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本当に怖くない猫の話 part.14 後編

忙しい日々の生活の合間を縫って、猫と人間の結婚相談所「ハッピープラス」に来てくれる人もいる。そういうお客様にはぜひ心から協力したいものである。

この結婚相談所に通うとセレブとしての格が上がるような誤解が生じている。そのために所長と職員の何でも屋と依頼人は、メインとなっている婚活パーティーのクルーズ船やコース料理からの路線変更も話し合ったが、とりあえずは今のままで様子を見ることになった。

まだ始めて1年も経たない相談所である。まずは知名度が上がることは悪いことではない。

それに育ちの良い人たちが皆気取っていて、上昇意識が高いとは限らない。中には親しみやすい人や極端に引っ込み思案な人もいた。

この結婚相談所に設立当初から通う30代の議員秘書の男性はとても内向的な性格だった。何でも屋は最初それに気づかなかったが、ある日議員秘書にお礼を言われた。

「誰かと何か話さないとと思うと不安だったんですが、貴方が間に入ってくださるので助かります」

何でも屋は最初、何を意味して言われたのか分からなかった。実際「私、何かしましたっけ?」と口をついて出そうになった。しかし、賢明にも「とんでもないです」と言うにとどめた。

依頼人によると、明らかに何でも屋は男女複数人参加の婚活パーティーでは議員秘書のそばにいることが多いらしい。女性に対するアドバイスなどわからないし、ただ黙り込んでいる人の側にいる方が何でも屋としても居心地がよかったのかもしれない。会話に詰まった時に手助けすると言う大義名分ができる。その議員秘書は女性とはほぼ誰とも挨拶以上に話したことがないけれども。

参加はこまめにしてくれるが、正直彼がこんなに長く続けてくれるとは誰も思っていなかった。それだけに、所長をはじめ3人は議員秘書はぜひカップル成立させてほしいと思っていた。

その日の夕方からは、猫好きな作家による朗読会が企画されていた。特に猫の小説を出版しているわけではないが、ブログでは愛猫の紹介をしているらしい。

読書好きが集まった猫と人間の結婚相談所「ハッピープラス」であったが、会員であったその作家(職業欄は文筆業だった)の本を知っている者はいなかった。その議員秘書がその作家のブログを読んでいて顔まで知っていたので、判明したことだった。

「さ、さ、さ、さ、サインをお願いしたいのですが・・・」

震える声で議員秘書が何度も何かを言いかけているのを見た時は、その女性が好みだったのかと相談所のスタッフは期待して色めきたったが、純粋にファンだっただけだった。

朗読会も議員秘書の提案だ。事前に相談所から希望者に本を配って、作家の前に置く大きなアクリル板も購入して、準備万端にこの日を迎えることになったのだ。しかし、始まってしばらくしても彼の姿はなかった。仕事が入ってしまったのだろう。連休中にご苦労なことだ。

室内は、ハロウィン仕様でLEDのジャックオーランタンをいくつも吊り下げて作家の周囲だけ本が読めるだけ照らした。同じくLEDの人工的なキャンドルをいたるところに飾っている。

アロマキャンドルにしなかったのは、この相談所が猫と人間の集まる場所であるからだ。愛猫を連れてきた人には猫の仮装も用意した。オレンジ色の猫用のマフラーや魔女の帽子、お腹に小さな竹ぼうきをつけられるハーネス。お化けになれるフード付きの猫用の白い服。嫌がる猫には無理に着せないという約束で、そういう人には相談所の方で有料の合成写真アプリでハロウィン仕様の猫と飼い主と作家の写真を後日送ることになっていた。

ただ、だだっ広いだけの猫室には人間たちだけに白いスポットがあたり、足元では扮装ふんそうした猫たちが思い思いに寝そべっている。寝ている猫にハロウィン仕様のブランケットをかければ、嫌がっていたはずの猫も気持ちよさげにプチ仮装を気に入ってくれる。猫を着飾りたい相談所側のいじらしい努力である。そこまですべきかどうか、何でも屋はわかるようないい年してくすぐったいような。

「まあ元気な甘えん坊ですねえ~」

時折誰かの猫が飼い主を呼んで鳴いたら、和やかな様子で朗読が中断する。可愛いですねと言いながら、飼い主の膝にやってきた猫を愛でるのだ。公共の場所で泣いている赤子でもここまで周囲から優しくされることはないだろう。

