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本を音読する学習効果は?
本を音読すると、よく頭に入ってくる気がする。
これが「音読する心地良さ」による錯覚なのかどうかは、まだ分からない。
だが実感として「深い読書」が出来ているように思う。
音読より良いのは「想起練習」だろう
いちど読んだ内容を思い出して、文章にしたり、声で話したりする。もしくは思い出すだけでも良し、自分が人に話すところを思い浮かべるのも良い。
音読はなんとなく頭によく入るような気がするが、それは声を出していることによる心地良さを「覚えやすさ」と錯覚しているのではないかという疑惑もまだある。
音読はただ目の前のテキストを読み上げるだけなので、特に工夫は要らない。
学習効果を高める音読
音読は音読でも、内容を噛み締めながら読もう。ありありと内容を味わいながら読むことで、学習効果は上がると思う。
逆に声を出すだけでは内容理解までたどり着きづらいのではないだろうか。
まあ読書百遍意自ずから通ずという言葉もあるが、とにかく膨大な時間がかかりそうだ。
ひとつ気づいたのは、正しいイントネーションで文全体を読もうとすると、必然的に内容理解が求められる。あとは適度に感情を込めて読もうとすると、ここに内容理解が求められる。
「より良い音読をしよう」という目標をフックとして、自分の学習を加速させることが出来るかもしれない。もちろんここでいう「良い音読」とは、単純に声の良さや発音の綺麗さとは異なる。文章内容の意味が適切に伝わるような音読という意味だ。
音読のデメリット — 黙読が楽しくなる
音読が楽しすぎて、黙読が退屈に感じられる。
なんだか肉のない骨を噛んでいるような気分だ。味気ない。
音読は読者のため?自分のため?
音読した映像・音声はSNSにアップしているが、なるべく読者に伝わるような話し方を心がけたいとも思って工夫をしてうる。
だけどどんな工夫してみても、一番内容を覚えられるのは自分なのかもしれない。
当たり前だ。単に受動的に音を聞くだけよりも、文章に対して積極的に取り組む方が学習効果は高いだろう。
むしろいくら自分の話し方を工夫しても、聴く側に学ぶ気持ちがあれば意味がないし、発話者の派手な話し方で「なんとなく分かったような気持ちに」になってしまうかもしれない。
やはり音読はまず、自分の最大学習のためにあるのだ。
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