【短編小説】ただ美しいだけ
哲学する猫と鴨鍋を囲む6畳間。湯気とこたつが温かい。我が家で最も狭い部屋だ。ここが一番落ち着く。カーテンは薄緑色。レースのカーテン生地の模様はシンプルで、明るい日曜日のこんな午後には庭の景色が透けて見える。出窓に飾ったオキザリスの花。小窓のカーテンは開け放って外が見えるようにしている。建物を囲む庭の北向きの横庭だけは私のスペースで好きな花を植えているのだ。私好みの秋花の花壇が色とりどりに咲いているのを見ると気分がいい。
ふと、〆のうどんをすする時に物音が聞こえた。屋外だろうか。室内の物音である気がして私は耳を澄ませた。しばらく待っても何の音もしない。猫がこたつ布団の上で静かに伸びをすると、私もそっと息を吐いた。
夫の気配がする部屋はどうもいけない。一番隅の部屋だけれどうろちょろしたくないから、わざわざ改築して隣の部屋にトイレを作った。さらに部屋の前は台所だから、以前から玄関を使わず部屋の大きな窓から出入りしていた。さながら、素行の悪い居候のような振る舞いだが、この家はれっきとした私の家だ。私だけの家である。100坪のなかなか立派な家。敷地は300坪ある。
別れた夫の話をしよう。まだこの家に住んでいる彼だ。離婚届は出したから元夫で間違いない。早く出て行ってほしい。名前をいうのも業腹だから、便宜上は今も夫で通している。入り婿で私の苗字が変わらないのは助かった。一瞬でも彼側と同じ苗字だったとしたら、苗字を呼ばれるたびに鳥肌がたったろう。ここまでいうと辛辣だろうか。
人間の話だと考えると彼の尊厳を傷つける。猫の話ということにしとこう。今年流行った猫ミームの一種だ。猫の話だと思って聞いてほしい。私は雌猫で彼は私の番だった猫だ。
夫はとても毛並みも血統もよく何より美しい人だった。親のすすめる見合いでなければ私は一生声をかける機会さえ持てなかったに違いない。私の家族という群れの中に入るには、あまりにも毛色が違っていた。それでも、彼はこちらから断ることなど考えもつかないような完璧な人だったから、すんなりと番になることが決まった。
彼は群れでいるのが好きな変わった猫だった。一人の時間も大切にはする。けれども、番になるまでは、私と会うときは常にだれかと一緒だった。二人になるのは早朝と夜だけで、それがずっと続いていたらどれほどよかっただろう。
夫は縄張り意識の非常に強い人だった。誰のことも褒める一方、抜きん出た人を見つけるとその人に勝つまで異様に努力する。手段を選ばない。例えば縄張り争いする実際の猫のように相手にけがを負わせることも厭わないのだ。無論、心の傷の話だ。そして、家の住環境についても強い拘りを持っていた。風呂やトイレの掃除を率先してやってくれるのは助かった。月に2,3回ほど清掃業者に頼んでいたものの、それだけではやはり家は散らかってしまう。頂き物の多い我が家では、夫が常にいただいた人のリストを作っていた。それが住所録ではなく、何をもらったかまで事細かく記し、値段も予想して、お返しの品は金額がつり合うよう調べていた。たまに私がお返しを用意すると、それはこの人には相応しくないと必ず言い切られた。手作りなどもっての他で、手作りのものをもらっても相手がお返しに困るというのだ。おかげで、私は趣味で作ったものをごく狭い範囲の友達と親類にしかあげられなくなった。夫の親族は私が手芸やお菓子作りが好きなことを知らないに違いない。それはもういい。25年間、表面上の付き合いとあいさつするだけの間柄で終わったとしても所詮元夫の親族だ。猫ほどに鼻先を突き合わせて挨拶する気も今や毛頭ない。道ですれ違いたくもないからだ。
夫は弁当を好まなかった。他人の握ったおにぎりどころか、妻が握ったおにぎりも和え物も食べられない人だった。夕食は外食か夫が作っていた。成人した子供たちは、いまさら私の機嫌を取ってこようとする。「ママのごはんはまずいから」と朝ごはんのトーストと目玉焼き程度しか私のごはんを食べたことがない子供たちは、行事の弁当作りは必ず夫に頼んでいた。結婚前には料理教室に通ったこともあったのに、失った自信は二度と戻らない。離婚したときに「どうせ、あなたたちはお父さんの方が好きでしょう。この家に帰ってきたら、私のごはんを食べなきゃいけないわよ。それが嫌なら、帰ってこないことね!」と子供たちに言いつけておいた。子供たちの慌てた様子が痛快だった。子供たちが私より夫を尊敬しているのは間違いない。ただ、父といてもくつろげないことは子供たちもわかっていたのだ。
夫は連休は必ず出かけたがる人だった。子供たちが小学校に上がる頃には老後の蓄えと称し、別荘を買った。私に相談はなかった。海の見える丘の別荘だ。私は花粉症がひどくて、その山の別荘には春と秋は行けなかった。つまり、1回しか行ってない。連休はほとんど夫が子供たちと過ごした。私は一人、普段は自由に使えない台所でお菓子作りをして、夫のいないうちに庭の一画に自分好みの花壇を作ったのだ。