飾りつけに奔走したアルバイトの女性が朗読中嬉々として趣味であるという一眼レフのカメラで写真を撮っていた。

「お、お、お、遅れましたー!」

ゆっくりとした朗読が終わった頃に、やっと議員秘書が現れた。

「待ってましたよ!さあさあ、今日の会の立役者が準備しなくっちゃ」

所長がオーバーアクションで出迎えて、みなの注目が彼に集まる。上がり症の彼の頬がさっと朱に染まった。

何でも屋は所長に促され、議員秘書を試着室に案内して、着替えの仮装を渡した。相談所ではファッションのアドバイスもするので、二つの試着室が完備されている。何でも屋も貴重な男性従業員ということで何度か研修を受けさせられた。受けてみたらいろいろ物珍しい発見もあり楽しかったが、いざ、実践するのは気恥ずかしい。他人事だったら、聞きかじりね知識で自分が出来ないような服装を促すのだから、自分の性根が何でも屋は恐ろしかった。

女性は魔女の帽子と黒いスカート、男性は黒いローブ程度の簡単な仮装の中、議員秘書がドラキュラの仮装をさせられるのが気の毒ではあったが、いつも青白い顔の彼には違和感なく似合っていた。

よほど急いで来たのか、着いた時背中やわきのスーツの汗じみが酷かった。着替えを促したのは、女性の隣で彼が体臭を気にしないですむようにという配慮だろう。流石に所長は抜け目ない。

着替えた彼には、すぐに壁際に並べられた椅子の一番端の席に座らせ、作家との記念撮影の順番が来るまで待ってもらうことになった。

「どうぞ」

すかさず飲み物を渡したのは、アルバイトスタッフの女性だ。うちのスタッフは誰も気が利いていると何でも屋は感心したが、その女性が議員秘書が飲み物を飲み終わるのを待っているのか立ち去る気配を見せないので、二人いても邪魔かと思い移動した。

食事はコルカノンというジャガイモ料理にパンプキングラタンそれにワインと言うシンプルな腹持ちの良い構成になっていた。それに加えて”メイン”のバーンブラック。ハロウィンらしいケルト民族が起源と言うアイルランドの伝統菓子の焼き菓子だ。とは言ってもほとんどドライフルーツ入りのパンのような食べ応えのあるものだが、食事の最後に出されるのには訳がある。ハロウィンというのは、元々占いや予言が行われていた。このバーンブラックの中にも運命を占う様々なものがいれてある。

ハロウィン仕様の朗読会を思いついたのは依頼人で、それほど詳しくもないというので大体有名どころを入れてある。

〇指輪(結婚)
〇硬貨(金回りが良くなる)
〇布切れ(貧困)
〇ボタン(独身男性が結婚できない、または戦争関連で問題が出て来る)
×エンドウ豆または指貫(独身女性が結婚できない)
×木の破片(結婚生活によからぬことが起きる)

なるべく伝統に忠実にやろうという方針だったが、エンドウ豆と木の破片は婚活パーティーに相応しくないだろうという理由で直前に却下にした。ボタンは結婚できないという意味だけではないし、良い子と悪いこと二つずつ入れた方がバランスが良いだろうということで残しておいた。平和な日本であまり戦争の問題と言うのも実感がなかった。

しかし、ボタンをひいた男性の顔が見る間に不機嫌になった。食事の後には、記念の写真立てと事務スタッフがいそぎプリントアウトした写真シールを渡してお開きにする予定であった、それももらわずに帰りそうなほど顔を真っ赤にしていた。まあ、顔が真っ赤だったのは、ワインで酔ったせいもあったかもしれないが。

事態を納めたのは、それまで参加者の誰とも口を利いていなかった議員秘書だった。

「ちょ、ちょ、ちょっと、すみません!僕は職業柄、貧困というのはお引き受けできないですね。ボタンと替えてもらえませんか」

アクリル板で遮られているのを気にしすぎたのか、隣の男性に話しかけるにはよほど大きすぎる声だった。不機嫌だった男性はあっけにとられた風で、おそるおそる先ほど当てたボタンをポケット取り出した。

「でも、これは結婚できない上に、戦争が起きてしまうから最悪ですよ」

「お互いにふさわしい課題を解決しましょう。あなたは商人あきんどなら貧困を減らせるかもしれない。戦争問題が起こるというなら、それを解決するのが政治の仕事でしょう。いえ、私は秘書だから、解決するのは先生で他力本願なんですけどね」

