幸福度に関する考察初稿
幸福度は単純な喜びの質的/量的多寡で測定できるものではなくその変化率に起因するものだと捉えると過去のバブル期に青春を置いてきた世代の目線が現代の若者に注いでいる現状をよく説明できる。
但し変化率の幸福を喰い続けてきた結果としての経済の劣化や環境の劣化を加味するに現在に応用できるものではなく、また現在の改善指針として適切ではないと考えられる。
その中での正統性の高い改善としては変化率による幸福度とは別の次元に存在するwell-beingなる幸福度を追求するという点かと思われる。
言うなれば僧のように。
アダムスミスの言う「見えざる神の手」に感覚として近いものを経済界ではなく人間の集団心理にも適応すると、
《生命活動を個々人の私利をめざす行為に任せておけば「神の見えざる手」により社会全体の幸福が達成される》
と捉えている。
その世界線で話を進める場合に日本人の文化とも言える侘び寂びの精神性がマイルストーンのようになるのではないか。
競争社会ではなく共存社会を目指すのであれば、人口減少が進むこの国こそ「最先進国」になりうるのではないか。