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生きづらさって、特別?

昨今、生きづらさを抱える人が増加していると聞く。けれど、本当に「生きづらさ」は最近始まったことなのか。

答えはノーだと思う。恐らく先人たちも、大なり小なり生きづらさを抱えていたのではないだろうか。


ギャンブル好きな父は、私の学費にまで手をつけた。おかげで、高校から奨学金。父が嫌いで、嫌いで仕方なかった。

大学2年の誕生日、父が2度目のリストラに遭った。ネタですか?と思うほど、絶妙なタイミング。バイト代の行き先に、実家への仕送りが加わった。

同世代の友達は、仕送りをもらって大学生活を謳歌する。海に行こう!海外旅行に行こう!と誘いを受けるも、全てお断り。理由を問われても、本当のことなんて言えるわけない。だって、キラキラの彼女たちに「親のために働く」現実は重すぎる。

私の気持ちなんて、分かるわけない。分かってもらおうってのが、無理な話だ。

かなり尖っていたと思う。お金を食いつぶす父も、そんな父と離れられずにいる母も、大嫌いだった。帰省しても、羽なんて伸ばせない。最初は楽しく話していても、いつ母の機嫌が悪くなるか、ビクビクする日々。

でも、気づいた。

父が、母が、実家が・・・
言っているうちは、苦しいまま。

恵まれない家庭環境を嘆いても、生きづらさを吐露しても、

状況は良くなりゃしない。


それに、きっと父も母も一生懸命だったんだ。完璧な人間なんていないんだから、完璧な子育てだってない。

母の感情的な性格を突き詰めていくと、祖父の虐待にぶち当たる。父の家庭を顧みない言動は、父自身が"家庭"を知らないことにつながる。

当たり前だけど、親にも親がいる。だとすれば、生きづらさも親から子へと連鎖していくのではないか。


「男の子ですね!」

2人目の妊婦健診で性別を聞いた瞬間、内心ホッとした。女の子を育てたかったのは本心だし、「女の子ならいいなぁ」と願っていた。

でも、心のどこかに「娘を産んだら、母のようになってしまうかも」という不安があったのも事実。

だって、私には母の血が流れている。幼いころから刷り込まれた押し付けを、娘にしてしまうのではないか。

それだけは、絶対に嫌。

だから、「母と娘」の道が閉ざされたと知り、少し安堵した。



息子たちと少し距離を取るのも、これが理由。

「お母さんとあんたは一心同体」

母と同じ言葉を吐かないように、「子ども」以外の生きがいをギュッと掴んでいる。


子どもは、親の所有物ではない。全く違う、ひとりの人格なのだ。

「あの子が理解できない」

分からなくていい。分かるわけがない。

「子育てに失敗した」

失敗かなんて分からない。勝手に決めないでくれ。
それに、子育てに「成功」も「失敗」もない。

だって、人生は点ではなく、線だ。
いっときの状態で優劣を判定する自体、傲慢ではなかろうか。



生きづらさを感じているのは、自分だけじゃない。みんな、それなりに何かを抱えている。

完璧な人なんていない。
自分が完璧じゃないように、相手だって完璧じゃない。
長所ばかりの人も、短所ばかりの人もいない。



救いの手なんて、ない。自分をすくう(あえてひらがな)のは結局、自分よ。

親との関係やいじめ、パワハラで悩みに悩み、苦しめているのは「自分」と気づいた。この気づきが大きかったな。

「特別」の鎖をほどいてみると、少し楽になった。


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