「僕が貧困問題の解決に寄与するなんて壮大な話ですね」

不機嫌だった男性は苦笑して手元のボタンを指先で弄んだ。

「それに私は結婚できなくても、しょうがないんですよ。そもそもここには猫を紹介してもらえると思ってきたんです。知り合いの先生が君猫が好きだったらどうだって言うんで、結婚相談所という名前を聞いても猫と人間の愛称を見るもんだって思い込んでいたんですね。それでも、こうしてみなさんの話を聞くのが楽しくてずるずると通っているんですけど」

語気を強めた勢いを恥じるように議員秘書が頭を|掻《か)くと、周囲にクスクスと笑いが起こった。恥ずかしそうにする議員秘書に折れたように不機嫌だった男がグラスを掲げた。降参だと示したかったのだろう。

「では、それぞれ紙にお包みします。お二人の宿願が叶えば、すべて平和に解決しますから」

宿願とは言いすぎだったかもしれないが、何でも屋がボタンと布切れを引き取って紙に包んで渡すときには、男二人で話が盛り上がり、気まずい空気はなくなっていた。「貧困」も政治が解決する仕事では?なんて無粋なことを言う人はいなかった。

ドラキュラの仮装のままタクシーに乗るのは恥ずかしいというので、議員秘書を再び試着室に案内した。

「すみません。新品のシャツを買ってきてもらって。本当に代金をお支払いしなくて、良いんですか?」

「いえいえ、こちらの配慮が行き届かなかったところを、おさめていただけてありがたかったです」

「そうですか」

そこで金を払うの払わないのと押し問答しないところが、彼も手馴れている。議員秘書が試着室に入ると、すぐに着替えの音が聞こえてきた。

「猫を飼いたいということなら、保護施設になりますけど、紹介しましょうか」

カーテン越しに何でも屋が声をかけると、議員秘書はあーとかうーとか悩まし気なうめき声をあげ、その後黙り込み、着替えを抱えて試着室から出てきた。

「・・・猫は、本当に飼いたいんですけど、忙しいと留守番ばかりになってやっぱり可哀そうでしょう。まあ、他に面倒をみてくれる人がいれば違うんでしょうけど」

猫と伴侶と両方いっぺんに来てくれないかなと夢想するときが、独身には一度はあるものだ。何なら、ペットのほかに庭付き一戸建てと宝くじ5億円の夢もくっついてきがちである。

「そういえば、再来週末は総選挙ですね。ハロウィンと総選挙と、夜の喧騒が終わったら、一息つけて猫のことも考えられるんじゃないですかね」

私も独り身だから、何かあれば猫を預かりますよ、という言葉を何でも屋はすんでのところで飲み込んだ。いい加減な約束はするべきではない。仮にも結婚相談所なのだから、スタッフが自ら独身を名乗ることもよくないだろう。実は、所長以外独身の結婚相談所なんて客は誰も知りたくないに違いない。

「そうですね、猫に鈴をつけることばかり想像してもその鈴をつける猫がいないんじゃ話になりませんもんね」

そう言って議員秘書が常にない笑顔を見せると、足元についてきていた三毛猫がここが営業の見せ所と思ったのか、議員秘書の足にすり寄ってきたので、そのまま何でも屋が彼の腕の中に乗せてやると、セミ猫は満足そうにごろごろと咽喉を鳴らし、さらにくっついてきていた黒猫がうらやまし気に足元でニャーニャー鳴いた。

はじめてこの場所で猫を抱いた議員秘書は、何でも屋たち職員が片づけを終えてセミ猫が腕から降りるまで小一時間ほど抱いて、職員たちと雑談ですっかり打ち解けて帰りがたそうにしながら去っていった。

「猫の紹介所と思っていたなんて、来てびっくりしたでしょうね。説明を受ける時に戸惑ってらっしゃる感じがしたけど、あれは緊張してたんじゃなくて面食らってたのかしら」

2日休みを挟んで、ハロウィン朗読会の反省をしながら、話題は議員秘書のことが中心となった。それもそのはず、彼にはあの日参加した4人の女性全員からマッチングの申し込みがなされていたのだ。

はじめて彼が相談所に来た時のことは覚えている。ずっと、扉の外に誰か立っていると思って何でも屋が見に行ったところ、転がるように相談所の中に入ってきて、「ここは紹介所でしょうか?」と聞いてきたのだ。大汗を書いて真っ赤な顔をしていたから、結婚相談所に来るのは初めてなのだろうと何でも屋も同情したのだが、まさか猫の相談所であれほど悩んでいたとは気の毒なような笑ってしまうような・・・。所長の話を聞いていた時は、自分の勘違いに顔面蒼白だったろうと思うが、彼が何も言い出せずに入会したのは、彼自身のせいであって所長の落ち度ではない。それにずっと顔を見せていなかったという彼も、なぜか退会の規定を改めてから、顔を見せるようになったのだ。

