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本当に怖くない猫の話 part.16 中編

まず見合い相手候補をリストアップすることから始めた。代議士の見合い相手である。育ちは問わないというので、むしろなるべく平凡な人を探した。

いきなり海外留学の話をしたり、好きなワインの話をするような人と会話するのは、元相撲取りの朴訥ぼくとつな地方出身の30代の青年には初デートでなくともハードルが高かろう。彼自身は今はスマホで海外の要人とリモートやオンラインで外交を頻繁にしているとしてもだ。実際に外国人に会うのは心許ない英語力だと言うのが本人談で、リモートならチャットで日本語を翻訳機能を使って翻訳すれば良いが直接会うとなると自身の英語力だけが頼りになってしまう。秘書を何人も雇うのも好かないそうだ。彼が野党員だった頃の節約癖の名残なのだろう。

彼は和室のある家で三毛猫を飼いたいという夢があったので、とりあえず三毛猫の飼い主とメールのやり取りをしてもらうと、2人とデートの日取りが決まった。しかし、選ぶ段階とはいえ、真面目な代議士は一人を見定めないうちに次の人のデートを決めてしまうことに抵抗があったようである。

人は大体駅ですれ違って、映画館で隣り合い、喫茶店で語り合う。

映画館デートが定石である。代議士はどちらとも映画を見てデートをすることにした。

しかし、一人目のデートでつまづいてしまった。事前にメールのやり取りで見る映画を決めていたのだが、直前になって違う映画を見たいと相手方の方が言い出したらしい。それも母親の意見である。相手は母親同伴で初デートをしてきたのだ。しかし、彼にとっては母親がついてきたということは問題ではなかった。普通のショッピングモールの映画館でのデートであるが、相撲取り時代ほど巨漢で注目を浴びるということもないので、他人の目はあまり気にならないのだそうだ。それよりも、やはり見る映画を変えられたのが気に入らなかった。彼はもう決めていたやつを見ましょうとあくまで言い張ってみたが、それでも相手の女性が別の映画を見ると言って引かなかったらしい。

それは、アクションものの洋画だった。それを彼は前3列目の真ん中という良席で観ることになった。途中で退席するか寝れば良かったのだが、そういうことをその場では思いつかなかった。

彼は洋画ではロマンスも残酷映画も好きではない。ピストルの音が苦手なのだ。彼がそうなったのには、理由がある。

秘書時代に議員の外遊について行った時、海外で急死に一生を得た。

議員に外遊はつきものである。彼自身は議員になってから選挙が立て続けにあったので、まだその暇はないが、秘書時代は何度かお供させていただいた。

それは最初のイギリスでの外遊での出来事だった。

永田町には議員にとって外遊の視察や要人との面会は口実で、与野党の親睦会が真の目的という人もいるらしい。それが本当かは分からないが、学生時代の同期ということで、彼が秘書をしていた議員は野党議員だったその時も、当時の与党議員と連日視察に出かけていた。

彼はといえば、大使館で相撲を披露してお互いに文化的親交を深めてこいと言われ、その通りに過ごしていた。議員が連れてきた秘書をもう一人いて、他の与党議員の秘書がいなくても事足りるくらい有能だった。

彼はせっかくの機会だからと大使館ばかりでなく、イギリス議会にも出向いた。英語は不勉強であったが、何とかなるものだった。相撲のことを言っても知っている人は少なかったが、ちょうどタブレットが世界で流行り出した頃で、昔取った杵柄で既知のテレビ関係者に自分の現役時代の土俵の映像をもらって、動画をダウンロードしていたから、それを見せると本当に同一人物かと驚かれた。試しにやってみようと言われた腕相撲で、異国のボディーガードまで叩きのめすと大盛り上がりで大使館やイギリス議会のボディーガードの間でしばらく腕相撲ブームがやってきたほどだった。彼はその頃にはもう痩せていたから、握力測定器まで持ってきた人に100kg以上の記録を出して見せたら、「信じられない」と驚かれた。しかし、それは、ちょっとしたびっくり人間扱いで、相撲自体に関心を持ってくれた人は少なかったように思う。外遊に同行する前に親方に約束した相撲のヨーロッパ巡業も実現しないままだ。

それでも、今でも交友があるくらいの知り合いはできて、イギリス大使館からはそれなりに覚えが目出度めでたい。それもやはり、イギリスが彼に対して贖罪の気持ちがあるからだろう。

