ぼくを自由にしてくれたように、人の可能性を見つけたい
バカにされたくない。比べられたくない。一目置かれたい。
正解の行動を続けたい。嫌われたくもない。そう思って生きてきた。
書いてみると「よくある感情」のように思えるが、自分がそういう感情を持ち、その思考の枠で不自由に感じていることに気が付き、ぼくはそれを超えたいと思った。
小学校4年生から、サッカーを始めた。
友だちが楽しそうにサッカーをしていたのを見たからだ。
高校卒業まで続けていたから、サッカー自体は好きで、楽しくもあった。
ただ、上手い、下手が明確だった。そして、その技術的、体力的差の先にある、同じ学年ではあるが、どこか言葉や態度、かけられる期待に、「上下の関係」を感じていた。
ぼくが下手で、「下」の認識で、楽しさを感じなくても辞めなかったのは、もっと「下」になってしまうと思っていたからだ。友人関係やクラスから、蔑まれ、孤立してしまうことを恐れていたのだ。
中学生になって、その上下の関係性がより強固になった。
中学生になると、地域の強豪チームのメンバーも集まる。結果的に、ぼくはレギュラーに選ばれず、上位チームにも入れなかった。
入学してすぐ、何回かの練習や紅白戦を経て、ぼくは「下」であることが発表された。
まるでチームから要らないと言われているような感覚だった。
「上位チーム」が歓迎され、厚く指導され、活躍する中学校の代表であり、ぼくらはその2軍チームでしかない。その区別は強烈だった。
さらには、「上位チーム」のメンバーからバカにされ、笑われる。悔しかった。
もちろん、皆がそうであったわけでもないし、そういう意識はなかったかもしれない。友人関係が、上手い下手の中だけにあるわけではなかった。
ただ、一緒に過ごしていく中で、言葉の表現や態度から「下」に見られていると感じていた。
気がつくと、自分自身も立場や何かの指標で、他者を上か下かで見ていた。
成績や先生の顔色、友人の顔色を意識して過ごし、クラスの人気者には笑顔で応えた。
それらの指標で「下」とみなす人には、自分自身も、そういう言動をとったこともあった。
ぼくは「上」の人を妬み、「下」である現状に、卑屈になっていた。
人と比べるこの日々は、ものすごく苦しかった。
人と比べられ、選ばれず、バカにされること。選ばれるように、嫌われないように過ごすこと。がんじがらめになって窮屈で、不自由な記憶をよく思い出す。
そんな自分を自由にしてくれたのは、高校1年生の担任の言葉だった。
「このままがんばったら、○○大学に行けると思う」
担任との面談で、科学を学びたい、研究をしたいと伝えたときの言葉だ。
人と比べることなく、そして可能性に目を向けた一言が衝撃的だった。
解放された気持ちだった。
卑屈になり、自分なんてと思っていた自分の視線が、一気に上に向き、世界が広く見えた。
自分にはそんなことができるんだと、根拠のない自信が芽生えた。模試の結果で示される「偏差値」が全く気にならなかった。
受験勉強はそんなにつらくなかった。むしろ、すこしずつ「できる」ようになる感覚が楽しかった。
そして無事、高校1年生のときに担任の先生に言われ、「ここに行く」と決めた大学に進むことができた。
それまでの想像も超えた場所に行くことができた。
担任のひとことは、自分の視点を大きく変え、自分の思考を変え、行動を変えてくれた。時間がたって、社会人になっても「比べること」「評価されること」は怖い。
失敗も怖い。人の成功が素直に喜べないこともある。
無意識に正解を探してしまうし、嫌われたくないという思いが先行することも多々ある。卑屈になることもある。
そういう考えは、なかなかなくならないのは事実だ。
でも、ぼくが、高校時代に、「上下」にこだわる自分自身の思考の枠を外すことができ、自由を感じ、思ってもいないような世界に足を踏み出すことができたように、ぼくは、「君には可能性があるよ」といえる人になりたい。
思考の枠に閉じこもって、動けない自分を自分で鼓舞できるようになりたい。
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