手を伸ばして【燃え尽きたヤングケアラーを見た大人たち】
家族の介護・情緒的ケアで
バーンアウトしたゆめ🦋
その時の様子や実際の回復方法はコチラ
今回は、介護やケアを担っている私や
燃え尽きている私を
リアルタイムで知る人たちから
どんな風に見えていたか、聞いた。
なかなか自分では
燃え尽きていっていることや
頑張りすぎていることに
リアルタイムでは気づきにくい。
自分で気づいても、周囲が気づいても、
どう対応すれば良いか
わからないこともあるだろう。
声を掛け合うきっかけや
対応の参考にご活用いただけるとうれしい。
※あくまでゆめの場合です。
記す症状・様子が全てではないことを
ご理解いただきますようお願いいたします。
※ゆめは学齢期・青年期に
介護やケアを担うことになったため
大人たちの私への関わりには
教育的な意味も含まれます。
手を伸ばして【燃え尽きたヤングケアラーを見た大人たち】
学校の先生から
ご近所さんから
就労支援事業所の支援員さんから
大人たちがしてくれたこと
居場所を奪わないでくれた
手伝いに私が来ると
「これお願い」
「〇〇さんのところに
持って行ってくれる?」と
手伝わせてくれた。
無理に聞かないでくれた
祖母の介護が始まった時
私は15歳だった。
15歳は、外部になにか察され
児童相談所に通報されれば
家に入ってこられる。
私がいなくなれば
祖母、叔母、母、自宅の父の生活、
祖母を愛していて、介護を
『ばあちゃん孝行』と捉えていた面もあった
私の心も、全てが崩壊する。
私たちのことをなんにも知らない
権力と大人たちに、完膚なきまでに
破壊される。
そう考えた私は、成人しても
介護やケアを担っていることを
必死に隠していた。
みんな、私が
「話し、聞いてくれる?」と言うまで
待ち続けてくれた。
教育と承認をくれた
私の場合、心身の成長に重要な時期に
それを支える立場であろう家族(親)が
不安定な状態にあった。
不安定な人に合わせる分
私の方も不安定になっていたし
「普通はこう」「さすがにこれは常識」
みたいなものが、あまり存在しない。
そのため、ただでさえ苦手な
コミュニケーションが
より困難になってしまっている。
「齟齬」という表現では
片付けられないくらいに
前提がみんなと違いすぎて噛み合わない。
母方では祖母と叔母が、
父方では大叔母たちが、
親の役割を補なってくれていたが
14歳で大叔母を亡くし
15歳以降はそういうわけにもいかず・・・
きっと本当は、親が教えてくれること。
家族の中で形成されるもの。
私にはそれがなかったので
ほかの大人たちに教えてもらった。
例題が1つ頭の中にあるだけで
場の空気を壊してしまわないかと
薄氷を踏むような感覚ではあったが
周囲と少しは合わせられるようになった。
会話についていけなくても
落ち着いていられるようになった。
手を伸ばして
思ったより、助けてもらえた。
しかも、私も被ケア者である家族も
傷つかない形で。
だから
支え合えたらいいなって思う。
だって、『福祉』って
自分を含めた全員が
年齢も障害も性別も関係なく
幸せであるためのものだと思うから。
手を伸ばして?
その手、つなぎにいくから。