僕は大人になったら高田純次みたいになりたい!
「どうも。ジョニーデップです。」
またいつものだよ。いつもテキトーだね。でもなんか笑っちゃう。
軽快かつ軽薄な振る舞い。いろんな人を巻き添いに平成の無責任男なんて異名も。
でもなんでだろ。よくよく見なくともイケおじだし、見栄はらないからなんか憎めないんだよな。こんな自由人になりたいなー。
なんて思ってたけど、なかなかこの人ただもんじゃないぞ!ってふと思いまして。
どんな時でもフラットでいたい、なんて僕が日々の暮らしで心掛けていることなんですが、この人それの極みだわ。無理してないし、ほんと自然体。色んな芸能人の証言からいくと裏表のない、ずっと表の人。自分の素のままなんだって。下ネタ言いたきゃ言うし、ボケたきゃボケるし。それでいて笑っちゃうのなんで。語録がいいのかな。誰も傷つけてないのもいいよね。
テキトー、テキトー、テキトー。次々とテキトーな言葉が。大したもんよ。あれ、次々と言葉が出てくる。頭の回転早っ!なんかの映像で見たけど英語もなかなかなもんで(彼と同世代のいかにも日本男児おじさんと比較したらって意味だけど)。そう思うともうあの歳よ?!ただもんじゃないでしょ。
僕まだ22歳なんで僕のちっちゃい頃のイメージは呑気なおっちゃんだなーなんて思って見てました。まあ、今もそうなのですが。
高田純次フィーバー世代じゃないのでいろんな昔の動画を見て、色んな時代の高田のおっちゃんから元気もらってます。見てる中で気づいたけど、彼、結構苦労人。母の死や浪人時代、妻子持ちの劇団東京乾電池時代。世の中の人みんなそれぞれ苦労はあるだろうけど、彼もその1人なんだーて。多分色んな苦労と共に頑張ってきたんだろうな。
アンミカが言ってた「暗闇を知っているから、光のありがたみがわかる」って言葉。多分彼もそうなんだろう。
彼の名言・格言集なんかみても、
「1番、2番を目指すんじゃなくて、4番、5番を目指す」
「苦しい時は苦しんだから、ふざけてる余裕なんかないってのももっともだけど、泣いても笑っても借金が減るわけじゃないんだから、ふざけてみる。笑ってみる。冗談をいう余裕もなくなると人は死んじゃうって考えるのは、単純すぎかな?」
「なんで俺はダメな人間なんだ。」そんなふうに思いはじめたらキリがない。それよりもはじめから、「イチローだって7割近くは失敗する。3割成功すれば一流なんだから」と思った方が気が楽になる。
これらの格言みたいなものは、自分自身の心の持ちようのためだろう。暗闇の中でもなんとか踏ん張っていこう!て。彼の言葉は良いも悪いも自分の心をフラットに戻すために生まれた言葉なんだろうなって思う。
なにかで彼は「年取ってやっちゃいけないことは、説教と昔話と自慢話」とも言っていた。暗闇という苦労をしてきたからこその名言なのかも。
ただ、そのあとに「だから俺はエロ話しかできない」と言ってオチつけてた。
自分の愚かな部分を出して、周りの人を笑わせる。このオチがあるからこそ話半分に相手は聞けるし、みんな笑えるし、自分は一応好き勝手言える。それだからフラットに生きてるように見えるし、実際そうだとも思う。賢いな。人との関わり方のようなものを小さな言動ひとつとっても学ばせてもらってます。オチあってこそ高田純次!
他にも、
「願いが叶う」とか「夢が叶う」っていう類の本がいっぱい出ているけども、あれはいかにみんなの夢や願いが叶わないかっていう証明みたいなもの
みたいな皮肉も言えるし、
フルーツポンチを逆さに読むと、「チンポツールフ」なんだ。逆さに読む必要もないんだけどね。
みたいな好奇心あっての格言まで。
彼の過去あっての言葉だ。彼の多彩さは、今をどう生きるかにアンテナを張っていたあらこそ、これまでの過去あっての着眼点が生まれているんだろうな。
テキトーだからこそ見栄もなく、
テキトーだからこそ失敗も恐れない。
テキトーの持つポテンシャルも捨てたもんじゃない。垢抜けるポイントにもなるんじゃないかな。その人の振る舞いがオープンな感じに変わっていったらなんか垢抜けたなーこの人って見えちゃうんだよね。自論なんだけど。
ロケの時なんか躊躇なく誰にでも行くよな。純次が話しかけてんのにフル無視する秋葉原のオタクとかでも隣に居座ってちょっかい出してさー。ディレクターの指示なんてこともあるんだろうけど。時には声掛けた時に反応良すぎる一般人がいればその人をいなしたり。リポーターで鍛えた分、タイプ別に合わせて人と接せれるの見てると気持ちいい。接し方は変えど、ある意味分け隔てないからかな。
収録の際は、序盤と最後だけ頑張るスタイル。トークに火がついた中間でお休みするんだって。どうせみんなが喋ってるとこで自分が参加したって編集で切られちゃうから。逆に言えば、序盤で場に火をつけ、その火でみんなを勢いづかせ、最後は自分が持っていく。必殺仕事人なのよ、彼は。効率もいいし。ポイントを抑えた視点を持ってるのって自分が楽していたい極みの部分で出た、ちゃっかりした適当さが垣間見える。
結局言いたいのは、ここまでテキトー人間だからこその適当さが最高ってこと!
テキトーも適当も一応は同じ意味合いではあるけれども、「適切」なのかで考えれば真逆の意味合い。
何かが秀でていればその対も秀でるのかな?高田純次さんを見て、いつも学びと発見を頂いています。そして憧れです。あんなイケおじなりてえよ。
あー好きなことして生きよ。楽しく生きよ。
ここまで書いてて思ったけど、僕はこの時点で変なテキトーさがないような気もするが。
僕も大御所のリングを口の中に入れられるくらい頑張ってみるか〜
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