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劇団四季『ゴースト&レディ』を語り尽くす!

今回は久々の「劇団四季」作品を鑑賞、その感想を語りたいと思います。

ということでJR東日本四季劇場[秋]にて7月5日(金)13時30分開演の『ゴースト&レディ』を観てきましたので、その感想を語りたいと思います。


7月5日(金) 13時30分 キャストボード
昨年11月「アナ雪」以来の浜松町
ここは本当に見やすい劇場です

『ゴースト&レディ』について

毎回四季の公演パンフは内容が濃ゆい
マストで買うべきアイテム!

作品紹介

スコット・シュワルツら気鋭のクリエイター陣が
壮大に、しなやかに、生き抜く力を描き出す。
信念をつらぬくナイチンゲールと、
劇場のゴースト グレイの永遠の絆の物語。

看護に一生を捧げたフローレンス・ナイチンゲール(フロー)。その傍にはある特別な存在があった…。
劇団四季が新たに贈るのは、劇場のゴースト グレイと令嬢フローが深い絆で結ばれ、逆境に立ち向かって信念を貫こうとする姿を、史実を織り交ぜながら描いた大作です。
原作は「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる人気漫画家 藤田和日郎氏の代表作「黒博物館 ゴーストアンドレディ」。
演出はミュージカル『ノートルダムの鐘』を手掛けたスコット・シュワルツ氏。
さらに国内外の才気溢れるクリエイターたちが集結し、波乱に満ちたドラマを、想像をかき立てる舞台、壮大なスケールとともにお届けします。
生きる意味を見出し、それをまっとうしていくフローの姿、孤独な過去を持つ2人が互いに人生を照らし合っていく軌跡。

強い魂の絆と生き抜く力を贈ります。

公式サイトより引用

あらすじ

時は19世紀。舞台はイギリス。
ドルーリー・レーン劇場に現れたのは、有名なシアターゴースト グレイ。芝居をこよなく愛し、裏切りにあって命を落とした元決闘代理人。

そんなグレイのもとを一人の令嬢が訪ね、殺してほしいと懇願する。
それは看護の道に強い使命感を抱くも、家族による職業への蔑みと反対にあって生きる意味を見失いかけていたフロー。
最初は拒んだグレイだが、絶望の底まで落ちたら殺すという条件で彼女の願いを引き受ける。
死を覚悟したことでフローは信念をつらぬく決意をし、グレイとともにクリミアの野戦病院へ赴くことに。
次第に絆を感じ始める2人だったが、そこで待っていたのは劣悪極まる環境と病院改革に奔走するフローを亡き者にしようと企む軍医の存在。
さらにその傍らにはグレイと同じ、あるゴーストの姿が…。

公式サイトより引用

日本産ミュージカルで世界に挑め

国産ミュージカルを作る

今作は劇団四季作品の中でも新しい試みにチャレンジした作品だ。

主に四季は海外で製作された「ミュージカル」のライセンスを獲得し、上演をしていることは一般的に知られている。
特にディズニー作品のミュージカルは、大きな軸になっている。

それとは別にオリジナル作品のミュージカルにも力を注いできたという歴史がある、ただやはり上記のディズニー作品に比べると一般的に知られているとは言い難い部分もある。

さてそんな二本の軸のうち、大きなウェイトを占めるディズニー作品の上演。
これがコロナ禍の際、その場の状況に応じての演出の変更などが容易ではなく、許可を取る必要があり、制限が生じてしまったことなどから、実は緊急事態に対応が難しいという課題が浮き彫りになったのだ。

さらに四季は元々「日本から世界に通用するミュージカル作品を作る」という高い目標を設定して、企画準備室を作っており、題材選びに奔走をしていた。
その中でまず、2022年4月『バケモノの子』が上演された。
そして、その企画のもう一つの矢として2024年5月から上演されているのが『ゴースト&レディ』だ。

この『ゴースト&レディ』は「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる人気漫画家 藤田和日郎氏の代表作「黒博物館 ゴーストアンドレディ」で、劇場に住み着いたゴーストのグレイと令嬢フローが深い絆で結ばれ、逆境に立ち向かって信念を貫こうとする姿を、史実を織り交ぜながら描いた大作となっている。

そんな作品を今回は鑑賞してきたというわけだ。

原作からのアダプテーションがいい

さて今作は当然漫画原作を舞台に置き換えることをしているのだが、今作は主人公でありロンドンのドルーリー・レーン劇場にとりついたゴーストであるグレイが、過去にあった物語を「演劇・ミュージカル」として作り、それを初めて披露するという体裁、つまり我々はグレイの作った作品を見ているということになる。

