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【後編】雪に芽吹く【燃え尽きからの回復】
前編はコチラ
後編では、家族の介護・情緒的ケアで
燃え尽きてしまった私が
燃え尽きからどうやって回復したか
燃え尽きないために、どのタイミングで
どうすることが理想だと考えているか
書いていく。
おさらい
私が燃え尽きた原因
・周囲からの無責任な期待や発言に
自覚なく応えようとしてしまった
・認知症の祖母の死期を早めた罪悪感
・まるで、愛する祖母を嫌っているかのような
早くいなくなってほしかったかのような考えを
自分がしているように感じて、嫌悪と軽蔑
・自分の名前を誰からも呼ばれなくなり
「私」が失われたことによる虚しさ
・倒れるまで動き続けて疲れた
・壊れた体でこれから生きていくことへの不安
・倒れても終わらない、介護やケアへの絶望
・がんばっても報われないし
祖母が望む最期を実現できなかった無力感
燃え尽きないために
どう出来たら理想だった?
★休息をとる
倒れてはいけない。
倒れるということは
自分の中のエネルギーが
全て失われたということ。
ゼロの状態から、また新しく
エネルギーを生み出し回復させるのは
時間がかかる。
私であれば
祖母を抱きかかえた拍子に
嫌な音がした腰や背中を、放置せずに
病院に行くなり座るなりして
体の痛みや違和感をすぐにケアすること。
★感情を出す
「叔母も母も大変だから」と
自分の気持ちを抑えてばかりでは
他人の感情という名の水が
ずっと自分の中に注がれ続けて
「自分」が薄まっていく。
「自分」が薄まり過ぎると
自分がどうしたいのか
分からなくなって
自分の人生を自分の足で歩けなくなる。
1人になると、勝手に涙が流れていたが
無理にとめず、自然にとまるまで
涙を流せば良かった。
そもそも
「なに泣いとんねん」
「泣く暇があるなら手を動かせ」
なんて言われるものでもなかった。
実際、ゆめはどうやって回復した?
良い支援者と出会えた
就労支援事業所にて
私はたくさんの良い支援員さんと出会えた。
「生き疲れた」
「早くこの人生が終われと思ってる」
「呼吸しているだけでしんどい」
「ストレスを受けて破壊されまくって
回復が追いつかなくて絶望しかない」
支援員さんとはいえ
こんなに重たい話をされては
きついだろうに
どなたも私を否定されない。
私に、自分の人生を生きていないことを
気づかせてくださり
「これからは自分の人生を歩むんだよ」
「ゆめさんはまだ「楽しい」を
知らないんだよ。生き疲れるのは
楽しいことをやったあと。まだ早い」
「15歳から介護?早すぎるって・・・
よくがんばって、生きててくれたね」と
「私」を見てくださった。
私を一番救ってくださったのは
担当支援員のお星さん。
お星さんは
私が「死にたい」と口にした時に
「生きて」も「死なないで」も
絶対におっしゃらないのだ。
期待されず無視されるわけでもなく
ただ静かに、そばで私の心を
温めてくださった。
お星さんについてはコチラ
helpwell京都
開催報告はコチラ
helpwellを知ったきっかけは
私が運営メンバーをしている
オンラインコミュニティで
つながった、やまchan先生のポスト。
支援員さんたちのおかげで
自分が介護やケアによって
燃え尽きたことに気づけたものの
そして、自分がお世話になった
支援者の中で燃え尽きて退職される方を
何度も見たことがあったものの
どうすれば燃え尽きないのか
どうすればケアを続けていけるのか
わからなかった。
参加しているクラファンが残り5日となりました!!!
— 小林大和 @「人に向き合う」を探求する (@yama_chan_0808) May 8, 2024
宣伝をさせてください🙇
拡散していただけたら嬉しいです📣
「支援者ケアワークショップを100人に届け、バーンアウト予防の基盤を全国へ広げたい」
僕の想いはこちら👇
ーーーーーーーーーーーーーー… pic.twitter.com/2ilSPKMlVu
・・・これやん。
クラファンに参加して
helpwell代表のちえりさんとお話しして
いざ、京都へ。
ワークショップに参加して
ほかの参加者の方と
コミュニケーションをとって
気づいたこと。
私は「支援者」の私をケアされたかった。
カウンセリングを受ける機会は何度もあった。
しかし、それは
「発達障害」「PTSD」「適応障害」の私を
ケアするものであって
「支援者」の私をケアするものではない。
ワークショップや
ほかの方とのつながりで
一気に元気になれたし
人生で最も「孤独ではない」と
実感することができた。
そして、ちえりさんが
憧れの推しになった。
罪悪感を手放す
祖母、母、叔母、私と
3世代でお世話になっている
かかりつけ医に尋ねた。
「私は祖母の死期を早めた?」
祖母が誤嚥性肺炎で入院する2日前に
服薬の時に咽せさせたと伝えた。
かかりつけ医からの返答はこうだった。
「咽せられた、ということは
飲み込んだものがきちんと
肺の方へいかずに出せたということや。
誤嚥性肺炎は常在菌でも起こる。
年齢や。誰にもどうしようもなかった。
だからお嬢ちゃん(私)は悪くないよ」
医学的な根拠も示されて
私に責任がないと理解できると
力が抜けた。
納得できたら、あとは時間経過に任せた。
抱きしめられるものは全部抱きしめる
祖母を否定的に見てしまった私。
両親からの酷い言葉の数々に苦しんだ私。
祖母のことを悪く言う叔母を
否定せずに全て受けとめた私。
もう穏やかに名前を呼ばれない私。
「誰が福祉・介護・支援を仕事にするか」と
一度は全てを否定した私。
全部抱きしめてみた。
そしたら、息が苦しくて涙があふれて
自分の経験が恥ずかしくなくなって
目指したいところが明確になった。
目指す場所に向かうために
私は『横田雪芽』で
生きていくことに決めた。
雪に芽吹く
私は『福祉』『支援』というものに
関わる者として
自分が経験した介護やケアのことを
絶対に忘れたくない。
忘れたら
今、介護やケアにしんどさを感じて
孤独を感じている人たちに
寄り添えなくなってしまう気がするから。
家庭内は、今も苦しい。
ネガティブな状況、罵声、
負の感情をぶつけ続けられること、
両親の機嫌の良し悪しで全てが変わる。
私の心身は間違いなく
蝕まれ続けている。
過労で倒れて3年。
治療で使った薬のせいか、
メンタルのせいか、もうわからないが
震えが止まらない時もあるし
座っていると、自分の体を
自分で支えることが難しい時もある。
そう考えると
状況は悪化しているとも言えるだろう。
私の考え方やものの見方が変わっただけ。
私が関わる人を選んだだけ。
でも、それだけで私は孤独ではなくなった。
孤独ではなくなっただけで
私は前を見ることが出来ている。