彼はイギリスで地下鉄に乗って酔客に絡まれてリンチにあったのだ。

7.8年前の当時のイギリスは、テロが多発していた。未だにそうかもしれないが、特に治安が悪くてアメリカほどではないものの銃器の使われる事件も起こっていた。

彼は一人で街を彷徨うことはしなかったし、誰かが必ず彼を毎日連れ出してくれた。夜に一人で食事をしなければならないことは一度もなかった。それでも夜のバーについて行ったのは、油断だったかもしれない。それくらいの冒険は毎日イギリス人はやっているよと言われたら、そうだろうと思った。なんてことないさ。こっちでは、それが日常なんだから。欧州で10日以上も過ごすと日常的に命を危険にさらされる可能性が日本よりほんの少し高いことは彼の頭からすっかり忘れ去られていた。

外で飲むのは気持ちが良かった。いつもよりお行儀のよくない客層が多いと言われたが、男所帯に慣れていたためか外国であまり言葉が分からなかったせいかそういうことは感じなかった。彼は酒に弱くはなく、周りのペースにもついていけて、それでしたたかに酔うこともなかった。周りの人間も上品で、酩酊して醜態をさらすものもおらず、その晩泊まらせてもらうことになった男と二人で帰った。来た時と違って辺りはすっかり暗くなっていて、急ぎ足で地下鉄に向かった。暗くなる前の景色を思い出せない外国人の彼よりもそのイギリス人の方が何か怖がっているみたいに早足だった。

地下鉄に乗っている時、赤ら顔の3人組にちらちら視線を送られるのには気づいていた。

だが、彼らが電車から降りる様子を見せて、入り口付近に立っていた彼に近づいてきていきなりホームに蹴り出してくるとは思いもしなかった。

とっさに受け身をとったが、後に警察に聞いた話では相手も大学で格闘技を習っている人間たちでこちらが起き上がる前にさらに上から蹴りつけてきた。それでもすぐに何とか蹴りを払って身を起こして電車の方を見ると、ちょうど電車の扉が閉まり走り去ってしまった。

見知らぬ異国の土地で、知人は電車の中で去り、自分はどこか分からない駅のホームに残されたとすぐに分かり呆然とすると同時に、相変わらずにやけた顔でこちらを見ている3人組に怒りが湧いた。

一体どういう理由で自分にちょっかいをかけてきたのだろう。

彼は不思議に思って見返していたが、彼らは何が気に入らなかったのかろれつの回らない口調で何か言い散らかし、そのうちの一人がこぶしを振り上げて殴りかかってきた。

現役時代の時には、かち上げや張り手を交わすのが得意だった。相手の右にすり抜けるや否や相手のズボンを腰をつかんで組み伏せるするつもりだったが、相手が突進するような構えで腰を落としてきたので咄嗟の判断で両手を脇に差し替えて投げを打った。ポンと相手の身体が飛んでどんとホームの壁に打ち付けられた時には、彼自身も呆然とした。相撲取りしか相手にしたことがないので、なかなかのガタイの男がそんなに吹っ飛ぶとは思いもしなかったのだ。

ぴゅうッと口笛を吹く音が聞こえてようやっと周りに人がいることを認識し、誰かが英語で「ソルジャーだ・・・」などとつぶやくのが聞こえたが、それを英語でアイム相撲レスラーだと訂正する暇はなかった。

キャーッという悲鳴や危ない!という危険を知らせる声に振り向くと、残りの男たちが腰から刃物を抜いたところだった。

何度思い返しても、咄嗟に身体が動いたことが不思議だった。相手が近づいてくる前に、自分から向かっていった。相手は結構的確に顔や腕を狙ってナイフを振り回してきたが、二人をねじ伏せるのは一瞬だった。一人はナイフを突き出してきた腕をとって投げ飛ばし、もう一人は足を払って懐に入り方からぶつかって突き飛ばした。自分の身体も吹っ飛んだが、立ち上がって服についた埃を払うと自分の方は無傷であることが分かった。見下ろした相手は抱え込んだので頭は打っていないのはわかっていたものの肩が当たったらしく鼻血をダラダラと流していた。

やりすぎだったかもしれないとすぐに思ったが、気絶した3人に現役時代の対戦相手にするように手を伸ばす気にはなれなかった。彼が周囲を見回すと、いつの間にか周りは逃げ出したり、見守ったりしていたらしく、人垣の中で視線があった一人の男は歪なウィンクを投げてきた。

