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ひとやま越えた!

年始から続いた執筆ラッシュがすこ〜し落ち着いた。やっとこさ、心おきなくnoteが書ける〜!ひゃっほ〜い

書きたいことが山ほどあるんやけれども。



年末のとある出来事からXを鍵垢にし、さとゆみさんの「今日もコレカラ」にコメントしにくくなった。悲

鍵垢で引用するんって失礼よなぁ、と思って独自につぶやいていたけれど(不定期)、書いているうちに思いが膨らむ膨らむ。

ってなわけで、「今日もコレカラ」に便乗した思考の旅、再開することにしまっす!今回は不定期で、つぶやきたい!と思ったときに書く。


早速、今日の「コレカラ」に便乗。

私の血液は「おせっかい」でできている。

お見合いおばさん、血沸き立ち、昇天する【さとゆみの今日もコレカラ/第443回】

あれもこれも「配慮」が求められる時代。個人的には、婚姻率の低下も「おせっかいおばちゃん」が減ったことに関係しているのではないかと思う。

「あの人なんていいんじゃない?」
「こんな風にしたら、うまくいくかも」

恋愛はもちろん、仕事上のアドバイスでさえ「〇〇ハラ」に振り分けられる。

話は変わり。

子どもも大人も、本当〜に自分に厳しいなぁと思う。担任時代、子どもたち1人ひとりに「私が見つけた長所」を伝えたときも、数人から「そんなの当たり前だよ」「全然、すごくなんてない」と返ってきた。

「そんなことないよ。〇〇さんは当たり前って思うかもしれないけれど、すんばらしいことなんやで!!」

熱を込めて伝えると、ちょっとだけ顔がほころぶ。


もしかすると、ぐいぐいぐいって心に入り込んでくれる「おせっかい」を求めているのかもなぁ、と思った。


話を戻そう。

本当に、昔に比べて世話焼きおばさんは減ったのだろうか?


自分を振り返ってみても

「あの子、元気ないな。何かできないかな」
「話しかけたいけれど、余計なこと言ったらアカンよね」

心で感情を練りまわした挙句、シレッと引っ込めた経験あり。

SNSが分かりやすいけれど、おそらく10のうち1ぐらいしか自分を出せない(私の場合はね)。ギスギスした言葉はあっという間に出回るのに、やさしい言葉はふわ〜っと吸収されてしまう。あれは一体、何なのだろう?


だけど今日、さとゆみさんの「おせっかいおばちゃん論」を聞き、手先・足先がじんわりと温まっていく感覚を覚えた。

ああ、これこれ。この温かさが心地良いんよね。



もしかすると、みんな同じように「おせっかい心」を表に出さないだけなのかも。


言いたいことも言えないこんな世の中(byポイズン)だからこそ、

おせっかいワールドよ、もっともっと広まれ〜ぃ!!


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