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妖精の喫茶店 第1話「オレガノ・ケント・ビューティー」

※noteのネタに困っていまして、何か小説を連載したいのですが、思いつかず、この話も続かなそうです。

 真冬にベンチに座って新聞を読んでいた。なかなかおつなものと思っても、正月の寒さは身に堪える。30分も持たずに音を上げて、どこか暖をとれる場所はないかと歩き回ることにした。
 老いの住処に東京にマンションを買って、数か月。まだ、自由が丘の地理に不案内だ。手袋を取ってスマホを出すのは手がかじかむ。とりあえず、駅を目指して線路沿いを行けば、いい感じの店があるだろう。コンビニを行き過ぎてこじゃれた喫茶店がないかと歩を進めた。革靴の中の靴下が冷たく、頭の中では出かける前に妻に言われた言葉が繰り返されていた。
『何か気づくことない?』
『正月らしい雰囲気になっているね』
褒めたつもりだったのに、何がいけなかったのか。妻は目線で示した花瓶を何度も見ながら不満そうな顔をした。「あなたに期待した私がばかだった」と言わんばかり。一体、何に気づかなかったのか彼には分らず、気づかないまま家に帰ってもせっかくの元旦の食卓が気鬱になりそうで、答えを探して公園で新聞に目を通してつらつらと考えていた次第だ。
「いらっしゃいませ」
いつから線路をそれて一体どこをどう歩いたのか。こじゃれたというには殺風景な真っ白な外壁の外観をした店に入ると、店内もがらんとして客は一人もいなかった。それもそのはず。元旦に店を開けている個人経営の飲食店なんて、なかなかの酔狂だ。そう気づいたのは、飲み物を注文した後のことだった。
 店主のおすすめハーブのブレンドティーは香りは良かったものの、味は薬っぽかった。けれども、慣れた味だったので甘いチーズケーキをお供にすれば飲めないことはなかった。しかし、一気に飲んでしまえば、それだけ早く店を出なければならなくなってしまう。
「このあたりにハーブ苗の店があるんですか」
カウンター席にいたのをいいことに、店主に話しかけてみた。かぶっていた帽子を取ると、髪の薄い頭がすーすーした。
「さあ、どうでしょうか。自由が丘にも花屋さんはありますが、ハーブも季節ものですからね。冬は取り扱っていないんじゃないでしょうか」
「そうなんですか。ハーブは冬はないんですか。いえ、妻がハーブが好きで育てているもので、買って帰ろうかと思ったんですよ。うちのハーブは冬でも元気なもので」
ベランダの温室を思い出しながら、もしや妻が好きなハーブに何か変化があったのではないかと記憶を辿る。わからなくても、ハーブ苗の一つでも妻に買って帰りたかったが、ないものは仕方ない。それでなくとも、元旦に開いているかもわからない花屋を探して寒空の下をさまよい歩くのは嫌だった。
「室内で育てて越冬させているんですね。ハーブは飾って楽しいものもありますから」
「そうですね。見ればかわいいんですけど、私はなかなか違いが分からず。横文字の名前も覚えられないんですよ。ここのハーブティーのハーブはどこで育てられているんですか」
「自分で育ててはいませんよ。九州出身でして、九州から茶葉にしてもらって仕入れています」
「なるほど、ここでハーブを乾燥させているわけじゃないんですね。妻がそうやっているから、てっきり」
「奥さんは、私よりよほどハーブに造詣が深そうですね。私も数か月前に知人から店を引き継いだばかりで、いろいろ素人なんですよ。元旦にかえって人が来るんじゃないかと店を開けてみれば、この閑古鳥です」
若い店主は一つにくくった長い髪を揺らして困った顔で首を傾げた。カウンター席の端の会計する場所の隣にはハーブの茶葉が密封した袋で売られていた。妻は自分でハーブを乾燥させるから、茶葉より苗がよかったけれど、たまにはハーブの茶葉を買って帰ってもいいかもしれないと思うが、どれが珍しいハーブかわからない。店主もどれほどハーブに詳しいかわからない。確かに妻より、ハーブの知識がないこともありえそうだ。
「静かに温まれて、私にはうれしいですけどね。妻とまた来ますよ。この手作りのチーズケーキもおいしいです」
家に帰れば正月のごちそうが二人分待っている。チーズケーキを買って帰っても余計だろうと思いつつ、年賀状を出して手ぶらで帰るもの気が引けた。
たかが年賀状を出すのに、気に入りのベストを着て、ズボンも冬の一張羅にした。コートは数年前に娘に買ってもらった割と上等なものだ。九州在住の娘は移住先の都会に帰省はしたくないといい、今年は夫と子供と静かに家で過ごすのだそうだ。娘たちを泊まらせる部屋もないので、それで助かった。二人だけの正月なんて、新婚の時以来である。
「そうですか。実は、ハーブティーよりチーズケーキに自信があります。レモンではなく柚子を使って作ってまして。今はハーブを使ったお菓子を考え中なんです」
一人でやっている店なのか、あるいは普段も従業員を雇っていないのか、元旦に女性一人では危なかろうと老婆心を口にしそうになりながら、ものなれない店主と会話が止まるのが嫌で、小言をいうのは控えた。
「観賞用のハーブはこの店にもあるんですか」
「造花ですけどね。オレガノをそこのブーケの箱にさしてます」
「オレガノか」
おそらくあまりセンスがない感じに生けられたプレゼントボックスの100円均一で買ってきたような花束を何気なく見て、ふっと頭の中に何かがひらめいた。
「いい香りがしてたな。花も咲いてたんだ」
「え?」
「いや、こっちの話です。おすすめのハーブのティーバッグを3つほどいただけますか。会計します」
早口に言ってしまう間に、既に立ち上がっていた。灰色の単色帽子を忘れないように胸に抱え込み、店主がハーブの説明をするのを適当に聞き流して、とりあえず、3つ説明されたところで話を打ち切ってそれを買った。プレゼント用に包装すると言われてお願いしたが、その作業が妙に時間がかかるように感じられたのは、それだけ気がはやっていたからだろう。
 オレガノは妻に説明されて見分けがつくハーブのいくつかのうちの一つだ。「ハーブは食べられるからいいね」と妻に言ったら、「花オレガノは食べられない」と返事されたことがある。けれども、丸い葉っぱの感じが他のハーブと違って見分けがつきやすく、雰囲気が好みだったので「オレガノなら、食べられなくてもかわいいから飾りにいいな」と自分でも返したのだ。
 それから妻は、オレガノの花が咲くたびに教えてくれていたが、今年は引っ越しのあわただしさからか、妻からハーブの話を聞くことが少なかった。オレガノも春や秋に花を咲かせるはずだが、あの可憐なピンクの花が確かに玄関先で咲いていたようだ。目につきやすいように、玄関にオレガノの鉢を持ってきてくれたのだろう。

 オレガノは戸外で地上部が枯れても根が残れば越冬できる。室内で育てれば常緑だと妻がいつか言っていたような気がした。庭がない住まいになり、緑が減る生活をすることになると思っていたけれど、身の丈に合わせて室内でガーデニングを楽しむ方法を妻は模索しているのだろう。

 二人が好きなハーブが越冬したことを喜びたい。新年の小さな幸せの一つだ。
 年賀状を出すのは今年で終わり。住まいも変わって、知り合いも近所にいない。都会でひっそり人生の店じまい。その暮らしの中にハーブの良い香りが寄り添ってくれたら、そこそこ幸せに終われそうだ。


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