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フルーツフレーバーティーを贈ります ⑦


「肌活女子に贈るビタミンたっぷりティーなんてどうかしら?」

彼女はそんなことを言って、1杯のブランデー入りの紅茶を所望した。

貸庭スタッフの霧山霞の母、夕だ。
霧山酒造の副社長である彼女は嫁ぎ先で剛腕を振るい、霧山酒造の焼酎を全国に名を知らしめた。
飲料メーカー山鳥の会長、富居鷹之がフルーツフレーバーティーの事業をこの果実町に持ってきたのは、彼女の才能を見込んでのこととの噂もあるが、それは全くの見当違いだとカエルは知っていた。

会長が果実町のフルーツでお茶を作ろうと思ったのは、果実町のフルーツの味に惚れ込んだからだ。おそらくフルーツフレーバーティー事業を果実町に譲る事は、地域創生に強い関心のある会長であれば、当初から念頭にあっただろう。孫娘の香と霧山酒造の息子の結婚は渡りに船ではあった。
しかし、霞は自分の身の程をよくわきまえていた。おそらく会長は体の弱い孫娘が永住する場所として、自然の多い果実町は良いところだと気づき、また、孫娘が一生できる事業を譲ってあげたいと考えたに違いない。何より香は果実町に馴染んでいた。フルーツフレーバーティーは既にうまくいっている事業だ。
2人が別れたりしても一度携われば何らかの形で事業に参画することができるだろう。2人のどちらとも分離した事業の社長になれなかったとしても、彼らには好きな貸庭の事業がある。これは、カエルたちの思いつきによって始まった事業だった。それに会長がフルーツフレーバーティー事業以上に思い入れを深めてくれていて、山鳥の屋台骨が倒れない限りは、この事業を未来永劫残すつもりであるようだ。

「山鳥は特定の効能を謳った商品は出さないようにしているそうですよ。そんなことをしなくても、果実町のフルーツフレーバーティーは味が充分美味しくて、無駄な宣伝文句はいらないからだそうです」

カエルもフルーツフレーバーティーの商品、開発部門が果実町に移ってくることについては霞たちから詳細を聞いている。レストラン経営があるから、直接的に働いたりはしないつもりだが、アドバイザーの役割を求められている。貸庭の管理人の遥は本人が断っても、参画を求められているから気の毒だ。
遥は会長の孫娘の香だけでなく、カエルや霞や会長夫妻にまでも人生を見つめ直す良いきっかけを与えてくれている。本人にその自覚はないようだが、みんな感謝しているから彼女をもっと懐に入れておきたいと思っている。

「あら、でも、ぷるぷる美肌くらいいいんじゃないかりら?ハルちゃんから言ってくれたら通るわよ。果実町のビタミンティーと果実酒と鮎、きのこ、鶏肉、猪肉、キムチ、温泉。どう?みんな肌に良さそうでしょ?」

夕は強引なところがある。遥に頼れば、多少の無理難題も通ると言われたら、もしかしたらそうかもしれないが、そのために努力する遥の負担を考えて欲しいものだ。
カエルは夕の言葉に、眉を吊り上げた。
貸庭事業に遥を強引に巻き込んだカエルが言えた義理ではないが、多少以上流されやすい遥が他人から利用されず、負担の少ない人生を送ってくれることを願っている。

「はあ」

気のない返事をするカエルは、遥が庭作業を終えて、レストランを手伝いに来ないか気が気ではなかった。
夕は毎週のように「峠道の貸庭」のレストラン『かえる亭』に通ってくる。
このレストランの建物のデザインが好きなのだ。大抵の人がそうだと思う。カエルが尊敬する祖父の野人が孫のカエルのために一生懸命考えて作ってくれた建物なのだ。建築士で有名な造園師である野人ついては、伝記が作られてもおかしくない、なんなら文章を書くのが好きな遥か漫画家の湧水に、実際に伝記を書いてくれるようにいつか頼んでみたいと思っている。カエルは文章を考えるのが苦手だから無理だ。

