心のオアシスが必要
世知辛い世の中や人生行路を歩んでゆくには、心が和むもの、ホッとするもの、例えば「オアシス」のようなものを、誰でも心の中に抱いていると思います。
1. 私の心のオアシスのひとつ
私が子供の頃は、プロテスタント系の教会が経営する幼稚園に通いました。
私の心の「オアシス」のひとつは、間違いなく、この教会兼幼稚園に代表される、当時の情景です。
幼児期の親の庇護のもと「心地よい精神状態」にあり、また善良で規範的な環境に思えた「幼稚園および教会」の、なんというか、「当時受けた良好なる場の雰囲気」といったものが、心の奥底に根付いているようです。
特に、大したことがあった訳ではなく、またその後、キリスト教徒になったわけでもないのですが、 この「良好なる場の雰囲気」といったものを、幼児期に得られた、ということは、自分にとってプラスであったように思います。
そしてまた、人間は善なるもの、美しくあるべきものといった、ややクラシックな考えかもしれませんが、
「真、善、美」が大切だという感覚は、このへんから心の奥底に住みついているように、今となって感じます。
2. 現実は綺麗ごとだけではない
人間は、まっさらな心の状態で生まれ、最初は親の庇護のもとで多くは心地よい精神状態で育ちます。
しかしまた、自我が芽生えてきて、不都合なことに遭遇したりして、心の傷、トラウマを持ったりするようになります。
それを癒すのもまた、心の中にあるオアシスだと思いますし、何でもいいですが多ければ多いほど良いと感じます。
しかしその後、少年期、青年期などに持つようにもなるのですが、このトラウマが、人生の様々な場面で悪さを発揮するということに気づきました。
3. どうすれば良いか
事実は変わりませんが、「考え方を変える」「解釈の仕方を変える」、すなわち「ポジティブな意味づけ」にすることで、トラウマは解消するということに気が付きました。
また、不都合なことにあっても、トラウマにならないように、立ち回るようにしています。
そして、現在は、種々の試行錯誤もあり、あまりわだかまりを持たずに、比較的「平穏な心」を保ち得ています。
4. まとめ
まとめをどう書くかで止まっていたのですが、ああそうだ!!,
という内容が浮かびました。
過去でも現在でも、「心のオアシス」になるようなもの抱いていれば、
心が平穏に保て、生きやすくなるし、物事がうまく運びやすくなると思います。
それならいっそ、考え方を変えて、見るもの聞くものすべて、「心のオアシス」になるようにすればいい、と思います。
難しいながらも、
悪口を言ったり、嫉妬や妬みの感情にとらわれず、
積極的な肯定的な考えをして、出来れば「世のため人のためになる」ことを行動規範にすれば良い、
その方が、「気分がよく」保てるのではないか、と思います。
「言うは易し、行い難し」のことですが、
その方法については、試行錯誤中ながらも、本ブログにて書いてゆきたいと思います。
やや、「竜頭蛇尾」な感じになりましたが、これで終わります。
(写真は、インターネットからのフリー素材を使用させていただきました)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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