じぶんの気持ちからはじめよう! あるSNSキャンペーンから考えるじぶんの動くポイント

最近、Twitterをはじめた。まだまだフォロワーは少ないが、いろんな人の投稿を見たり、自分の投稿に海外の人が反応してくれたり、インターネットでいろんな人とつながるという楽しさを感じている。

このまえ、Twitterで、あるメーカーのSNSキャンペーンの投稿が流れてきた。キャンペーンの概要は以下のようなものだった。

あるアカウントをフォロー。キャンペーンページをみて、該当の言葉をハッシュタグをつけて投稿。抽選で何名かに現金◯◯万円をプレゼント。

ぼくは、「○○万円これでもらえるんなら、やってみようかな」と、軽い気持ちでキャンペーンの投稿をしようと思った。だけど投稿ボタンを押そうとしたその瞬間、このキャンペーンに応募すると、「この人、このキャンペーンに応募して、お金が欲しいんだな〜」と思われるんじゃないかと思った。それは、ちょっと嫌だ!

SNSのアカウントは、ソーシャルな個人だ。ぼくの分身でもあり、ぼくの一部でもある。誰かと"つながった"状態の個人だ。投稿ひとつひとつ、言葉のひとつひとつで、そのアカウントの人格がつくられていく。どういうアカウントなのか認識される。まるっとそういう「キャンペーンに応募してお金がほしい」部分もあっていいのかもしれないけど、すこしかっこ悪い。ちょっとダサい。いつも繕っているわけではないが、少しはどう見られるかも気にしてしまう。SNSのキャラクターは等身大で、じぶんの分身だけど、だからこそ、普通に生活しているときと同じように、そういったところを表に出すのは、ちょっと嫌だな。

これは勝手な言い分だけど、フォローしているあの人やあの人が、この現金が当たるキャンペーンに参加しているのも、あまり見たくはない。

もしぼくがこのキャンペーンに応募するなら、次のふたつの手段をつかうだろう。
・サブアカウントで投稿(といっても、そのアカウントも仲の良い友達とつながっているものだから、それもそれでやりたくない。そうすると、つながっていないサブアカウントか。)
・捨てアカウントを作成して投稿

そう考えていると、はたして、このキャンペーンはどういった狙いがあるのだろうと考えてしまう。もちろん、これはぼく個人の考えだけど、同じように「お金がもらえるキャンペーンに応募している」と思われたくない人は、結構いるのではないか。その結果、このキャンペーンに"参加している"アカウントは、そう思われてもいいと考えるアカウントか、捨てアカウントばかりになる可能性が高い。たとえ応募数は多くなったとしても、その広告商品の認知や好意的な気持ちはSNS上でつながっていかないのではないか。

ぼく自身、会社でSNSをつかったプレゼントキャンペーンを考え、実施したことがある。あまり集まらず、難しいなと感じたのだが、たまたま見かけたこのSNSキャンペーンをみて、そのとき足りていないところがはっきりとわかった。

じぶんがこのキャンペーンに応募したいかどうか。

そんな当たり前のことを、とか、そんなことも考えずに実施していたのかと言われそうだけど、その部分をもっともっと考えるべきだったのだ。じぶんだったら、どういうキャンペーンなら喜んで投稿するか、どういうときに楽しんで投稿するのか。自分自身を掘り下げて、じぶんがしたい投稿とは何かを考えていくことが、他の人がしたい!と思うヒントになり得るはずだ。「この層の人はこれが好きそうだ」ということだけではなく、"つながっている"個人だと認識し、これはやりたい!というものを見つけて、なぜそれをしたいと思ったのかを考えることが、出発点になるはずだ。

そういえば、先日、BUZZFEEDのリツイートキャンペーンで、岡崎体育さんのサイン色紙もらったな〜。それはなんで応募したんだろう。なにかヒントがあるはずだ。

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