それに早速申し込みの旨を伝えると、彼は誰かと一度デートしてみるのもやぶかさでないという。ただ、仕事が忙しく、メールのやり取りをする暇もないということで、月をまたいでのデートの日取りもデートコースも相談所に一任されることになった。

いろいろな人とデートするというのはなかなか大変なものである。最初に会った人に決めてしまう人も中にはいる。朗読会に参加した人は皆彼と趣味もあいそうだ。とはいえ、某最高学府出の元大臣の息子で病歴なしの健康体でスポーツではインカレで優勝した経験を持つという有料物件だから、経歴からすればこれまでも申し込みが殺到してもおかしくなかったのだ。しかし、彼が実際に会ってからというし、実際婚活パーティーでは参加しても全く話さないので、近寄りがたい雰囲気を感じて女性も周りもみな気後れしていただけなのである。

相談所としても結婚は本人次第とは言いながら、彼の見合いに関しては非情なプレッシャーを感じていた。何せ、依頼人の父親には「やっと息子が婚活に乗り気になってくれた」と夏には豪華お中元が届き、それをそっくりそのまま渡されたと依頼人が嘆いていたくらいである。もちろん、それらの食べ物の多くを何でも屋もご相伴に預かった。

「ねえ、練習用に秘書さんと私にデートさせてくれませんか」

いつの間に出社してきていたのか、客との相談室兼会議室にひょっこりとアルバイトの女性が顔を出し、そんなことを言ったので、考え込んでいた3人は呆然としてしまった。

「・・・まさか、スタッフとお客さんのお見合いなんてさせられませんよ。ましてや、練習なんて理由をつけて。どうしてもというなら、入会をどうぞ」

いち早く正気に戻った所長が、しかめつらしく注意した。

「えー、それって社員割とかないですよねー?」

「ございません!」

食い下がる女性に所長はすっぱりと引導を渡す。

それで、実は何でも屋の方も内心がっかりしていた。そもそもこの相談所を始めたのは、依頼人の父親に頼まれて娘の見合い候補となりうる男性を見極めるためだった。職員が客に近づくのを所長が許さないとなると、もし彼女と合いそうな男を見つけた場合、男性に退所してもらって何でも屋がセッティングして会ってもらうしかなさそうだ。何とも面倒なことである。当てが外れたどころでない、虚しさに襲われていた。なんだったら、そのデートの練習役は依頼人に任せてもらいたいところだが、そんなことを言い出せるような雰囲気が所長にはなかった。

無難なところで、やはりファンだという作家との見合いが一番優先で良いのではないかと思ったが、メールのやり取りは事前の申し出に反して頻繁に交流があったものの、お互いのスケジュールの都合で、なかなか段取りをつけられず、その前に別の女性とデートをすることになった。

その前に服装を相談したいというので、なぜか何でも屋が一緒に買い物に出かけることになった。アドバイスできる気がしなかったので、前日に事前に店に問い合わせた。予算でおすすめのものを慣れた店員にコーディネートしてくれと頼んでいたので、当日は「似合いますねー」と言っておけば良いので楽だった。

喫茶店でデートプランについても、意外にも用意周到に彼が考えてきていたので、何でも屋は相槌を打って聞くだけで、こちらが考えてきたのもは特に話もしなかった。

「やはり、結婚した方が親も安心するんでしょうね」

「さあ、でも安心させたいという気持ちがうれしいかもしれませんよ」

結婚願望などまるでない何でも屋には、親の気持ちなど知ったことではない。ただ、そうだったら良いと言う自分の願望を述べただけだ。

「うれしいか。そうですね。私も30歳まで銀行に勤めまして、いきなり議員秘書なんてやらされることになったんですよ。しかも父は癌で倒れて、まあ助かりましたけど、政界復帰の希望もなく、私に一人でやれと投げ出して。せっかく仕事が面白くなってきたところで、30歳からカバン持ち。最近つくづく嫌になっていたんですけど、世間が喜ばなくても親一人喜ばせていると思えば救われますかね。秘書になったところで、必ず議員になれるわけでもなし、有権者がお呼びでないというならこっそり去るだけだ」