ちなみに原作ではロンドン警視庁の犯罪資料館「黒博物館」に展示された“かち合い弾”と呼ばれる謎の銃弾があり、その裏に隠された物語をグレイが学芸員に語るという体裁で物語が展開されていく。

なので冒頭から、かなり展開が異なるし味わいも大きく変わると言える。
特に原作では、そもそもの語り口のキッカケになる「かち合い弾」すら登場しないことに驚かされもした。

ただ、この「グレイが語る演劇」であるという体裁。
これが「舞台作品」の大切な要素である「リアリティライン」
つまり観客が「どこまでも想像で補うのか」という線引きに関わる重要な要素だったと言える。

例えば「アナ雪」「バケモノの子」などは、可能な限り舞台上に、その場面に合わせたセットなどを展開し、プロジェクションマッピングやスクリーンへの背景投影などを行い、「目の前に世界を創り出す」ことで、観客の「想像の補完」を最小限に減らしていた。
それはアレンデールはアレンデールのセットを使い、雪山は雪山のものという風にだ。
「ここを雪山だと思ってみてください」というものではなく、実際にそれを作り出してしまうのだ。

だが、今作は基本的に「ドルーリー・レーン劇場」のベースセットがあり、そこからセットの組み替えなどが行われもするが、基本的にベースは動かない。
つまり、これはグレイの作った舞台であるという前提である以上、「我々は想像の補完」が必要であるということを最初からインプットされた状態で物語が始まるのだ。

個人的に劇団四季の作品は全て「観客の想像をどこまでさせるのか?」ということの設定が早めにされており、おかげで早めに没入できるようにしてあるのが特徴だと言える。

しかも冒頭は『アラジン』のジーニー宜くグレイが観客と交流する演出もあり、こうした演出で自然と観客の今回の作品に対するリアリティラインを低く設定している。(例えば「アナ雪」はリアリティリアンを高くしており、目の前にあるのは本物の「アレンデール」だと見て欲しい意図がある)

ちなみに今作では開演少し前からグレイの動く音のようなもので気配を演出していたりするので、少し耳を澄ませてみるのもおすすめ。

そして作品はそこから19世紀、ロンドンの満席の「ドルーリー・レーン劇場」から幕を開けることになる。
まず自分がここで「やられた」と思ったのだが、舞台は限られた人数をうまく使いながら多くの登場人物を表現しないといけないが、この場面ハリボテの人間などをうまく使い、満席を表現している。
しかしそれは、あくまでハリボテだとわかる精度でだ。
このあえてチープさを程よく残しているあたりも、前述のリアリティライン設定に大きく関わっている。
この冒頭のライン設定の周到さは見事だし、ここで本物の人間、ハリボテの使い方のバランスも見事に演出されており、心掴まれてしまった。

そこからもう1人の主人公「フロー」(フローレンス・ナイチンゲール)が登場しどういうわけか、「自分を殺してくれ」とグレイに頼むのだ。

ちなみにこのあたり原作では、人は生き霊を宿しているなどの要素が語られるが、そうした設定自体はオミットされており、あくまで人の悪意のヴィジョンという表現になっている。

そこからフローの家に行き両親を説得いや、言い合いをするシーン。
そしてこの舞台ように用意されたフローの婚約者アレックスの登場なども描かれるが、自分の信じた道。
つまり看護師として人のために尽くしたい。
そのためにクリミア半島の戦地に赴くという意思を固めるまでが描かれていく。

その後舞台はクリミアのスクタリ野戦病院へと移っていく。
ちなみに原作ではロンドンのとある病院に行き、その環境を改善するために奔走したり、元々働いている看護師と対立しながらも改革していくというエピソードがあるが、それもカットされている。
ちなみにこの、環境の悪い病院の環境改善のために、フローが奮闘するも、そこに元々いる看護師に最初は煙たがられつつも、認められていく様子を削ってしまっているのは数少ない今作の欠点だとも言える。

ただ、先述したフローと両親・家族との言い合いの場面で「戦場は男のもの」「女はいい身分の男と結婚すべき」という当然舞台である19世紀のジェンダー意識から考えれば当然のことを言われる。
今作はどちらかといえば、この「ジェンダー論」を主に描いている側面もあり、この2024年に舞台化するのならば、この時代の問題を描かなければならないという作り手の意識も当然あるのかも知れない。

