高得点力を持つ打線における5番打者
5番打者というと、前の打力のある3・4番が出塁するケースが多いため、それをホームへ帰すだけの長打力を求められ、かつ得点圏で打席が回ってくることが多いため、チャンスでの強さを求められる打順ではないでしょうか。
かつて、松井秀喜の後を打った清原和博や、金本知憲の後を打った今岡誠は上記の条件を満たした打者であり、両者ともに1シーズンで120打点以上を稼いだ経験があるなど、その適正を十二分に発揮しました。
そんな5番打者像ですが、近年NPB史上でも屈指の傑出力を見せた2016年~2018年の広島打線や2018年西武打線を見ると、変化が起きつつあるように感じます。
どのあたりに変化を感じるかというと、広島では松山竜平・安部友裕・西川龍馬、西武では森友哉・栗山巧など、これまでの5番打者像とは異なるコンタクトヒッター寄りの打者が起用されるケースが増えている点です。
その他に選手がいないため、このような打者が配置されているわけではなく、広島にはエルドレッドやバティスタといった圧倒的な長打力を持つ外国人打者が在籍していましたし、西武には前半は不振だったものの中村剛也という稀代のアーチストを擁していました。
このように変化を見せる5番打者像について、過去の歴史を振り返り、屈指の傑出した得点力を誇った打線における5番打者はどのような変遷を辿っていったのかを探るとともに、5番打者に適する打者とはどのような打者なのかについて考察していこうと思います。
1.歴代強力打線から見る5番打者
まず屈指の得点力を誇った打線を挙げていきますが、ここでは日本プロ野球RCAA&PitchingRunまとめblogさん(http://ranzankeikoku.blog.fc2.com/)からデータをお借りして、パークファクターを考慮した上で歴代屈指の傑出した得点力を誇った打線を例に取り検証していきます。
屈指の傑出度を誇った打線として挙げられている30チームの、主に5番打者を任された選手を一覧にしたのが表①となります。
1950年代~1970年代は、王貞治・長嶋茂雄を中心とし圧倒的な得点力を誇ったV9巨人とその周辺の年代の巨人にて多くが占められています。
その巨人の5番打者を見ると、投高打低の時代の影響からか一定の基準となるOPS.800越えの打者は2名のみと、打撃成績は些か寂しいものとなっています。(投高打低具合を補正すると、5名となるようですが)
その打撃成績をもう少し細かく見ていくと、IsoD(出塁率-打率で選球眼を示す)は.070がおおよその平均値ですが、それを超えているのは1963年の坂崎一彦と1969年の柴田勲のみで、選球タイプよりは積極タイプの打者が多く配置されていたことが窺えます。
加えてIsoP(長打率-打率で長打力を示す)は.150がおおよその平均値ですが、これを超えているのは1967年の高倉照幸と1968年の柴田勲と1973年の高田繁の3名のみで、長打力のある選手を据えるというよりは、あえて森昌彦のような打者を起用していることから、勝負強くコンタクトヒッター寄りの打者を起用していたことが分かります。
その後、1970年代後半~1990年代に入ると、外国人選手の流入が進んだためかその様相は一変し、OPS.900を超えるような打者がズラリと並んでおり、5番打者としてはイメージ通りの強打者が名を連ねています。
中でも西武黄金期に5番打者として起用されたテリー・バークレオ・デストラーデといった外国人は、打率こそ高くないもののIsoPは最も低いテリーでも.293と、圧倒的な長打力を誇る選手を起用しています。
この辺りから、5番打者像は長打力のある打者という固定観念のようなものが出来上がっていったのかもしれません。
2000年代に入ると、特に決まりきった傾向があるわけでなく、城島健司・アリアス・ブラゼルといったリーグでも屈指の長距離砲を起用するケースもあれば、磯部公一・フランコ・松山竜平・森友哉のように左の中距離打者タイプを起用するケースもあり、上記で見てきたパターンが入り乱れていることが分かります。
以上より歴史的には、まずコンタクトヒッター寄りの打者が起用されることから始まり、外国人選手の本格的な流入に伴いパワーヒッター寄りの打者が多く起用されるケースが増えましたが、時代が進んで行く中でどちらも効果的であることが分かり、各々の打線に合った形の打者が起用されるようになった、といったところでしょうか。
