僕は大学4回生だ。関西の私立大学で社会学を勉強している。 昨日、葉田甲太氏の講義を受けたことをきっかけに、彼がモデルになっているノンフィクション映画『僕たちは世界を変えることができない。』を観た。 その映画を観ていく中で様々な考えや思いが僕の中で湧き出てきた。それらの考えや思いを言葉にしたくなり今このnoteを書いている。いつもは、背伸びをして難しい言葉や堅苦しい表現を使って文章を書いているけど、このnoteは等身大の僕の言葉で、正直に、素直に、書こうと思う。 コロナ禍
1. はじめに 現代社会に生きる私にとって、ノルベルト・エリアスが考えた「舞台裏としての心」という概念からは考えさせられることが多くあった。したがって、彼の提起した概念と現代社会を紐付けながら、現代社会における「心」について社会学的考察を展開したい。 2. 現代社会における「心」について 2.1 ノルベルト・エリアスについて ノルベルト・エリアスは、ユダヤ系ドイツ人の社会学者である。同時に彼は亡命人でもあり、時代の影響を大きく受けた知識人の一人て
資本主義とその未来 マルクスは、資本主義ではなぜ労働者は貧しくなるのかという謎を出発点に資本主義の記述を試みた。資本家ひとりの意思ではなく、彼にそうさせる複数の意思による意図せざる結果を謎として捉え、資本主義社会に何らかの法則があるのではないかと考えた。そこでマルクスは労働力が商品になることが原因なのではないかと考えた。具体的には、近代以前は生産したものを領主が直接搾取するので搾取される割合はわかるが、近代になり契約をして賃金を得るという資本家と労働者の関係性になったためにい
1. はじめに本レポートでは、町内会について、存続論(あるいは文化論)と解体論の二つの立場があることを前提に、どちらの考えを支持するのかについて、私自身の考えを記述する。 結論、私は前者の町内会存続論を支持する。私が町内会は存続するであろうと考える根拠は三つある。第一に、町内会はコミュニティとして重要な役回りをしているということ。第二に、町内会は組織として解体しにくいリクルーティングが行われているということ。第三に、町内会は行政を補填する機能を持ちあわせているという
1. 体感記述 私はホテルで宴会のサービスをするアルバイトをしている。基本的に披露宴のサービスを担当しているがこの日は少し違った。三重県から中学生が修学旅行生として弊ホテルに訪れており、そのディナーのサービスを担当することになっていた。18時過ぎ、ディナーを食べに続々と中学生が会場に入ってきた。生徒たちは灰色のズボン、スカートにポロシャツと懐かしさや親しみを感じる装いだった。会場に入った瞬間に「すごーい」や「いい匂いー」と素直な反応をする生徒たち。思い返せば、純白な彼
1.はじめに 私は大学3回生である。入学と同時期に新型コロナウイルス感染症が拡大し、夢にまで見たキャンパスライフは2年間実現しなかった。このウイルスが蔓延する中で、フィジカル空間での人々の接近、接触は忌避の対象となった。そのため、リアルでの相互作用を実践しない者こそが社会の模範であるとの規範さえ生まれた。結果的に大学は閉鎖され、オンラインでの学びを強いられることになった。また、その他にもさまざまな困難に直面した。 現在は、実際に身体を伴い大学にきて学びを得ることが可能になった
1.問題意識1.1 近代化に伴い軽視されたコミュニケーション 資本主義のもとで行われた自由市場や自由競争などがもたらした影として、「格差の問題」や「環境問題」に対しては近年注目度が高まっている傾向がある。これらの問題は一国の問題ではなく、グローバル規模での問題として認識されるようになった。前者の「格差の問題」に関してだが、まさにワクチン格差として目下直面している問題でもある。先進国ではワクチンを備蓄する動きも確認される一方で、後進国では十分なワクチンが確保されず変異株流行の
「親ガチャ」という言葉を出発点に、「文化関係資本」や「ハビトゥス」という概念について自身の社会経験を交えながら考察したい。まず初めに「親ガチャ」という言葉の意味を確認しておく。親ガチャとは、「子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せであることを抽選形式でカプセルトイなどを購入するガチャにたとえた言葉。数年前からネットスラングとして使われていましたが、このところSNSへの投稿が相次ぐなど若者の間で浸透しています」(東洋経済 2021)。これは、格差
問題の所在 昨今、SDGsに対する関心がますます広がりを見せている。企業も積極的な取り組みの姿勢をみせHPにCSR情報を記載することはある種のスタンダードとなったし、ESG投資が世界中の投資家から注目されるようになった。それに伴い、個人の消費行動や環境保全行動も変化している。マイバックやマイボトルの持参もそれらのひとつである。かつては社会の問題として捉えられていたのが、個人の問題として捉えられるようになった。個人レベルでも環境に対する危機感を持つようになったことを形象している
社交的関係を体現する恋愛 筆者がとりわけ興味を持った社会学的概念は「社交」である。具体的には、社交的関係をもっとも的確に体現している営みを恋愛としたときの、恋愛コミュニケーションで実践されている「社交」について関心を持った。「ジンメルは「相互作用(Wechselwirkung)」に焦点を当てた社会学者である」(奥村 2013:38)。つまり、彼は社会を個人と明確に区別し離れた客観的社会としてではなく、個人と個人の間での複雑かつ継続した相互作用について注目し社会を記述しようとし