つまりフローの奮闘よりも、時代性を優先した結果だとも言えるのではないか。

ちなみに時代性で言うと、この作品の舞台化企画スタートである2018年の企画準備室の立ち上げ。
この時点でロシアによる、2014年のクリミア半島をウクライナから編入したことは当然世界に衝撃を与えていたし、2022年に始まり今も続く「ロシア・ウクライナ侵攻」
今作の舞台であるクリミア半島は戦場にもなっている。
ちなみにロシアとクリミアの関係は、今作のクリミア戦争(1853年)から現代まで続いている問題だとも言える。

さらにコロナ禍で「看護士」の活躍も記憶に新しい。
当然偶然もあるだろうが、今作は作り手の意図をも超えて、時代批評性の高い作品になっているのも特徴だと言える。

個性豊かな登場人物

今作はグレイとフローの他にも個性豊かな登場人物が描かれる。
例えば戦場からイギリスに、困難な状況を知らせ続けるラッセル特班員が随所にナイチンゲールの勇敢な姿を語りかけるシーンは、演者の声の抑揚もあり心高鳴るシーンだった。

そしてもう1人のゴーストでありグレイとの因縁の相手デボン。
カーテンコールでは主役以上にも思えるほど拍手喝采を受けており、非常に魅力的ヴィランになっていた。
原作では結果的にジョン・ホールに使役させられてしまっている存在だったが、今作ではあくまで主従ではなく対等ということで、原作以上に格を保っていたのも良かった。

そして原作にはいない追加されたアレックスとエイミー。
今作でアレックスは冒頭でフローの婚約者として登場するが彼女は「結婚して家庭にいることだけが女性の生きる道ではない」と婚約を断りを入れる。
しかし、グレイに明かした本音では「彼に惹かれている」とも語っている。

つまり好意はあるが、自分の人生を生きるために彼との道を選ばなかったのだ。

その後、中盤スクタリ野戦病院で再会、しかし彼とやり直しは選ばなかったというエピソードが語られる。
ここでのグレイとフローとアレックスの微妙な関係性も萌えポイントでもある。

その後アレックスはフローとともに戦地にやってきたエイミーと恋に落ちて、戦場を離れることを告げるシーンが描かれ、フローの心は乱れる。

この場面で大きくフローの心が揺れ動くのだが、フローは自分の信じた道を歩くことに人生の意義を見出しており、看護のために人生を捧げる決意をしている。
そしてその信念は揺るぎないものだった。
そのためにアレックスとの人生を選ばなかったし、そこには確固たる意志があったのだ。
しかし心が揺れ動いてしまう。

確かにこの場面、苦しい病院の状況の中、信頼できる人間が自分の元を去る決断をする。
そこにフローが苦しみを感じている、だからこそ心が乱れる。
そういう解釈が自然だろう。
その後グレイがフローに寄り添っていく過程が描かれることからも、おそらくそういう解釈が最も腑に落ちるものになっている。

しかし、この場面があることで今作が描いている「女性の幸せとは?」という問題により深みを与えているとも言える。

この物語で冒頭のフローと両親の言い合いで「女性は結婚することで幸せになれる」という押し付け的な価値観が語られ、フローはそこに反発をする。
このことを描くことで旧態依然とした「女性の幸せとは?」という現代的な問題提起にもなっていた。

これは最近のディズニー作品でも顕著ではあるのだが、この「恋愛・結婚だけが幸せじゃない」ことを強く描きすぎることで、逆に「恋愛・結婚を否定する」という問題がしばし見受けられる。
本当は「恋愛・結婚の成就も幸せの形の一つ」であることは紛れもない事実なのに。

つまり、この場面フローの心のどこかにはアレックスとの道を望む心も少しばかり残っており、その道が無くなってしまったことに心が乱れたというふうに見る。
確かにそれは傍目から見れば我儘に見えるかも知れないが、でも「幸せ」の道の一つが閉ざされたことで、心が乱れる。
そのほうが、よっぽど人間らしいし、「女性の幸せ」を問う上で深いと言える。

原作では確固たる意志で、それこそ看護に人生を費やした女性ナイチンゲールという史実にもある、一般的なナイチンゲール像を強く打ち出していたが、この「乱れ」の描写があるおかげで、今作のフローは悩める人間として味わい深さが増したとも言えるのだ。

この「悩み」があることで、今作の描く「女性の幸せとは?」という問題が、「恋愛することを否定する」こと一辺倒になってないのだ。

ラストはやはり泣かされる

そして、やはり今作のクライマックスは原作同様「泣ける」展開になっている。

全ての決着をつけるためにバラクラヴァに行くフローとグレイたち。
そこでヴィランたちとの決戦、剣劇をきちんと見せるし、ゴーストならではの空中に舞い上がりながらの戦闘などは見事だった。