繰り返すが、夫は入り婿だ。その負い目もあったため、夫がこの家ですることに私は意見を差し挟めなかった。けれども、結婚と出産を機に二度改築したこの家の何もかもが私の好みではなかった。
夫は前庭をほとんどコンクリートで埋めてしまった。私は業者の人に頼んで庭は代々続いてきた形で維持したかった。あるいは、そこに本当に自分好みの花壇を一つ作るだけで良かったのだ。虫が来るからと子供の頃からあった果樹をすべて取り払われ、秋の実りを楽しめなくなった。家庭菜園をしていた場所は立派な温室になった。庭の手入れは確かに夫がしてくれたけれど、私のペトリコールの立ち上る庭で少しだけ濡れながら、庭いじりを楽しむという習慣は離婚のときまで復活しなかった。
夫は不衛生だとぬいぐるみを嫌った。貴重な調度品はすべてガラス戸棚に飾った。私に花を生けるセンスがないので、毎週仕事帰りに花束を買ってきて、玄関に飾った。その花束を私に手渡してくれたことは一度もない。仏壇に供える花は私がいつも庭から伐ってくるか、買ってきていた。その仏壇も私が生まれる前からあった線香たてを夫に捨てられてしまった。花生けだけは、いいものだから捨てないでと頼んだ。夫は許してくれたけれど、納得はしてなかったから仏壇に花を手向けようとはしないのだろう。
何より鼻もちならないのは、夫がそういう風にやたらと家の装いに気をつけるのは、人から良い夫であると褒められるのが好きだったからだ。「こんないい旦那さんと持って倖せね」と他人から言われるたびにうんざりした。うんざりするほどそのことを言われた。料理も掃除も洗濯もアイロンがけも子供の送り迎えも夫は家事全般やってくれたけれど、私に言わせたらそれは外面のためだけのものだった。私が作った朝ごはんにはほとんど手をつけず、朝はコーヒーだけ。たまに食べても「ふん、こんなもんか」と言わんばかりに鼻を鳴らした。出かけるときには子供を独占し、いかにも私と並ぶことが恥ずかしいとばかりに距離を置いた。そのくせ、夫婦の寝室は一緒で、自分用の書斎が夫にはあるのに、私には一人部屋を持たせなかった。子供たちにだって一人部屋を作ったのに、その母である私にはなぜ一人部屋がないの?作ったものを飾れずにどうして、隠すみたいにできた先から衣装ケースにしまわなければならないのか。3頭飼った猫は夫と子供たちがそれぞれ名前をつけた。一番世話をして懐かれたのは私だ。私以外は猫トイレの掃除だってろくにせずに、ハーネスだってつけてあげられず、爪切りだってできなかった。散らかった猫トイレの砂も夫や子供たちの食べこぼしも、私が毎日片づけていたのだ。床の拭き掃除もろくにしたことがない夫が掃除上手と褒められ、母の料理を馬鹿にする子供たちがよくできたお子さんだと褒められる。ばかばかしくてやってられなかった。夫が浮気でもしてくれたら、すぐに離婚してやれたのに。完璧な家庭人を演じることに酔いしれていたのか、夫は浮気の気配すらうかがわせず、同僚からの義理チョコすら私に見せた。50歳を超えても夫の容貌はなかなかのはずだ。身だしなみは気を遣っているだけあって、センスがある。美容にもその年代の男性の中では詳しい方だろう。見た目だけは今でも完璧だ。眺める分にはいい。ただ、私にとってはもはや、夫はただ美しいだけの人である。さらに、いくら美しくても私の趣味には合わないのだ。
「どうして離婚したいんだ」
夫は繰り返し私に聞いた。応じてくれなければ弁護士に頼むと言ったら、体裁を気にする小心者は離婚届にサインしてくれたけれど、いまだに家から出て行かない。私が生まれ育って、建て替えて家具を買うときも親と私で半分お金を出したんだから、こちらが出て行くのは業腹だ。
あなたの美しい顔にどうしても傷をつけてやりたいからだ。それができなければ、生きていくのが耐えられないからだと私は正直に夫に言えなかった。そこまで夫のプライドを傷つける勇気がなかった。夫は確かに私の容姿が夫に不釣り合いだと思ってはいただろう。だからといって、顔で嫁を選ばなかったのも夫の本質ではあるのだ。夫はただマジメな悪いことをしない妻がほしかった。子供もそこそこ可愛ければよかった。子育てをきっと楽しんだことだろう。私は楽しかったこともあったけれど、悔しい思いもいっぱいした。「あら、残念ね。お母さんに顔が似て」生まれた子供にその言葉をかけたのは誰だったか覚えていない。次は絶対夫に似た子供を生んでやると決意した。人間顔じゃないと思って夫の内面を信じて結婚したはずだったのに、結局私は夫の顔しか評価できなかった最低な人間だ。
離婚届を出したことで、少しだけ私は心の余裕ができた。夫は出て行かないが、猫と一緒にいたいからかもしれない。その猫たちは夫より私に懐いている。子供は夫に取られたが、飼うときに一度も相談を受けなかった猫たちが私を選んでくれたのは、なんとも皮肉なことである。
あなたと私とどちらがこの家の置物かしら?少なくとも、今はー。