ボランティアとしてのフリマと、新品売れない問題について

簡潔に(忙しい人向け)

 本文の要約
・フリマは時にかなり薄利である
・ゆえにビジネスとしてはしばしば失敗であるが
・フリマには「リユースの促進」「格安」という側面がある
・つまり、ごみ削減と買い手への利他行為としての価値がある

大体こんなことを書きました。興味ある人は読んでみてね

導入
 僕がフリマで本を500円で売り、手数料・送料引いて純利益が約200円ほどだという話をすると、友人Aは批判的に「時間の無駄だな」と言った。確かに時給換算すると500円/hくらいだろう。ビジネスモデルとしては失敗でしかない。

 こうした理由でフリマアプリをやめる人も多い。このAに限らず、自分含めたくさんの人がフリマの薄利ぶりをぼやくのを見たことがある。

 ただ、こうした批判は、「フリマをビジネスとしてみている場合にのみ」おこるものである。 いやいや、フリーマーケットでしょうが、と言いたい気持ちはわかる。しかし、フリマの目的とはそれだけだろうか?

 例えば、お隣さんが鍋を抱えて自分の玄関先に立ち、「カレー作りすぎちゃったんですけど…」という、今や漫画の中にしか存在しない場面があるだろう。あれを見て、「いや無料で上げたらだめでしょ、時間と手間の無駄だな」という人はいないだろう。不要物の譲渡とはふつうそんなものである。

本題
 
カレー同様、フリマに出品されているものはたいてい不用品である。だから本来それは、「もったいない」の精神で駆動するものであって、販売利益というのは二次的なものに過ぎない。こういう発想も可能である。実際僕はこういう動機でフリマに出品しているので(あとコンビニが家から近いので)、200円程度の手取りを見て悲しい気持ちになったことはない。

 要は、動機の問題である。金儲けと思うか、リユースやごみ削減のための善行だと思うか。ぜひ後者の気持ちで出品することを勧めます。

ついでに
 それともう一つ、時折「皆が中古品ばかり買って、新品が売れなくなったらどうしよう」つまり、発明者や製作者、著者にその努力に見合うだけの報酬がいかなくなってしまったらどうしようと思うことがある。

 実際にそんなことが起きるかと言われれば怪しいが、万が一のために考えてみる。

 厳密に考えると、新品一冊の需要がそのまま中古一冊の供給で賄われるわけではない。断じて新品のみ買うという人もいるだろうし、あるいは「中古で安いから買った。新品価格なら買わなかっただろう」という人もいるだろう。 なので、中古の取引量がそのまま新品の取引量を食ってしまっているとは言えない。そはいえ、無関係とも言えない。

 そこで非常に単純なアイデアを記しておく。もし将来上記のような問題が顕在化した際には、「中古取引においてはその商品のメーカー、著者などに一定率の利益を分配する」ルールにしてみてはいかがか。

以上です。

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