不登校、ひきこもり~支える人へ~
お久しぶりです。
みなさん、こんにちは。
タイトルどおり、息子はいじめが原因で不登校になりました。中学1年の後半からです。
現在中学3年生。私の息子は完全にひきこもりになりました。
人が怖い、家から出られない
転校しようとしたとき、息子が言った言葉です。
とにかく人混みに出ることが怖い。息苦しい。
現在息子はこの状態です。
ここ数か月不思議と同じような環境の人とたくさん出会ってきました。
ここ1ヶ月の経過を、私の経験を通して何かシェアすることがあればと思い記事を書きます。
心の病気 ー目に見えない何か ー
子供が心の病気になると、支える側にも重い負荷がかかります。
”病気”と呼んでいいのかさえもわからない、目に見えない何か。
霧をつかむような、もやの中にいるような感覚。
大切な人が苦しんでいるのに、助けてあげられない、その救おうとしている
行動さえ、本人にとっては勘違いの行動かもしれない。
さらに、それぞれの家庭にはいろいろな負荷がかかっている場合があります。例えば、親の介護をしている、借金を背負っている、など。
思春期だと反抗期も重なりコミュニケーションがとれないこともあります。
家庭によって背負っている重さは全く違います。
だから、解決策もみんな同じではありません。
家族の問題は、根深く奥深くとても複雑です。
ただ一つだけ共通していることは
支える側は、
一人で抱え込まない
重い思いこみをしない
行政、友達、NPO法人「助けて」と声をあげれば必ず誰か助けてくれます。
道は必ずあります。
この声をひろいやすいようにできていないのが今の社会だけど、それでも声をあげてください。
必ず誰かが助けてくれます。
寄り添うことは大切かもしれない、でも
自由で楽しい時間を自分に与えてあげることを、
ぜったいに忘れないでほしいです。
心の問題ー子供の数だけ答えがある
1.学校へ行けないのは甘え、無理矢理でも行かせるべき
2.心が落ち着くまで休んで、無理に学校へ行かせる必要はない
3.学校や外部の助けをかりて、解決へ向かわせよう
4.転校する
不登校やひきこもりになると、だいたいこの4択になると思います。
私は、1.2.3.4.を試して、現状2です。
1は、心の病気を患った子供にはとても酷になります。
行けるものなら、とっくにそうしているからです。
4は、引っ越ししたものの転校をしたくない、人が怖いとのことで現在の状態です。
スクールカウンセラーも活用しましたが、途中でやめてしまいました。
初めは、つらいことや苦しいことがあっても学校にはいくべきなんじゃないか。
そう思っていました。
しかし、本当に心の病を患う子供をもったとき、そうは言えない現実が待っていました。
私の娘は現在高校生ですが、一時期不登校でした。
娘の場合、短期間で回復し今は元気に笑っています。
子供の性格、傷ついた心の深さ、周囲の援助の状況、様々な要因が絡みあって、解決への導線は子供一人一人違うと感じました。
そして、学校がすべてではないということ。
勉強が好きで自分なりのやり方でやりたい子供、勉強がきらいで、体を動かすことが好きな子供、絵や歌が好きな子供、集団が苦手な子供。
心が傷ついた子供ー。
時代とともにこれから教育の現場も少しずつ変化していくような気がします。今はその変革期なのかもしれません。
変化する学校の対応
行政は、不登校支援の施設を運営しています。この対応は、全国の教育現場でも広がっているのではないのでしょうか。息子は、利用人数が多かったため、利用できませんでした。
その他、学校の中にフリースクールのような教室が開講されることになりました。
週に1度空いている教室を使用し、午前10:00~午後2時まで解放されています。この対応はごく最近です。
自習学習になりますが、
この教室で試験を受けることもできるし、給食も食べることができます。
何時に帰っても自由です。
学校の他の生徒と会わないルートを通り教室にいくことができるようになっています。
息子は、1か月に1度通っています。
友人たちからヒアリング
私の友人の子供の場合、小学生からいじめで学校へ行けず現在通信制の高校生です。
精神科に長く通い、外出すると今も時々意識を失ってしまうそうです。
ある友人も同じように小学生からいじめで学校に行けず、突然高校受験をしたいと言い出しました。
合格して公立の高校生になりましたが学校のシステムに馴染めず、現在高校を休学中です。
通信制や学校を変えて、別の学校で楽しく過ごしているケースもありました。
一番怖いのは心の病気を患い自分で自分の命を絶ってしまうことー。
息子も一時「死にたい」という言葉を発するようになりました。
私はトラウマがあり、このことが一番怖くて仕方ありませんでした。
叔父の自死から学んだこと
私の叔父は20年ひきこもりました。成績優秀、スポーツもできて、優しい叔父でした。学校には問題なく通っていたそうです。
しかし、社会に出てからひきこもりになりました。
原因は会社になじめなかった、と聞いています。
叔父は、兼業農家の長男として大切に育てられてきました。
それは、だれが見ても。
私が高校生
ちょうど家に遊びにいっていたとき
叔父は自死しました。
目の前で人の自死を見るには、思春期の私としてはとても衝撃的な出来事として、今もその光景がフラッシュバックします。
甘やかして育ててしまったかな
私の祖父が、ぽつりとこの言葉をつぶやいたのを覚えています。
でも今となってはわかります。
虐待、暴力。理不尽な不可抗力があったとしても。
でも
本人がその傷を超えた高いところになりたい自分の目的を設定して、少しずつでも進むしかない。
人生はあまくない、そう言ってしまえばそうなのかもしれません。
進んで、後退して、途中休んで
誰かの助けをかりて
悩む、苦しむ、笑う
笑う
生きているからこそできることです。
どうせいつかみんな死ぬんです
支える側の人は育てかたが悪かったのか、あのときああしていれば
いろいろ考えることはあるかもしれませんが
結局は、自分の人生
自分次第
人の心を傷つける人は、足をひっぱる人は、結局巡り巡って自分に返ってきます。
巡り巡って罰を受けます。
主張すべきことをして、変わらなければ、本人や支える人は、「憎い」という気持ちを手放して新しい世界へとゆっくりでも次へ進む。
静かな感情のない「無」の世界から抜け出せるきっかけはー
結局本人しかわからない。
支える人も支えられる人も、それぞれ自分の人生を生きている。
自分の人生を生きる
これにつきると思います。
そして、苦しいときこそ
ま、いっか。
と言ってみる。
口に出すだけでも、不思議と気持ちが軽くなります。
私が叔父の自死から学んだこと。
どれだけ手を差し伸べたとしても、本人が手をつかんでくれなければなにも始まらない。
「あのときああしていれば」の自責の念は役に立たない。
私が経験して思ったことです。
では、支える人はなにもしてあげることができないのかー。
できることは、ただその人を、今その人自身を
認める
ことだと思っています。
息子が選んだのは県外の高校進学。
今の状態で受験できるのか家から出られるのか。
それはまだわかりません。
今は、彼自身が選ぶ選択を応援してサポートするのみです。
私の不登校、ニート、鬱経験
次回は、支えられる人の立場で記事を書きたいと思います。
実は、私自身も不登校の時期がありました。
ニートの時期もありました。
鬱の時期もありました。
私も同じように心の病気を患い、
いえ。
現在もそれを抱えながら
生きている、といったほうが正しいかも。
そんなことを次回記事にできたらいいなと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。