しての感想は、思っていたよりも多様な建物のある大きな施設(工場)であったということと、あちこちに、明治の黎明期のいぶきのようなものを感じました。

(当時の工場内部の配置)

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・ 使用したレンガは、渋沢の地元で生産され、工場のコンクリート作りの柱は、木材使用と、様々な工夫や苦心の跡が見て取れました。

・ 技術指導はフランス人、ポール・ブリュナによって行われましたが、施設内の中ほどには、彼の家族が住む邸宅が建てられていました。(家族同伴での異国での生活は大変だっただろうなとか、意外と楽しんでいたかもとか、思いました)

・ 政府の役人の一人、尾高惇忠とポール・ブリュナらが武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、富岡に場所を決定した、ということです。

・ 封建的な江戸時代から明治維新を経て、明治になってからまだ 5  年というのに、近代的な大規模の工場や諸施設を作り上げた、渋沢栄一という人物の、発想力の豊かさ、外国との交渉力、実務・実施能力、度量の大きさなどが想像でき、改めて感心しました。

・ 富岡製糸場にみられるように、絹(シルク)産業以来、日本は海外の発明品の応用技術で発展してきました。現在は、AI、ロボット、ロケット、ITなどの新技術の黎明期ととらえると、今後の日本はその得意な応用技術を駆使しての大いなる発展が望める、という考えも成り立つと思います。

(7)  富岡製糸場の全容については、下の資料をご覧いただければ、良く分かると思います。


3. 当時の状況(「論語と算盤」より)

富岡製糸場を見学して分かった、当時の実際の渋沢栄一を取り巻く状況は、渋沢栄一の晩年の著書「論語と算盤」にても、うかがい知ることが出来ます。

(1)  明治 6 年の出来事ですが、もっと昔の二宮尊徳の話も出てきました。

私の読んだ旧版はやや分かりずらいので、「現代語訳 論語と算盤」の件を下記します。

渋沢栄一が、まだ平の大蔵官僚だったころ、突然(偉い)参議の西郷隆盛が訪れ、相馬藩の「興国安民法」という二宮尊徳が作った財政法を廃止しないように頼み込んだ。「その内容を知っているのか?」と西郷に尋ねたところ、「全く知らない」と答えた。渋沢はこの内容を説明したうえで、「確かに良い方法であるが、あなたは国全体を考えるべきだ」と、いさめると、西郷はその直言を受け、静かに帰って行った。渋沢はこのエピソードを上げ、知らないことを知らないと素直に言える西郷は、素晴らしい豪傑だったと評している

西郷の器は大きいが、それを評した渋沢も大きい、といった内容です。

(注)二宮尊徳が考え出した「興国安民法」という財政再建方法を、相馬藩が採用したということである。「興国安民法」とは、収入の少ない年を基準としてお金を使い、あまったら収入を増やす為に使用するという方法。 つまり収入を考えて支出を考えるということ、である。

(2)  私が小学校の低学年時の、道徳の時間で記憶に残っているもののひとつは、二宮金次郎(尊徳)のお話です。

家が貧しかったので、薪を背負いながら本を勉強し、偉いお役人にまでのぼりつめたという、あの内容です。「勤勉努力」の代表者みたいな扱いだったと思います。

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(3)  私が知らなかったというだけのことかも知れませんが、渋沢栄一と二宮尊徳とは全く接点がないように思っていましたが、上記のような出来事があったとのことです。しかも、西郷隆盛が訪ねていたとは、驚きです。

そして、二宮尊徳は、私が今問題にしている「道徳」の代名詞みたいな存在だと思います。

人は、さまざまに行きかい、影響し合って、世の中が流れて行くものだな、と思いました。

折しも、富岡製糸場の「生糸」の話があり、中島みゆきさんの代表曲「糸」が頭に流れてくるようです。

ということで、お後がよろしいようで・・・。いや、もう少し続けます。


4. 全体の結論

■ 「経済成長神話」は、崩壊している

■ 「資本主義」的な考え方は歴史的使命を終えた

■ すなわち、「持続可能な社会」の実現や「貧富の格差拡大」の対策には、かえって「経済成長神話」や「資本主義至上主義」が弊害となる

■ 新しい経済システムを考えるにしろ、渋沢栄一(など)が提唱したように「道徳と商売」の両立が必要である

■ 絹(シルク)産業以来、日本は海外の発明品の応用技術で発展してきた。現在は、AI、ロボット、ロケット、ITなどの新技術の黎明期ととらえると、今後の日本はその得意な応用技術を駆使しての大いなる発展が望める、という考えも成り立つ


・・・ 渋沢などが提唱する、「皆が幸せになる社会や経済」を目指さなければ現在の混乱した時代は改善されないように、私個人としては思います。

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長文ながら、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

これで、渋沢栄一に関連する本シリーズは終了します。

台風14号が、当地方面に向かっていますが、当方は車を移動したりして対応済です。どちら様も、お気を付け下さい。

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