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我が家の庭の風景 part.140 「閉じた花」

 特別良く、育った作物を積極的に販売するように、自分に懐いた猫から手放していく。人間と相性が良くて、私のように心を閉ざしていても積極的に心を開いてくれる猫。いわゆる良い子は他の家でもうまくやっていけると考える。

 その環境に適した植物や人が、適応力が高いと考えられて、結局は早い段階でその場所を離れることになるのだ。それが今の社会の理だ。

 特別愛でていた美しい花。私には高嶺の花だった美しい猫たち。白猫の不吉な情報も、吹き飛ばして、活力に溢れていた。その猫たちと過ごしたまぶしい日々。

"思い出は、首筋の赤い蛍のおぼつかない手触りのように、ふわりと青みを帯びた光るとも見えぬ光"

 うろ覚えの北原白秋の詩をそらんじて、寂しさを紛らわす。膝に座っている飼い猫の三毛を頭の中で、植物になぞらえて、平静を保とうとする。

 秋も深まって、最近作ったへたくそな花の寄せ植え鉢のように整えようとすればするほど、私の心はバランスが悪くなる。

 事前の計画が大事だ。後悔しないように事前にしっかり心配しておく。杞憂で良い。胸が張り裂けそうなほど、いっぱいに緊張しておけば、いざ、その場になったときには、かえって安心する。

 花を眺めて猫と戯れ、放埒の日々を過ごすわけにはいかない。人生に楽しみだけを求めるならば、他人に迷惑をかけてしまう。放埒の対義語は克己心らしい。己の心に打ち勝つ作業が必要だ。弱い心を事前に持っておこう。辛さに打ち勝ちながら生きていく。

 花を刈り取るのは悪いことばかりでは無い。もっと花の付きが良くなるようにするのだ。猫たちは、庭から私が摘み取った花ではない。野に置く花ではないと思ったから、あるべき場所に送り出したのだ。

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猫様とごはん
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