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手を伸ばして【燃え尽きたヤングケアラーを見た大人たち】

家族の介護・情緒的ケアで
バーンアウトしたゆめ🦋

その時の様子や実際の回復方法はコチラ

今回は、介護やケアを担っている私や
燃え尽きている私を
リアルタイムで知る人たちから
どんな風に見えていたか、聞いた。

なかなか自分では
燃え尽きていっていることや
頑張りすぎていることに
リアルタイムでは気づきにくい。

自分で気づいても、周囲が気づいても、
どう対応すれば良いか
わからないこともあるだろう。

声を掛け合うきっかけや
対応の参考にご活用いただけるとうれしい。

※あくまでゆめの場合です。
記す症状・様子が全てではないことを
ご理解いただきますようお願いいたします。

※ゆめは学齢期・青年期に
介護やケアを担うことになったため
大人たちの私への関わりには
教育的な意味も含まれます。

手を伸ばして【燃え尽きたヤングケアラーを見た大人たち】


学校の先生から

全てを諦めているかのようだった。
常になにかに追われているように見えた。
・休み時間は、基本的に寝ていて
 寝ている時はどんなに呼んでも起きない。

専門学校3年生の時の担任から

常に眠そうだった。
食事のとり方が極端だった。
 食べた気配が全くない時もあるし
 3人分くらい食べている?と思う時もあった。
・テスト前でも卒業学年でもないのに
 食事をとりながら教科書を見ていた。
 左手におにぎり、右手にペンなことも。

専科の先生(講師)たちから

ご近所さんから

・まだ高校生なのに
 お母さんや叔母さんの代わりに
 自治会の集まりに来たり
 隣保長の仕事をやったり
していた。
 親世代がまだまだ元気なはずなのに
 代替わりでもしたのかと思った。
膝の曲げ伸ばしが、かなりしんどそう。
 思わず「年寄りか」とツッコみたくなった。
年不相応にしっかりしていると感じた。
 話し方は高校生、話す内容が完全に大人で
 実年齢を知っていても年齢が分からなくなる。

私を年少から知っている方

・常に切羽詰まっていて
 すぐに家の中に入ろうとする。
どこか苦しそう。
 見ているだけのこっちまで
 泣きそうになるくらい。

実家のご近所さん

就労支援事業所の支援員さんから

・たまに幼子を見ているかのように感じる。
 ありふれたものを珍しそうに見ていることも。
・感情の起伏が大きい。
 元気な時と調子を崩した時の差が激しい。
無理やり元気を作っている感じがした。

うさぎさん(サービス管理責任者)

・笑顔の時でも永久にしんどそうだった。
・なんのきっかけもなく、気づくと
 必死に呼吸を整えている時があった。
・問いかけへの返事が全て「大丈夫」だった。

ビアさん(1人目の担当支援員)

・自分の子どもより若い子に、何が起きれば
 ここまで体がボロボロになるのか
 疑問でしかたなかった。
・人と話したり、遠出したり、歌ったりと
 セルフケアをするものの
 明らかに回復が追いついていない。
 自力だけでなんとか出来る範囲を
 大きく超えたストレスを受け続けている。
全てを気合でなんとかしている感じ。
 逆に、気合でどうにかできそうにないものは
 あまりにも諦めが早かった。

かあさん(2人目の担当支援員)

白黒ハッキリつけようとしている。
普通は傷つくであろうところで
 「よくある話よ、この程度」と
 年不相応な、異常な淡白さがある。
家族関係の話になると、表情が消失する。
 返答が周囲の想定と大きくズレる。
・さらっと、さも常識かのように話す内容が
 一般的にはかなり異常事態なことがある。

タバコさん(えらい人)

「忘却」を異常に恐れている。
 自分を忘れられることも
 自分が相手を忘れることも怖い。
手伝われることを嫌う。
 手伝われた瞬間、全ての行動を放棄する。
人が困っていたら、すぐに手伝いに来る。
・人を優先しがち。
 役に立たなければならないと考えている。
・どんなに温かい言葉を並べても
 なんにも響いていない。

お星さん(3人目の担当支援員)


大人たちがしてくれたこと

居場所を奪わないでくれた

手伝いに私が来ると
「これお願い」
「〇〇さんのところに
持って行ってくれる?」と
手伝わせてくれた。

無理に聞かないでくれた

祖母の介護が始まった時
私は15歳だった。

15歳は、外部になにか察され
児童相談所に通報されれば
家に入ってこられる。

私がいなくなれば
祖母、叔母、母、自宅の父の生活、
祖母を愛していて、介護を
『ばあちゃん孝行』と捉えていた面もあった
私の心も、全てが崩壊する。

私たちのことをなんにも知らない
権力と大人たちに、完膚なきまでに
破壊される。

そう考えた私は、成人しても
介護やケアを担っていることを
必死に隠していた。

みんな、私が
「話し、聞いてくれる?」と言うまで
待ち続けてくれた。

教育と承認をくれた

私の場合、心身の成長に重要な時期に
それを支える立場であろう家族(親)が
不安定な状態にあった。

不安定な人に合わせる分
私の方も不安定になっていたし

「普通はこう」「さすがにこれは常識」
みたいなものが、あまり存在しない。

そのため、ただでさえ苦手な
コミュニケーションが
より困難になってしまっている。
「齟齬」という表現では
片付けられないくらいに
前提がみんなと違いすぎて噛み合わない。

母方では祖母と叔母が、
父方では大叔母たちが、
親の役割を補なってくれていたが
14歳で大叔母を亡くし
15歳以降はそういうわけにもいかず・・・

ここにいて良い。ゆめは本当に優しい。
人を気遣うことは本当は難しいことで
誰にでも出来ることではない。
もうちょっと人を信じても良い。
こういう時は、こうすれば良い。
もっと頼って良い。
全部1人でしなくても良い。

きっと本当は、親が教えてくれること。
家族の中で形成されるもの。

私にはそれがなかったので
ほかの大人たちに教えてもらった。

例題が1つ頭の中にあるだけで
場の空気を壊してしまわないかと
薄氷を踏むような感覚ではあったが
周囲と少しは合わせられるようになった。

会話についていけなくても
落ち着いていられるようになった。


手を伸ばして

思ったより、助けてもらえた。
しかも、私も被ケア者である家族も
傷つかない形で。

だから
支え合えたらいいなって思う。

だって、『福祉』って
自分を含めた全員が
年齢も障害も性別も関係なく
幸せであるためのものだと思うから。


手を伸ばして?
その手、つなぎにいくから。

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