米づくりをしながら、少しずつ見えてきたこと。
今日も快晴の空の下で、除草作業をしました。
心地よく田を吹き抜ける山の風と、鳥の鳴き声を聴きながら作業をした心地よい疲労感と共に、
自然を相手にする米づくりの奥深さと難しさを実感した一日でした。
無農薬栽培は、田に生い茂って稲の栄養を横取りしてしまう、ヒエやコナギなどの草とのたたかいでもあります。
彼らを抑え込むためには、水深を一定程度に保つことが重要なポイントだということが、少しずつですが分かってきました。
理由は良く分かりませんが、水深が浅い田では、明らかに草の発芽のスピードが早くなるのです。
晴れの日が続くと、田の水量管理には繊細さが求められます。
私たちがお米をつくっている山の田んぼは天水田と呼ばれていて、公設の水路などは無い雨水頼りの水田です。
今日は日照りの中で水が減った田に発芽してしまった草の処理や、ポンプなどにより水の確保に追われました。
そんな事に取り組むなかで、今まで気にもとめなかったことが気にかかるようになってきた気がします。
「豊富な雪解け水を与えてくれる、遠くに見える菱ヶ岳の残雪はあとどれくらい残ってるか。」
「自分の田への水脈はどこから来ているか」
「次にまとまった雨が降るのはいつ頃か。」
「この地域の土壌の保水性はどうか」
「田に微かな傾斜や偏りは無いか」
などなど。
普段は見過ごしてしまいがちな身の回りの小さなことでも、ある目的意識やアンテナを張りながら暮らすことで気づける様になったり、それが自分がいま創り出そうとしているものの質を高めることにもつながったりする。
それは農業でもデザインでも、どんな事にも共通していると思います。
自然を相手にすることは、とても多様な次元で様々なことが起こり得るので、そういったアンテナを研ぎ澄ましていくのにも繋がる様な気がします。
無農薬だからこそ生じる様々な制約を乗り越えるために、自然と積極的に関わり、自然の中から学びとろうとする中で得られることは、まだまだあるのではないかと思いました。