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日本のジェンダーギャップを認識したきっかけ
元々、運よく学びを得られてきたこと
以前の投稿で書かせていただいたように、私は比較的多様性の部分(ここでは主にジェンダーギャップの件についての言及だが)で、学びを得る機会に恵まれていることについて言及した。
そんな私であるが、最近ふとジェンダーギャップについて私自身が、強く印象付けられるできごとが過去にあったことを思い出す機会があり、忘れないうちにそれを記録しておきたいと思い書いてみることにした。
過去の出来事
それは、中学生時代までさかのぼる。
私の年齢が1986年生まれで現時点で35歳のため、ちょうど20年ほど前の事だ。
私が通っていた中学校では、卒業式などで来賓の方が挨拶されるタイミングで(これ自体はどこでもあると思うが)、公式に招かれていないのに壇上に勝手に上がって祝辞を述べられる町議会議員の方がおられた(おそらく当時の時点で元町議会議員の方であったのかもしれない)
もはや、それ自体がクレイジーなのだが、公然の秘密?いや事実として誰からも認識されちょっとした名物キャラになっていた。
その方が、私たちが中学2年生もしくは3年生のいずれかの卒業式で述べられた話の内容こそ今回の本題の部分となる。
その時に言われたこと
今でもそのことは鮮烈に思い出される(正確には忘れていたんだけど、思い出したらもう当時の情景がまざまざと呼び起こされる感覚です)。
当時、それこそまだ昨今のように男女平等とかそういったことを強調されて発言される方は失礼ながら田舎の中学校の、それこそ式典での祝辞を述べるようなお立場の方にはいなかったと記憶しているが、その方は突如こう仰ったのである。
「君たちは出席番号がなぜ男から始まるのか疑問に思ったことはないのか?」と。
続けて、「本当に男女が平等だというのなら、出席番号は男女混合であいうえお順などで決めればよいはずだが、いまだにそれがなされていない」
※当時は2000年か2001年ころ。
こんなことでは日本の行く末が思いやられると。
少なくとも70歳は優に超えられ、80歳には迫っておられた方が20年も前にこういう発言をしておられたのだ。
教職員の方々が苦々しく笑いながらというか、誰一人その現実を変えられないことをわかっている公務員ならではの冷めた顔で見ていたことも、なぜか覚えている。
率直に言って中学生くらいなので、周りの同級生でもこの言葉をどれくらい真剣に受け止めた人がいたかはわからない。
というより、そんなこと疑問に思ったこともないのが普通だったろうし、私も、このことを言われるまで何の疑問にも思ったことはなかった。ただ、なぜかその時、そのことを親に言ったことだけはうっすら覚えている(気がする。)
とにかく『確かに、なぜだろう?』という痛烈な印象を誰かに言わずにはいられなかったんじゃないかと今では思う。
現在の出席番号はどうなっている?
以下、出席番号(と言ってきているが、名簿といった方が適切?)について昨今の日本の状況について記載されている記事を一部拝借。
男女混合出席簿というのは地域による差はあるのかもしれないがどうやら進んでいるようです。
というよりそもそもこの投稿を見ていただいている若い方の中で、「そんなの(男女混合出席簿)当然では?」「むしろ昔は男女混合じゃなかったの?」って思われている方がいるとしたら、それってとても良いことにも思える。(むしろ、そうであってほしい)
その後の私自身への影響
当時の中学生の私が、その後わかりやすく、何か行動を変えたりとかそういったことは特段なかったというのが結論。
が、もしかしたら心というか脳内の片隅にこの記憶というか印象が残っていてその後の物事に対する考え方に影響を与えていた可能性はあるのではないかと思っている。
そしてこうした出来事というか事象(今回考えさせれるきっかけとなった内容)は、今風の言葉に置き換えると『アンコンシャス・バイアス』そのものではないだろうか。
日本という国の中で、無意識のうちに刷り込まれている”それ”そのものであり誰もそれがおかしいと思っていない。
この現実はまだまだ続いてく、そんな気もする。
それでもなお
日本はこのギャップを埋めるために活動し続けてきているし、先達の尽力のおかげで少しずつ変わってきていることを実感できる国になってきている気もする。
僭越ながら私も、20年ほど前の大先輩の一言を一つのきっかけとして違和感に対してアンテナを張れるようになったかもしれないし、少なくともこうやってジェンダーギャップについて私見を述べたり過去、積極的にそういった経験(かつての所属企業の所属部門で初の男性育児休暇取得など)をできるようなことはしてきたのは事実。
20年前に声を挙げることと、今挙げることではだいぶその発言の重みというかハードルも違っている気がする。そう考えると、いち早くこうしたジェンダーギャップに対する発言をされてきた諸先輩方はとても偉大だと思わざるを得ない。下手をすればその立場を危うくするようなこともあったのではないだろうか。
しかし、今はむしろ追い風だ。偉大なる先人の方々の勇気ある行動を無駄にしないためにも現在を生きている私たちはダイバーシティやジェンダーギャップに対する発信をしていくべきだなと強く想う。