"分人"と帰省で気がついた祖母のこと、自分自身のこと
祖母の喜寿のお祝いに、従姉妹がぼくたち孫の写真を集め、アルバムをつくっていた。先日、福井に帰省した際、祖母にそのアルバムをみせてもらった。
生まれたばかりの孫を抱く祖母の写真が並んでいた。写真の中の祖母の顔は、どれもフラッシュで白く飛んでいた。それに、生まれたばかりのぼくを抱く祖母の顔は、少し違って見えた。確かに若い。でもそれだけではない。いまとほとんど変わらないけれど、どこか緊張しているような表情に見えた。
その顔を見ていると、ぼくが知っている祖母の顔は、ぼくに向かっている顔だったのだと気がついた。
実家には、そのアルバムに載せる写真を選ぶために、母が、ぼくたち兄弟の小さいころからの写真を箱に集めていた。ぼくは自分の写真を、一枚一枚、これはあのときのあそこだ、これは誰と撮ったものだと声をあげながらめくっていった。
生まれたときの写真、小学校のサッカー部のメンバーで並んで撮った写真、サッカー部のみんなでスキーに行ったときの写真、家に友だちを招いたときの写真…過去の自分の顔がたくさんあった。
ぼくは、ぼく自身の写真を見ていても、やはり表情に注意が向いた。こんな顔で、あの場にいたのかと驚いた。こんな表情で、あの人たちと関わっていたのかと、とても新鮮に感じた。
今とはちがう自分が存在しているような感じがした。ぼくの思う”昔のぼく”ともちがう、ぼくだけど、ぼくじゃないような、他人のようにも感じた。
写真を見ていくうちに、自然とその頃の感情を思い出した。楽しかった。だけど、居心地の悪さも同時に感じていた。
ぼくは、親に、友だちとの関わりを見られたくなかった。ぼくが、どんな風に友だちに呼ばれ、どんな風に話して、どんな表情をしているのか、それを知られるのが嫌だった。「そんな感じなのね」と思われること自体が嫌だった。
友だちにも、ぼくと親との関わりを見られたくなかった。「パパママ」と呼んでいたことはもちろん隠したかったし、どんな風に話しているのかも見られたくなかった。
それに、教室で、サッカー部で、地域の集まりで、周りに合わせ、相手に合わせて過ごし、あのときの自分は「本当の自分」ではないと考えたこともある。なにか仮面をかぶったような、キャラを演じているような感覚があった。
写真の中のぼく自身の顔を見ていて、ぼくは、ぼく自身に居心地の悪さを感じていたことを思い出した。
祖母の表情はぼくに向けられているものだった。ぼくとの関わりの中で生まれているものだった。
自分の中にも、いろんな関わりの中にそれぞれ自分が存在していたということに気がついた。
写真を見て、そのことに気がついたのは、帰省する特急列車の中で、平野啓一郎・著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んでいたからだった。
この本では、”分人”という考えを紹介している。”「わたし」は確固たる自己があるわけではなく、いくつもの「分人」によって構成されている”というのだ。
わたし個人を、唯一無二の「本当の自分」と「ニセモノの自分」と考えるのではなく、”対人関係ごとに見せる複数の顔が、「本当の自分」である”と考える。人との関わりの中で生まれる”分人”の集まりが、自分である。
職場、大学の友達、社会人サークル、家族、幼馴染…思い返してみると、それぞれの人たちと接するぼくは自分自身に変わりないのだが、それぞれで違っていることは確かだった。人によって態度を”変える”ことを快く思っていなかったが、自分自身の振る舞い、話し方、感じ方、考え方は、人によって”変わって”いた。繕うことなく、自然に。“分人”という考え方は、わだかまりをとかした。自分の中にある、いくつもの違う自分の存在を肯定することができた。
祖母の写真、家族の写真、自分の写真は、まさに”分人”のスナップショットだった。
表情の違いは、“分人”の違いでもあった。
ぼくに向かうあの表情、あの態度、あの声色、話し方は、ぼくとの関わりの中で生まれた祖母の”分人”だ。だから、写真の中の祖母の表情とは少し違うのだろう。
自分自身の写真の表情から思い出した居心地の悪さも、”分人”で説明できる。
ぼくは、自分自身が人によって関わり方を変えていることを自覚していた。ぼくは、その差異が気持ち悪かった。その差異を見られたくなかった。認めることができなかった。
“分人”が、当時の居心地の悪さの正体を突き詰めた。
わかった瞬間、ぼくは、写真のいろんな表情を、過去の記憶を、「それも含めて自分自身である」と、急に納得できるようになった。
すると、写真から違う意味が見えてきた。ぼくは、こうやって育てられてきたのか、こういう人たちと生きてきた証拠がここにあるんだと実感した。
自信もなく、揺れている自分に、足場が見えるような感覚だった。過去の自分に背中を押されているような気分になった。
よい帰省になった。
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