議員秘書はそう自分で勝手に結論付けてカラカラと笑った。彼の父は農水大臣。総理でなかったとしても、何でも屋には雲の上のお方だが、その息子には案外親しみをかんじるものである。もちろん、彼が極端に腰が低いということもあるだろうが。

あがり症なところはあるものの、彼の見合いについては、特に心配することはないのではないかとその日は安心して別れたのだった。

ところが、なぜかそれから何でも屋は彼と数人の男性の担当になった。相談所も忙しくなってきたからいつかはそうなるかもしれないと予感していたが、まさか1年以内にそうなるとは思ってもいなかった。

さらに手がかかるのが議員秘書だとは思いもしなかった。

とりあえず、彼はデートの前も後も落ち込むのである。メールの連絡も多い。かといって、婚活パーティーにはもう顔も出さない。

せっかく念願の作家とのデートの時には、他の3人に失礼ではないかと前日に気弱なメールが届いていた。そんなこと言われても、知ったことじゃない。

―やっぱり、私には年上の人の方が合うんでしょうか?

―落ち着いた知的な方の方が、話が合うんじゃないですか?

―やっぱりそうですよね。

なにがやっぱりなのか、何でも屋はわからなかった。相談されてもわからないことを無難に返事しただけのつもりだ。そもそもその日はアルバイトの女性が10日ほど前に突然辞めて、多忙を極めていた。彼と夜にメールすることも時間外で億劫で、メールを開いたことを後悔していた。

デートの前日に相談所の人間に連絡してくるところから嫌な予感もしたのだ。

デートの数日後、議員秘書が昼休憩のタイミングで相談所に訪ねてきて、近くの定食屋に何でも屋を呼び出した。定食屋と言っても、個室である。一体、何事だろうと何でも屋は身構えた。

「スタッフの髪の長い女性がいますよね。長い髪の」

「長い髪ですか?」

「ほら、いつも後ろに一つにまとめている茶髪の20代くらいの女性ですよ」

「ああ」

彼に詳しく説明されて、何でも屋はやっと誰か思い当たった。

「実は彼女他の結婚相談所と掛け持ちしているんですよ」

「ええ?」

何でも屋は驚いて反応が少し遅れてしまった。週3以上で来てもらっていたので、他のところで同じようなアルバイトをしていると言われてもすぐには脳が納得しなかったのだ。

「アルバイトの方なんだろうし、言うのもどうかと思っていたのですが、ちょっと看過できないかなと、結局そこのお客さんとくっついちゃったみたいで」

「ええ?!」

にわかにどう反応していいか困る話である。結婚相談所というのは入会に金がかかるので、働きながらただ乗りと言えば聞こえが悪いが金持ちと結婚してやるのだと周りに吹聴して回っていたらしい。それが発覚したのは、彼女が夜に働いているホステス業で周囲にそのことを漏らしていたからというのだ。

「僕もどうも彼女に見覚えがあるという気がしていたんですよ」

「じゃあ、そこで仕事を掛け持ちしていることに気づいて?」

議員秘書という仕事柄夜の店に付き合いで行くこともあるのだそうだが、このご時世でここ2年はすっかり無沙汰になっていたので、ずっと思い出さなかったらしい。けれども、彼女の相談所の掛け持ちに気づいたのは、何でも屋がちょっと想像してしまったように、彼も結婚相談所を掛け持ちしていたからではなかった。

「いえ、じつは、そうだ、、、ええと、これを先に言っておきますね。お陰様で、結婚することになりましたよ」

「ええ!!?」

驚きすぎて何でも屋は飲んでいたコーヒーをうっかり手からこぼしてしまった。紙コップだったので、器が割れなかったのが幸いだ。

「それは、誰とですか?」

「ああ、そうか。先生とですよ、もちろん。酒好き、映画好き、読書好き、何より政治討論ができる。意気投合しまして、先生の方からプロポーズしていただきました!」

客の多い喫茶店で一目憚ることもなく、彼はそう堂々と惚気のろけて見せた。説明が端折られているが、先生というのはあの有名ブロガーの作家に違いない。しかし、彼女は彼より年下である。前日まで、自分には年上が合うと言っておきながら、もちろん作家と結婚するというのはないだろう。それにしても、1回目のデートで結婚とは、結婚相談所としては喜ばしいことだろうが、喜ぶべきだろうが・・・何でも屋の本業のまだ一度も成功しない猫の見合いと比べて、ずいぶんな早業である。

