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失敗のトップダウンをシャワーのように浴びせる!
エドカフェ No.13 Ed Cafe'で雑談しましょう
<ある子の言葉>
「褒める先生って信用できんよな。」
「褒めてほしいとこ褒めてくれるならいいけど、褒めてやろうとして褒める先生はイマイチ。」
「褒める」と「認める」は違う。
「反省」は猿に任せて「やり直し」をしよう!
できるから、力があるから、行動できるんじゃない。
失敗をたくさんして、やり直しをたくさんして、失敗を成功体験に替えた経験を積むから、躊躇なく行動できるようになる。
それで自分を変えてもらえる。
変わった自分に気づけるとめっちゃ楽しい。
子ども理解なんておこがましい!
以前は子どもを理解できるのがいい先生って思っていた。でも、
本当の姿を見せてくれない限り子ども理解なんてできない。
本当に困っている時に「困っている」と言ってくれるとき、それはもしかしたら子どもが私を理解してくれたから。これ真逆!
あたりまえをぶっ壊す!
「できる」のがあたりまえと思ってきたそのあたりまえをぶっ壊す。
「できない」のがあたりまえの職員室&教室をつくる。
ありのままを曝け出さなかったら本質は見えてこない。
<参加者が本音を語る>
学校のあたりまえをなんとか身につけてやっていた。教師という鎧とか役割をもたないと学校に行けない。先生として子どもの前に立てない。そこを捨てるという覚悟が難しい。
本音で語れない。先生間でも。「先生として」と構えてしまう。
「ありのままの自分」という言葉を聞くとなぜか涙が出てくる。
「こういうのが本音。言いにくいことよく言ってくれた。ありがたい。
それこそがすごい学びのリーダー!」と泰子さん。
「みんなの学校」は「どシンプル」
「みんなの学校」(大空小学校のような実践)は誰でもできる。
「こんなこと聞けない。」「こんなこともわからんのか?と思われる。」「教師としてあかんと思われる。」と思って、仮面をかぶって子どもの前に立ってしまうけど、それは子どもも一緒。
みんなできるのに私できない。「こんなこともできないの?」と言われると思って「わからん」て言えなくなる。
失敗のトップダウンをいっぱい先生がシャワーで浴びせたらみんな安心する。
「困った」が出し合える空気が生まれる。
先生がいっぱい失敗してやり直せば、子どもも安心して自分を出せる。
校長が失敗を率先すればみんな安心して自分を出せるようになる。
先生である前に社会人。
社会人である前にひとりの大人。
ひとりの大人である前にひとりの人。
ひとりの人として目の前の子どもと対等に向き合う。
子どもは弱者。自分で食べていけないから。
違いは歴然とあるけどその違いは対等。
人と人の関係は対等。
そうすると学校の空気が変わる。人と人との関係性がいろんなところで多様に生まれるようになる。
ひとりの子の本音だってひとりの教員が全部拾えるわけない。
ひとりじゃ無理!
理解できると思っている「あたりまえ」をぶっ壊すところからがスタート。
1番感動できるのは「自分が間違ってたな」って思えるとき
子どもの事実を目の前にして、自分は全然わかっていなかったと思わされるときに、心がぐわーーっと動く。