夕は野人に霧山酒造の建物のデザインを設計してもらいたいと考えている。しかし、野人は絶対に引き受けないだろう。数百年も昔からある建物に手を加えることが嫌いなのだ。建物を維持するために多少の手入れは必要であるが、他人のデザインに手を加えるという事が潔癖な野人はどうしてもできない。
おそらく今はこの富居家の山で庭を作ったり、家を立てたりすることに一生懸命だから、これから霧山酒造が手がけるフルーツフレーバーティーの事業のための建物ができるしても、それに野人は関わらないだろう。この山に作るなら別である。
ただ、それには、実際にはハードルが多そうだ。夕は賛成しないだろう。
夕は多弁だった。お茶にブランデーを入れて、昼間から酒を飲んでいるからだ。
普段はさすがに昼間から酒を浴びる事はしない。「お酒も飲むけど、お茶だってたくさん飲むのよ。私もフルーツフレーバーティーの新商品開発に関わりたいと思っているのに、自分の力でやりたいからって、霞が絶対許してくれないのよ」というのが、彼女のここ数ヶ月のお決まりの愚痴だった。
確かに、夕はお茶にも造詣が深い。だが、彼女の知識に頼ると、遥の立場がなくなってしまうだろう。遥は知識のある人をないがしろにして、独力でやりたがる人間ではない。イベント事業だってだいぶ夕に力を借りている。遥に事業に関わって欲しいから、霞は夕に流されそうな遥にはあまり母に近寄って欲しくないようだ。言ってしまえば、遥は夕ととても相性が悪いのだ。しかし、2人には、そんな自覚は全くない。
霞の結婚相手が遥でなく、香で本当に良かった。霞が遥に対しても憎からず思っている事がカエルにはわかっていた。しかし、霞にとって遥は次善の策だった。霞は合理的な人間だ。その辺が母親譲りだ。
息子の結婚が近づいて、夕は本日特に感慨に耽っているようだ。

「かすみが癌になって、死んじゃうかもしれないとなった時には生きてさえいてくれたら、それでいい、もう働かなくてもいいと思っていたものだったけれど、こうして息子2人が結婚して片付いてしまうとなるとやっぱり人生で一仕事終えたっていう気持ちにはなるわね。私は家庭に向かないとずっと思ってきたけれど、やっぱり親をやってきたってことかかしら。ハルちゃんはここで良い男に囲まれても結婚願望が生まれないんでしょうにどうして都会に出ないのかしら。なんでこっちに帰ってきたのかしらって本当に思うのよ。山鳥はハルちゃんここの管理人にして籠の鳥にしていないかしら。まぁそういう私だってハルちゃんとおんなじ大学の卒業生なんだけどね。私だって、子供の頃はハルちゃんに負けず劣らず賢いって言われていたものだわ」

カエルは夕がカウンター席で平らげたバジルソースのパスタの皿を洗いながら、何の返事もしなかった。他の客もいるので、いちいち話に頷くほど暇でもない。
ただ話をしっかり聞いていた。
遥は賢い人だろうか。自分の方が資格持ちで学歴も良いので、カエルは遥が賢いかどうか考えたことがなかった。
しかし、こんな山奥の人気のない別荘の管理人になって、何の不自由もない顔をして生きていたところから見ると、彼女は生きづらい人間であることは間違いなさそうだ。
普通に生きているだけでも、苦労が絶えないような、どこか浮世離れした山の仙人のような在り方考えると、遥が子供の頃は確かにちょっと人と違って賢そうに見えたのかもしれないと思う。
生き方は賢くないが。その辺り自分よりも、遥はもっと要領が悪いと思っていた。だから、遥には色々と世話を焼いてしまう。

「私は大学では登山部に入っていたのよ。山育ちなのにさらに登山部に入るなんて、よっぽど変わり者でしょう。私は山に導かれているんだと思えば、家に帰ってきたのも納得なんだけど、結局のところ就職活動がうまくいかなかっただけなのよね。最初に勤めた会社を1年で辞めちゃったの。そういう気持ち、ハルちゃんはよくわかってくれるのよね」