「おめでとうございます」

すぐには言葉が思い浮かばず、ずいぶん間が空いての祝福になった。しかし、幸せな男はそんな些細なことには違和感を覚えなかったようである。

「いえいえ、お陰様ですよ」

彼はあくまでも上機嫌である。そもそも他の人間と忙しい合間に見合いなどさせず、最初から作家とのデートにのみ万全に備えさせておけばよかったのだ。お互いに翌日仕事で忙しかったので、デート返りに花を買って渡して何とか恰好がつきました!なんて惚気を小一時間ほど聞かされて、休憩延長の連絡まで彼の目の前で所長に電話したが、彼の話はそれでも小半時ほど続いて、やっと本題になった。

「それで、彼女はですね。本当は流行りの婚活レポートを書きたかったので、取材に入会しただけだったんですよ。けれども、入会時にこちらに断られて、別の結婚相談所に登録したものの、こちらに未練が残って続けていたんだそうです。そこで、アルバイトを掛け持ちしているスタッフがいることに気づいたんですね。ただ、客とくっついちゃって、あちらはもう追い出されちゃったみたいですけど」

別段、アルバイトの掛け持ちが悪いということはない。同業だと倫理的にどうだと言う人やどちらかのスパイ、この場合はハッピープラスにスパイに来たと考えるのが妥当だろうが、そうであったとして彼女の働きぶりに問題があったわけでも、彼女の行為でこちらが不利益を被ったということもない。しかし、相談所に入るのは入会費が高いからスタッフとして働いて玉の輿に乗ろうというのは、何でも屋も、男として、いや、人間として何となく受け入れがたいものがある。

「うちの方10日ほど前に辞めちゃいましたよ」

会社のことではあるが、客とはいえ、彼ももう退会だし、彼女のことで心配をかけてもいけないから言ってもいいだろう。

「そうですか。じつは、彼女私にも電話番号でショートメールを送ってきていたんですよ。婚活の連絡にしてはおかしいし、多分無断でやっているんだろうからと様子を見ていたんですけどね」

なるほど、彼女の玉の輿に乗りたい執念はそこまであったのか。

「それはご迷惑をおかけしましたね」

「いえいえ、お陰様で良いご縁をいただけましたので」

彼は初対面の頃のうろたえぶりはどこに行ったかという泰然とした態度で落ち着き払ってコーヒーをすすった。それも様になっていて、これまで感じなかった良家の子息らしさを感じた。デートのスーツに全身1万円で靴まで揃えられないかと言われた時には、彼の育ちを疑ったところだった。思えば、20代や30代の平均年収がどのくらいで、どのくらいのものを身に着けるのか無難か調べて説明したところから、彼は興味深く庶民の生活を聞き入っていたのだろう。銀行で働いていた時には、なるべくなんでも早く安くすませていたというのも彼に常識を教えるものがいなかったから、安いほどいいと思い込んでいたのかもしれない。行き過ぎた庶民感覚を見直してくれれば、彼も将来良い政治家になるかもしれないと何でも屋はいち庶民として、勝手な展望を抱いた。

「私たちも良いご縁に巡り会えましたし、やはりこちらでの婚活を彼女が本にしたいと言っているのですが、ダメでしょうか」

そういう肝心な話を最後に持ってくるのも、悪くない手だと感じられた。作家の方は婚活の取材のはずが、ミイラ取りがミイラになってしまったとはいえ、本分は忘れがたかったよいだ。

「わたしが言ったところで所長の気持ちが変わるかわかりませんが」

何でも屋はそう言ったが、その場でそのことを所長に電話してすぐ、彼らの結婚話は相談所の名前を伏せてなら書いても良いとokが出た。結果、相談所が特定されても悪いことにはならないだろう。代わりに成婚組のよしみで、今年のクリスマスにも朗読会のイベントに作家の彼女が来てくれるという約束を取り付けた。

その日はいろいろな世間話にまで発展して、彼とは夕方まで話し込んでしまった。夕方相談所に戻ってから、いろいろ溜まっていた仕事を片付けなければならなかったが、徒労には感じなかった。

その後、世の中の情勢不安を理由に(多分二人とも多忙だったせいもあるだろう)、彼らは結婚式をあげなかった。時折、議員秘書から成婚組にもイベントを開いてくれと連絡が届く。まだまだ相談所にその余裕はないと断っていたが、1周年は無理でも創業2周年の記念には何かできそうだと所長も話していた。

アルバイトの女性がその後どうなったか議員秘書から妻から聞いて教えてくれようとしたこともあったが、興味のなかった何でも屋は関係ないと聞かずにおいた。

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猫様とごはん
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