そして全てが終わり、時世が一気に飛び、フロー最期の瞬間。
ここで冒頭ではある意味フローにとって何一ついい物ではなかった「サムシング・フォー」が彼女に提示される。

古いものはグレイ。
新しいものはフローが作り上げた医療体制。
借りてきたものは、フローのトレードマークのランプ。
(ちなみに今作では、史実でナイチンゲールが「ランプの貴婦人」と呼ばれているが、そのきっかけはグレイが与えている)
そして青い空。

天国へ行くフローと残るしかないグレイ。
フローが光り輝く舞台奥の扉に向かい消えていくシーンは、至極の名シーンだと言える。
ちなみに今作の演出は四季の『ノートルダムの鐘』の演出チームが手がけているが、あの時も同じく奥の扉にカジモド、エスメラルダが進んだが、あちらは悲劇的だったが、今回は「幸福」に見える描写になっている。

そういえば、「ノートルダム」も物語が終わった後、観客に対しての投げかけがあったが、今作も同じ演出がなされている。

それはグレイがフローの没後100年以上かけてこの作品を作り上げたということだ。
フローの死は1910年。
そこから100年以上の現代にグレイがこの物語を我々に見せてくれたということが語られる。

この極めて現代に近い時系列で物語を締めくくることで我々は「ナイチンゲール」が、それこそ「コロナ禍」での看護体制の礎を作ったこと、彼女のサムシング・フォーの一つは今も残り続けていることに気づかされるのだ。

そしてグレイはそもそも劇場にずっと住み着いて、演劇の主役をしたいという願いを持っていたが、物語の閉幕を告げることで、主役として物語を締めくくりその願いを叶える。

彼が最後に客席に向かい退場していくのは、彼もまた成仏するすとができたことを意味するのか?
それとも今も劇場を見守り続けているのか?

様々な余韻を残して心に深く刻まれた舞台が閉幕したのだ。

舞台としての面白さ

さて、今作も舞台の面白さを堪能できる作品になっている。
なんと言っても冒頭の満席のドルーリー・レーン劇場の様子の表現でいきなり面食らわされましたし、そこから馬に乗りフローの家を目指す。

その馬車の上でゴーストとはなんぞや?
とグレイが他のゴーストとの違いを朗々と歌い上げるシーンは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」っぽさもありつつ、「ホーンテッド・マンション」的なポップなお化け表現が個人的には楽しすぎました。

あとはフローがクリミアを目指すシーンで航海の日々を看護師チームが歌うシーンも曲のキャッチーさも相まって大好きなシーンになりました。
ベタな表現だけど、彼女たちの後ろでヨーロッパの地図が広げられ、その航海の足跡を見せることで、イギリスからクリミアに行く方法がいかに時間がかかるのか?
というのを視覚的に見せているのも良かった。

個人的には途中のグレイの回想する過去のドルーリー・レーン劇場の様子をややチープな見せ方をするのだが、このチープさが逆に「記憶の投影」という感覚を強くさせており、こういうのも上手いなぁと思わされたり。

あとは階段を動かしながらフローとグレイの距離感を表現するなど、この階段演出は「ノートルダム」を彷彿とさせられたり。
演者が小道具やセットを動かしながら舞台の配置展開などを変化させていくところなど、やはり演出チームが「ノートルダム」と同じということもあり、非常に似た表現も多いなと感じた。

まとめ

ということで結論は、もちろん大満足!と言わざるを得ないのが現状ということで、原作からのアダプテーションなどもよく考えられた作品に仕上がってました。

確かにグレイというキャラクターを考えれば、彼自身が「演劇を作る」という思考になるのも頷ける。
そしてその設定が、舞台を見る上で大切な「リアリティラインの設定」にうまく寄与している。
まさに一石二鳥なアレンジだというわけだ。

あとはこの2024年開幕の新作として、おそらく作り手の意図を超えてこの作品が、現代に突き刺さる要素も多いのも特徴だろう。
ジェンダー論、女性の生き方。
そしてコロナ禍で、我々が感謝してもしきれない看護師の活躍、そのベースを作った物語であるということ。
そしてクリミアという、今現在進行形で戦火が広がる地での物語であること。

まさに今見なければならない要素に溢れた作品だと言える。

惜しいのは現状この傑作が11月までしか上演されないこと。
次はいつどこで見れるのかわからないので、ぜひみなさん、この作品を見逃す手はないと思うので、ぜひ四季劇場でチェックしてみてください!!

おすすめです!!



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