投げ飛ばされた酔客たちは肝を潰したろうが、相撲取りであった彼にとって誰かが相手が刃物を持っていてさらに銃を持っているかもしれないという危機感は相撲を取る時とは違った意味で彼の神経を研ぎ澄ませた。

ー帰りはどうしたらよいだろう。彼が放心状態で心中一人ごちた時ドンっとピストルの音が聞こえた。それがピストルの音だと瞬時に理解できたのは、彼が3人の相手をしている時に銃器のことをずっと考えていたからだろう。

ドンムーブ!そう警官は言った。威嚇射撃を天井に向かってやったのだろうと後になって思うが、その時は自分の方に撃ったのだと思って身構えてしまった。それがいけなかったのだろう。拳銃を突き付けられて、彼は警官の手によって連行されたのだった。

彼は数学や化学は好きだったが、英語は子どもの頃からからきしだった。日常会話はともかく乱暴な警官に怒鳴るように話しかけられても、半分ほどしか聞き取れなかった。それが状況を悪くした。彼は留置所に入れられたのだ。ショックだった。すぐ出られるだろうとかそんなことは思わなかった。

目撃者がいるはずなのに、ナイフを突きつけられた方が疑われて捕まえられる国なのだとその事実ばかりが頭をめぐって悶々と夜を明かした。

パトカーで連行された時には、今日は珍しくイギリスが晴れていたからいけなかったのだと思っていた。彼がついてからずっとその国はその日まで雨だったのだ。彼は雨の日は古傷が痛むのだ。

拘留は2日間。理不尽な差別。やり返さなければ死んでいた状況で彼には前科がつきかけた。警察が到着する前に相手の方がナイフを取り出していたにも関わらずだ。相手の方が怪我の程度がひどかったので、痛めつけた方が悪いという理屈らしい。3対1であったことも考慮されなかった。ただ、助かったのは議員秘書であったので逮捕すると外交問題に発展すると議員が向こうの警察を脅してくれたからに他ならない。そうでなければ、たぶんきっと刑務所に入っていた。

彼は特に不自由のない家庭に生まれ、少しのいじめにはあったものの親方に見いだされて相撲界に入り、大学まで行かせてもらい、そこそこの成績を相撲で残し、代議士にまでしてもらった。彼の人生でなぜ不満を持つ必要があると思うかもしれない。しかし、不満はなくても不足はある。

例えば、引退した時も引き留めてくれたのは母だけだったし、周りの力士とあまり仲良くはなれなかった。議員秘書時代と違って仲間はいなかったのだ。今は知り合いが増えたが、実現できないことばかりが気にかかる。例えば、相撲を引退した時には親や親方が泣いてくれたが、議員を辞めても親と親方が死んでいたら、泣いてくれる人はいないかもしれない。彼は姉が一人いるが、その姉は体が弱く、彼に何か不都合が起こった時に助けてくれる存在ではない。早く結婚しないと猫との暮らしも先延ばしだ。親は子供が小さいうちはペットは駄目だというし、どんなに早く結婚してもペットが飼えるのは5年くらい先だ。あるいは、すでに相手が飼っていれば、親の言い分など聞かずにすむ。何かあった時、どちらかに猫を預ければ絆されてくれないだろうか。いや、いっそ預かりたいと言わせるくらいにすればいい。彼にとっては、あの白猫が親方に懐いていた晩年の姿が理想なのだ。相撲取りはあまり長生きしないと言われる。自分の人生はもう折り返し地点になったかもしれないと、代議士になったとき、彼はふと思わされたのであった。

ーデートに失敗したという話がずいぶんと長い思い出話を聞かされることになった。途中で切り上げたかったが、内容が内容だけにそういうわけにもいかなかった。

幸か不幸か、途中で帰国したので寄ってみたという長々と相談所に登録し続けているとある医療技官が訪ねてきたので、何でも屋が一人で話を聞き続ける事態は避けられた。技官は代議士と知り合いだった。しかし、どういう流れか、男3人で依頼人の家に押しかける流れになり(医療技官が猫に合いたいと言ったののは覚えている)、そこに昔語り大好き人間2号の技官の話まで聞かされることになり、明け方まで眠れなかった。

そして昼過ぎに起き出した3人は、その日が日曜であったことに安堵しつつ朝食(もう昼だったが)のお礼に猫の3匹の猫の世話と屋敷の掃除に勤しんで、夕飯までご馳走になってようやく帰宅したのであった。

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猫様とごはん
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