「女陰」について 【1】
【はじめに】
読者諸氏はご存知でしょうか。
スタジオジブリの『もののけ姫』(1997年公開)に登場するさまざまな登場人物たち。その背景には、宮崎駿監督(1941~)の独特の世界観だけでなく、一人の歴史学者の影響が大きい……といったことをどこかで聴かれたことがあるかもしれません。
『もののけ姫が網野史学を下敷きにしていることは誰も否定できまい……』とまで指摘する識者もいるほどです。
じつは宮崎監督自身、『網野史学にインスピレーションを受けた』と語っています。
網野史学……とは、網野善彦(あみのよしひこ)(1928~2004)という歴史学者が唱えた日本論、日本人論などを総称した史観のこと。網野史観ともいいます。これを詳しく説明するには数十冊の書物になるほどの分量になってしまいますので、簡単に数行で語るには、以下のウィキペディアの表現がいいかもしれません。
『……中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に影響を与えた。また、中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者たちが、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったと主張した。』
(Wikipediaより引用)
うーん、これだけではまだ分かりにくいですね。ズバリいえば、それまでの日本社会構造や歴史のとらえ方のなかで、
「農民はずっと抑圧されてきた下層民」
といったような固定観念を否定し、打ち破った説を唱えた……といえば、少しは分かりやすいかもしれません。
つまり、
「百姓=農民ではない」
「水呑《みずのみ》百姓=貧民とは限らない」
「室町時代にはすでに為替や金融が発達していた」
といったように、従来の日本史のイメージを大きく一変させた説を唱えたのです。
筆者が、網野善彦の名を初めて知ったのは、講談社の『日本の歴史』全26巻(2003年)の第一巻(正確には一巻目ではなく、00巻)「日本とは何か」。これを書いた方でした。
とてもわかりやすい文体で(歴史学者の文章は、それこそ解読するのが難解といったものが多いのです)、目からウロコ的な感動を与えてくれました。
それをきっかけに、網野善彦の著作物を探し、読んでみました。
たとえば、中世の寺社ネットワークや漂泊民、傀儡(くぐつ。あやつり人形使い)などの大道芸人的なネットワークのありようを読んだとき、
「あれ、似てるな!」
と、驚きました。
隆慶一郎(りゅうけいいちろう)(1923~1989)の時代小説『吉原御免状』に登場する人物たちの背景と、とてもよく似ていたのでした。
あとで知りましたが、隆慶一郎もこの網野史観に影響を受けて、『吉原御免状』を書いたということでした。
筆者は学生時代から歴史・時代物を書いてきたのですが、室町時代に金融為替ネットワークがあると知れば、登場する名もない人々の情景描写や設定も、コペルニクス的転回をして書いていかなければならなくなりました。江戸時代の庶民のことについても同じことがいえます。ですから、少なくとも、学びながら、書き直し、設定変更にも自由度を持たせておかなければなりません。
やっかいなことなのですが、これも、好きで選んだ道なので仕方ありません。
さて、なぜ、「女陰について」というタイトルのエッセイに、「女陰」(女性性器)とはまったく関係のないジブリや網野史観からはじめたかといえば、物事のとらえ方、発想の道筋といったものの大切さを知ってもらいたかったからです。
え……?
ジブリを持ち出したほうが読まれるから?
えへへ。
……と含羞の笑みを浮かべるしかありませんが、この「女陰について」にサブタイトルを与えるならば、「日本とはなにか」しか筆者《わたし》には想定できません。
うふふ。
そうなのです、このエッセイは、紙葉的直観にもとづいた、日本文化精神論、古代試論、日本人論なのです。
と、そのことだけをお伝えしておきたかったのです。では、いきなり、「女陰」の話をしていくことにしましょう……。
【1. 大相撲の土俵に、なぜ女性はあがってはいけないのか】
🟨いつだったでしょうか、大相撲大阪場所で、当時の女性大阪府知事が優勝力士に賞状を渡すのに、土俵にあがることを相撲協会が拒絶しました。それ以前にも、女性の内閣官房長官が総理大臣杯を渡すのを、女性が土俵にあがるのは伝統慣例に反する……ということで問題になったらしいです。
代理の者(男性)に託せばいいのでしょうけれど、そのときの女性府知事は話題づくりのためかマスコミ向けか、かなり強硬に抗議。結局、土俵にはあがらなかったのですが、新聞社が世論調査などを実施したもので、男女同権、女性の社会進出を阻《はば》む格好の事例《ケース》として、社会問題化しました。
🟨さて、筆者《わたし》の見解を先に述べておきましょう。
不可。
女性は土俵には断じて上がってはいけない。
……と、書けば、これを読んでくださっている方に、
「ええっ? 紙葉さんらしくない、もっと先進的なヒトだとおもっていたのに……」
と、お叱りを受けるかもしれません。
理由はただひとつ。
なぜなら、大相撲の土俵というものは、「女性性器」そのものだからです。
これが紙葉的直観、紙葉史観です。
資料的根拠はないのですが、おそらく、土俵=「女陰」説は正しいとおもっています。他に唱えられた方はいないとおもいますが、もし、いたら先行者として、後日、この頁に記しておきたいとおもいます。
もともと豊穣の祭りの一形態である相撲というものは、そもそもが性交(まぐわい)を模したもの。
このように、あるコトを模したもの、イメージさせたもの、そういう思念のことを
擬き(もどき)
といいます。
この「擬き」こそ、日本人の古代精神をひもとく重要なキーワードなので、このエッセイを読み進めるときには、忘れずに記憶しておいてください。
🟨土俵は、「女陰」擬き、つまりは、土俵の上でたたかうお相撲さんは、男根(ペニス)そのものを象徴しています。二人で一つの男根と考えていいとおもいます。
たたかうと、汗が飛び散りますね。
汗は、当然、「精液」のイメージです。
たたかうしぐさ……「女陰」である土俵を男根(ペニス)が、勢いよく踏み、ねじり、こねくりまわし、突きまわし……といった、性交行動そのものを象徴しています。
飛び散った精液が土俵(=「女陰」であると同時に「大地」)ではぐくまれて、やがて実り(胎児)へとつながっていきます。
わかりやすくいえば、これこそが、一連の豊穣を願う祭りの根本原理なのです。
相撲もまた、その一形態なので、「女陰」である土俵の上にあがれるのは、その対(つい)である男根(ペニス)を持つ者にかぎられます。同じ女性器「女陰」を持つ女性があがってはなりません。
このように理由はすこぶるシンプルだとおもいます。
🟨さて、「女陰」にあえてルビをふっていないのは、「じょいん」と読めば、なんだかジョイントみたいなフレーズをつい連想してしまうので、やめておきました。
「ほと」というのが、日本書紀、古事記の日本神話に登場する最古の読み方です。のちに詳しく紹介することになるとおもいますが、
みほと 美しい女陰(ほと)
といった意味で使われています。
さて。
「みほと」と耳にすれば、真っ先にイメージするのがありますね、そうです、仏(ほとけ)様……です。
紙葉的直観では、御仏(みほとけ)の「ほと」にも、なにがしかの「女陰」イメージが含有されているのではとおもっているのですが、まだ勉強不足なので、それはまたの機会にまとめて述べることにします。
あ、また、といっても「女陰」にかけているわけではありませんよ。
次回は、地名のなかに散在する「女陰」について語りたいとおもいます……。
かの民俗学者、柳田國男(1875~1962)も、各地の「女陰」地名にとても関心を持った一人でした……👣👣
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