また、5番打者に起用されている選手のザックリとした特徴を挙げると、IsoDの低い積極タイプの打者が大半であり(19/30がおおよそ平均の.070以下)、外国人打者が起用される場合はパワーヒッター寄り(IsoPがリーグ屈指レベルの.250前後もしくはそれ以上)の打者が起用され、日本人打者が起用される場合はコンタクトヒッター寄り(IsoPが優秀レベルの.200前後もしくはそれ以下)の打者が起用されるケースが多いことが分かります。
2.打線の流れから見る
次に一つの打線の流れとして見た時、それぞれの5番打者はどのようにして機能したのかについて考察していきます。
先に述べておくと、打線の中で機能する配置パターンとしては3つに分類できるように思います。
①4番打者とタイプの違う打者を配置する
②4番打者に続いて長打力のある強打者を配置する
③あえて最強打者を配置する
まず①についてですが、これが近年の広島や西武で見られている形になり、古くはV9巨人から「いてまえ打線」の近鉄にも見られる配置で、2003年/2010年の阪神のように4番に中距離打者(桧山進次郎/新井貴浩)を配置し、5番に長距離打者(アリアス/ブラゼル)を配置するようなパターンもありました。
この配置により、相手バッテリーも打者タイプの違いから攻めづらさが生まれ、例えば5番がコンタクトヒッター寄りの打者の場合は、前が強打者故に走者が溜まりやすく得点を与えたくないところで、強打だけでなくコツンと確実に得点を奪いに行くような打撃も出来るため打線の柔軟性を生むことができます。
中でもV9巨人の配置は特徴的で、4番に入ることの多かった長嶋の後を打つため、左のコンタクトヒッター寄りの打者が起用されることもそうですが、ONが走者を一掃した後にもう一度チャンスメイクするような意味で柴田勲や高田繁といった1・2番タイプのような走力のある選手を起用していた点です。
もちろん両者ともにOPS.800前後を期待できる打力を持ち合わせるなど水準以上のものがあり、長嶋との勝負を避けさせない体制が整っていました。
続いて②は、1983年西武のテリー、1985年阪神の岡田彰布、2003年ダイエーの城島らがこれに当てはまります。
テリーの場合は田淵幸一、岡田の場合は掛布雅之、城島の場合は松中信彦と、打席の左右こそ違えど本塁打王獲得経験のあるような強打者が4番を打っています。
この配置のメリットとしては、4番と同レベルの打者を配置することによる4番へのマークの軽減と、前の打者が残した走者の一掃という従来の5番打者に求められるようなものでしょう。
テリーと岡田に関しては、前を打つ打者たちに打力はあるものの走力の無い選手が多く、長打によって走力を出来るだけ介入させず安定した得点力を得られるような効果もあったはずです。
最後に③は、稀なケースですが1978年阪急のマルカーノ、1991・1992西武のデストラーデはこのケースに当たります。
マルカーノはこの年リーグ2位かつチームトップのOPSを記録し、またデストラーデは2年連続本塁打王かつリーグトップのOPSを記録しており、チーム最強打者と呼んでも良いのではないかと思います。
ただ両ケースともおそらく意図的に5番に置いたというより、諸々の事情から5番という打順に収まったのだと思われます。
マルカーノの場合は1975年の来日以来5番が定位置だったことに由来するのでしょうし、デストラーデも既に3番秋山幸二、4番清原和博の形が出来上がっており、それを崩すことなく最適な打順に組み込むとなった際に、5番という位置に収まったのだと推測がつきます。
偶発的に生まれたこのケースですが、このような打者を5番におけるような野手陣の層の厚さがあるのだから機能するのも当然と言えましょう。
3.まとめ
傑出した得点力を持つ打線の5番に起用される打者の特徴
・積極タイプで外国人打者はパワーヒッター寄りの打者、日本人打者はコンタクトヒッター寄りの打者
打線の中で機能するパターン
・4番打者とタイプの違う打者を配置する
・4番打者に続いて長打力のある強打者を配置する
・あえて最強打者を配置する
以上がまとめとなります。
近年広島や西武に見られるような5番打者像は、真新しいモデルケースではなく、とうの昔から存在していたことが分かります。
また、5番打者に限りませんが、単に強打者だからとかチャンスに強いからといった、よく言われる5番打者の役割に適した選手を当て込むのではなく、「打線」として前後の繋がりを考える中で、個性を発揮しつつ相互補完しあえるような思考を持って誰を起用するかを決めることが重要となってくるのではないでしょうか。