夕はどうやら、遥と話したくてブランデー入りのお茶を何杯も飲んでレストランに居座っているようだ。一緒に庭作業でもすれば良いのだが、今日は仕事で疲れていて、その気力も湧かないのだろう。愚痴を聞いてもらいたいのは、本当は遥なのにカエル相手に話している。遥に話すほどに、気持ちは収まらないが、彼女は他人といて黙っていると言うことができない人間だった。

夕は学生時代は登山で爪の禿げた手を勲章にしているような人間だった。夕自身、霧山酒造に合併して今はなくなってしまった酒造会社の娘だった。
酒造会社の娘というと酒をすすめられると分かっていたから、大学2年生になってしばらく二十歳を過ぎると積極的に自ら酒を飲んで飲み会を主催した。
20歳になる前は、「酒屋の娘が未成年印象はまずい。実家の店が潰れる」というのが良い断り文句だった。

人間が女として脱却するのはいつくらいの事だろうか。結婚願望なんてまるでなかったはずなのに、一年で仕事を辞めて、実家に戻ってきたら、一年で結婚相手が決まってしまった。嫁ぎ先では、すぐに舅と姑の介護が始まって、子育てと同一進行で月並み以上に苦労が多かった。夕は六人兄弟の末っ子だった。可愛がられて育ったけれど、反面手塩にかけて大切に育てられた感じではなかった気がする。
自分なりには一生懸命やったから、義理の両親にも、自分の両親たちにも誠意は伝わったと思っている。
だが、なぜだろうか。息子が若くして癌になった時、夫から離婚を切り出されたとき、それを回避した時、時折、自分の人生を後悔するタイミングがやってきた。
息子たちが始めた貸庭の事業にも口出ししすぎてきた自覚がある。山鳥のフルーツフレーバーティーが果実町で始まった時も良い印象は抱いていなかった。あんなに山鳥を批判していた人が、理解者面して山鳥に擦り寄って事業の権利をもぎ取ったと一部で批判されていることも知っていた。
夕は悔しかったのだ。地元の人間がお金を費やしてもなかなかできなかった町おこしを外部の人間がやってきて、実現してしまったことが。夕は霧山酒造の中興の祖と言われることがまんざらではなかった。おだてに乗りやすい人間だった。しかし、町おこしの実現を夢見て町に人をいっぱい呼ぼうとしてだいぶお金を散財したのだ。それを常々夫に注意されていた。お前だけが稼いだ金じゃないと。結局、夫と不仲の原因になってまでやった事の多くが、ただのばらまきにしかならなかった。自己満足の慈善事業。
いったい、遥と自分の何が違うのだろうか。遥は理想は高そうではあるけれど、その実現のためにしゃにむに努力するような人間ではない。子供の時から知っているから、他人の子であっても、夕は遥の性格をよく把握していた。遥は容姿がぱっとしないけれど、善良で賢いし、何より穏やかだ。大病を経験した息子の嫁には、香のような高嶺の花よりは波のない人生を送るために遥が良い気がしていた。
しかし、それすら高望みだっただろうか。
遥なら霧山酒造に入ってもよくやってくれたはずだ。東京で10年も働いたんだから、きっと夕より根性がある。

「私は秘密がないのよ。隠しておけないから、こうしてすぐ誰かに話すの。愚痴を言えるのは人間の特権かしら。他の生き物も言葉を交わせたら、こうしてカフェに寄るのかしら。私なんて猫くらいに思ってくれて良いから。カエルくんやハルちゃんは猫や虫の愚痴を聞いてくれる?はあ、猫カフェにしたら良いのに、ハルちゃんは融通が利かないわねえ」

酔いが回って来て、夕の話が支離滅裂になってきた。貸庭では昨年から猫の保護をはじめた。飼い主を探して、避妊手術をすすめるというもので、香がどうしてもやりたいと譲らなかった活動だ。
地域猫にする話もあるが、今のところは冬の間にほとんどの猫に飼ってくれる人が見つかった。カエルと野人も三毛猫と縞柄の雌猫二匹を引き取り、セミとトンボと名付け貸庭によく一緒に出勤している。

