何に使うか決めないまま薬草を摘んでしまう。
社会人になりたての頃、弟に言われたことがある。
「何をするかじゃなくて、どうするかが大事だよ」
失礼ながら偶にはいいこと言うじゃないかと、とても感動したのを覚えている。
世はYouTubeやSNS時代。流行は決まっていても、それぞれ表現方法が違うので、同じことをみんながやっていても、あの人の動画もこの人のブログも面白く見られて、読めるようになった。
同じことでも、それぞれ表現方法が違って個性がある。どう生きるかということは、何をするかで決まるのではなく、どう信念を守っていくかということなのだろう。
誰もやってないことを常に発明することは難しい。誰も知らない発見なんてものは一生に一度できるか出来ないかだろう。
しかしながら、みんながやっていることを素直に自分もやってみようと思えないことがしばしばある。
たとえば、食材の料理の方法だ。今は材料3つで出来るとか、簡単なレシピからプロ直伝の技までネットで事細かく調べられるのであるから、流行のものから滅多にない調理法まで選り取り見取りだ。
それでも、選べないことが多々ある。
それどころか、自分が好んで買ってきた食材も摘んできた野草やハーブも使い道にまようのだ。
使い方がいろいろあるから、どれを選ぶか迷うのだろうか。そういう問題でもない気がする。
「これを作ろう!」
と決めていても、気が変わって放置してしまう。
日持ちするものならいいが、野草やハーブはその日に使わなければ枯らすだけだ。使いたい時に庭から摘んでくればいいものの、摘むときは楽しかったのに、そのまま放置してしまう。
私は、子どもか。
そのうち野草をポケットに入れたまま服を洗濯でもしそうだ。
しかし、子どもの頃から自然のものをポケットに入れたことはない。
文房具とか小銭だけ。
そんなことはともかく、調理法だ。
ハハコグサ(オギョウ)、ユキノシタ、ドクダミの葉を摘んできた。
ハハコグサとユキノシタは細かな毛が生えているので、そのままでは食べられない。ドクダミはお茶と温浴にしか使ったことがないが、そろそろ別のことにも使ってみたいと思っている。
ハハコグサは喉の炎症に効くらしい。常に口内炎があるので食べてみたいが、1回食べただけで効果があるのだろうか。春の七草のひとつなので、お粥にすればいいことはわかっているが、毛が気になる。
とりあえず野草といえば天ぷらが推奨されるが、そもそも油が胃腸の負担だ。
ーお茶かなあ、やっぱり。お茶ばっかりになってしまう。
油を使うと毛が気にならなくなるから、パスタにでもしようか。
今、チンキと薬用酒を造っている。ホワイトリカーにハーブを入れるだけなのだが、これが飾っていると綺麗だ。瓶で密閉しているから、お酒臭くもない気がする。
しかし、胃腸の弱い私はお酒が飲めないのだ。味見くらいはするけれど、コップ一杯の飲酒もここ10年したことがない。
料理に使うか、除虫剤にするか、掃除に使ってもいいのかもしれない。
芳香剤はラベンダーやカモマイルを植えているので間に合っている。
どうしようか。なぜ草を摘んでしまったのだろう。
枯らして庭の肥やしにするしかないか。