「推しは推せる時に推せ」
最近では当たり前のように使われるようになった言葉。僕がアイドルの世界に没頭してきたため、ここでは話をアイドルに限定して書く。アイドルに限った話ではないのは承知の上だ。
この言葉が浸透してきた中で違和感を覚え続けていることがある。
それは、この言葉をアイドルが使うことだ。
Twitterを見ているとよく見かける。この言葉に限った話ではないが、オタクが言うならわかるけど、アイドルが使うのは寒い。
ここからは私の仮説や想像が入っている。予めご了承の上お読み頂きたい。
今のアイドル界は
「多アイドル少オタク社会」
であると思っている。アイドルが増えすぎて飽和状態になっていてオタクの数を上回っているのではないだろうか。
周りやご自身に置き換えて考えてみて欲しい。今や1人で1人のアイドルしか応援しないとか1グループしか行かないとか、そんなオタクは割合として少ないはずだ。だいたいはいろんな現場に顔を出して推しメンが複数いる。「DD」という言葉で片付けられがちだが、オタクの数よりもアイドルが多くなってしまっていて、既存のパイの奪い合いなのだからそうなるよね、とも思ってしまう。
飽和状態になっているアイドル界の淘汰は早い。競争社会の掟。それゆえ、アイドルの”寿命”は短命になっているのではないだろうか。(スキャンダル要因もある気がするがここでそれに言及すると長くなるのでここでは避ける。)これも私の体感であるが、1年続かないケースが増えている気がする。どれだけ通ってお金を使ったオタクでも辞めるタイミングを知ることはできず、別れは突然やってくる。
このような時代背景もあって「推しは推せる時に推せ」という言葉があるのかな、と私は勝手に思っている、
人間、どれだけやっても後悔する生き物だ。オタクが「推しは推せる時に推せ」のスローガンのもと、極力後悔のないようにオタ活をするのは素晴らしい。だが、アイドルはコンテンツを提供する側である。楽しみ、幸せなどを"売る"立場。その立場にある人間が「推しは推せる時に推せ」と発するのは暗に、「私はいつあなたの目の前からいなくなるかわからないからたくさん会いに来てね」と自らファンに不安を煽っているようにしか思えない。そこまでしないと会いに来てくれないのだろうか?そうであるならばそれは本当のファンなのだろうか?例え構って欲しかったとしても使うべきではないと思う。
私はアイドルがこの言葉を使うことはファンに対する冒涜に他ならない、そうとすら思えてしまう。