今猫部屋に残っているのは、父ちゃん猫のカエル、母ちゃん猫のチョウ、その子どものハチ、アブの家族だけだ。
カエルが体格の良いリーダー気質で、皆が人間の"カエル"に似ているというものだからいつのまにか名前がカエルになった。
その流れで、手放す猫たち思い入れ過ぎないよう、その辺の虫の名前で連れてきた猫たちを呼ぶことになったが、そのうち名前のネタが切れるだろう。野良猫は世間に溢れている。これ以上増えたら花の名前でもつけるしかない。
さすがに、ムカデやカマキリやダンゴムシやは呼びにくく、猫の印象とかけ離れている。いや、かけ離れていてもゲンゴロウやタガメならカッコいいかもしれない。肉食だから。
夕の支離滅裂な話を聞き流しながら、カエルの思考もあさってに飛んでいく。

気づいたら、ランチタイムは終了し、スタッフのみどりが閉店の看板を掛けに扉を開けてチリンと呼び鈴を鳴らした音で二人は我に返った。

「あら、もう帰らなくちゃ」
「送っていきますよ」
「遠慮なくお願いしますね。どうせ今日は霞たちが泊まりに来て明日の土曜日はお決まりの映画鑑賞でしょう。帰りに霞たちも拾ってもらえば良いわね。こんな山の中にこもってあんたたちも好きね」

愛情深い母親である夕は、息子の動向をよく把握している。息子が大病したから過保護になったというが、もとから過保護なんじゃないかという気がしないでもない。

「あら、今の人たちはそれが楽しいんですよ。インドア的アクティブライフっていうんですか。まあ、仲が良くて結構じゃないですか。私もたまに湧水さんたちと混ぜてもらっていますよ」

口を挟んできたのは、閉店作業を慣れた手つきで行っているみどりだ。還暦になって退職し、果実町に移り住んで来た彼女は夕と同い年だ。

「あら。そうですか。でも、身体も動かさないとね。それに若い人の集まりにお邪魔するのはどうも」

夕は怖い顔をしてサッと席を立った。みどりは東京生まれ東京育ちだ。海外留学経験も豊富で知識人だ。彼女の洗練された様子には夕は敵愾心が湧くようだ。二人とも好奇心旺盛だから夕さえ歩み寄ってくれたら良い友人になれそうなのに道のりは遠い。

「私は図々しいですから。でも、湧水さんもハチくんも一緒で楽しいですよ。湧水さんとハチくんはお酒好きだから、差し入れしたら喜んでくれるんじゃないかしら」

一方でみどりは同い年の夕に親近感を覚えているから、ままならないものだ。貸庭事業と夕の関わりを心から歓迎しているのはみどりしかいない。遥は、まあ、他人を拒絶するのは無理だ。
ハチは新しくきた湧水の漫画の住み込みアシスタントで貸庭のSNSの運用を担当してくれる予定だ。20代で一際若く果実町にはまだまだ知り合いが少ない。彼が気兼ねしないようにみんなで映画鑑賞をして親睦を深める事になったのだ。霞の婚約者の香は今年で30歳になった。カエルがこの山に来て4年。月日の流れを感じる。

「あら、ハチくんね。新しい子でしょ。こっちに馴染んでくれるかしら。お酒が好きなら、霞に持たせるわ。あの子はほとんど飲まないから、カエルくんが酒盛りに付き合ってあげて」

世話好きの夕はハチの事を聞いた途端に酔いから覚めた顔をして、しっかりした足取りで扉に向かって歩きはじめた。うわばみなので、酔いが冷めるのが早い。

「ええ、はい」
車の鍵を受け取ってカエルは適当に相槌を打った。カエルは霞よりも酒に弱い。すぐに眠たくなる。しかし、夕にそれを説明するのは面倒だった。

気の合わない友人の母とのドライブ。
夕の機嫌は良かったけれど、送り届けて霞が家から出てくる姿を見た時にはカエルは心からほっとした。
山を下りる途中には、梅畑があった。行き過ぎた町の多くの一軒家にも梅の木がある。
2月末の今は満開だ。その風景に心を飛ばし、やり過ごした。
春はもうすぐそこだ。



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