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雑草に変わる花 【東と西の薬草園】~番外編~

月を割って食べたいというほど飢えていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
山脈遥が就職のために東京に来たのは1年前。
生まれて初めて飛行機に乗って、3年は絶対飛行機には乗らないと決めた。
実家に帰ると里心がつく。
本当は地元で就職をしたかったが雇ってくれるところがなかったのだから仕方がない。
大学卒業する時に就職先が決まっていないのは焦ったが、伯父の家を現住所にしてネット面接を受けたら、あっさり映像制作会社の契約社員に決まったのには驚いた。そこがテレビ番組の制作会社で自分が派遣社員のテレビ局ADとして働くことになったのにはさらに驚いたが。
制作会社の本社とテレビ局を往復し、週6日勤務。祝日なしの平均1日12時間勤務。想像以上のブラックぶりだった。

(働き方改革はどこに行った・・・)

お腹が痛いというのに、病院に行くための平日の休みを認めてもらえず、緊張の糸がぷつりと切れた。

「じゃあ、辞めます」
と言って、翌日から出社をしなくなった。それが2か月前。
失業手当の給付にはまだ1か月あるが、預金通帳は既に空っぽ。
財布には1万円札が1枚しか入っていない。
小銭はいくらあるか数えるまでもない。
食事はできるけど、家賃電気高熱費の引き落としのお金がない。
定期があるからマイナスになるだけで済むが、医者にかかってやっと治った胃の痛みが再発しそうだ。
いや、医者曰く、胃じゃなくて腸の痛みで治らないらしいけど。

20台前半で持病持ち。職なし。お先真っ暗で、コンビニを出る足取りが重いが家にはすぐついた。
安心できない我が家。いつでも泥棒が入ってこれそうな墨田区のボロアパートで若い女性の一人暮らし。もう限界だ。怖い。

恐怖心を払拭するには、あれしかない。
遥は帰宅するや否や、一本満足のお菓子の袋を開けて椅子が軋むほど荒く回転椅子にどしっと重い尻を乗せた。

パソコンのシューンという起動音が隣室2つに居住者のいないアパートの部屋に響く。5階建て。四畳半風呂トイレあり。隣人、エレベーターなしの3階。優良物件だ。

家に帰れば快適な世界。
四畳半でも居心地がいいが、現実とはちょっと違う理屈で動くもっと快適な世界がある。
それが、メタバースだ。

ネット上の世界。

「ただいまー」
『おかえりなさい、ヌシ』
企業が提供するプラットホームの中に遥は自分だけの世界をつくった。
自分にとって居心地のいい部屋。部屋主だからヌシと呼ばれている。
一斉に出迎えてくれたアバターは現実とは違う姿をしてもらっている。
部屋の中ではフルーツで。
なぜなならここはフルーツと花の街だから。

「ねえ、聞いてよ、ヌシ。私のフルーツかじられちゃったんだけど」

「花あて外れたの?じゃあ、私が花あてするね」

かじられちゃったと遥、この空間では部屋主のヌシに訴えてきたのは、メロンだ。かじられちゃったというのは、アバターの頭にアンパンマン現象が起きたわけではなく、この部屋の街が削れてしまったということだ。

「はい。じゃあ、レモン!」

「うわあ。やめてえ。私も建てたいものがあるの~」

泣きまねするレモンが光って、カードが頭上に光った青い花だ。
削られた街が大した区画ではなくて遥はほっとした。

「なんだ。青か。大したことないじゃん。騒ぐから赤かと思った」

「大したことないってひどい!わたし、そこでお花屋さんやってたのに~」

ブドウの言葉にメロンが頭から湯気を立たせて怒る。仮想空間だから、もちろん比喩だ。

花あてというのは、区画を削った犯人を当てることだ。この街は遥がこの仮想空間に買った土地に作られている。とはいえ、建物は遥がすべて立てたわけではない。土地だけ買って、建物はこの街に居住申請した人が持っているカードの数だけ建てられることにしていた。
住人以外も街を訪れることはできるから、みななるべく人目に付きやすい場所をとりたがる。かといって人目につくことがいい場所とも決まっていない。立地のいい場所から、赤、黄、青の順番になっていた。
どんな建物を建てても良いが、この仮想空間ではゲームに使用できるアイテムを自分で作るほかに現実の商品もネットフリマを開いて販売できることになっていた。それ自体は、建物がなくてもできるが膨大にある店の中から信頼できる店と商品を見つけるのは至難の業だ。看板としての箱が必要であった。

「じゃあ、土地を再生するねえ。メロンとレモンのどっちが出店するかはこの場にいる人間で投票ね」

ヌシは手元に来た青いパンジーのカードで土地を再生した。土地の再生に1枚、出店に1枚の花カードが必要だ。建物自体はこの空間を管理する運営から購入するか地道にレベルをあげればシンプルな見た目のものなら手に入る。その場合、飾るアイテムも地道にレベルを上げて手に入れなければならない。

しかし、建物だけ持っていても、ヌシである遥が持つ土地の広さは有限だ。課金をして土地を広げるつもりもなかった。それでも遥の土地に居住申請が後を絶たないのは、遥が現実に古物商を営んでいるからだ。
この街に住む人は遥に発送など現実の雑務をしてもらうことができる。
もちろん、商品を現実に預けることもできる。いわゆる棚貸しだ。
お金を払って遥に仕入れから代わりにしてもらうこともできた。

土地の広さは決まっているが、ここはヌシである遥の土地だ。建物を壊すのもヌシの自由。だから、遥はその破壊と創造の自由を住人に貸し出すことにした。初めに住人には赤、黄、青のカードが与えられる。そこにはどんな建物を建ててもいいが、壊して建て直すのには新たなカードが必要だ。そのカードは他人の建物を壊すことで得られる。得られるカードの数は1回の破壊につき1枚から3枚のランダム。しかし、建物を壊すと土地も破壊されるので、ヌシに土地を再生してもらわないと建物を勝手に立てることはできなかった。このルールを設けたのは、街にふさわしい建物を住人に判断してもらうためだ。治安が悪くなっては困るが、かといってヌシである遥がそれを一人で判断しても不満が出るだろう。破壊した後に出店が決まるまで土地をぽっかり開けたままにすると街の景観が寂しくなってしまう。
住人が増えてからは、その時ログインしている人に出店できる人を投票してもらうことができるようになったから判断は楽になった。

とはいえ、今ヌシの部屋【街】の中のヌシの部屋【ルーム】に来ているのは、メロン、レモン、ブドウ、モモの5人だけだった。当事者も投票することはできるが、今回のような平和なケースは自分に投票することが明白なので、実質3人の投票で建物が決まってしまうことにはる。

「いいよ。私、青のカードは今ヌシにとられた1枚だけだったの。花屋の再建しな」

「いいの?ヌシからカード買ったら」

「いいよ。もったいないもん」

モモの提案をレモンはすぐ否定した。建設に1枚。破壊に1枚。そして、建物を破壊された人かヌシによってヌシのルームで誰が破壊した人か当てられた場合には、カードを1枚差し出さなくてはならなかった。そのため、ルームに3人以上住人がいる時しか破壊はできず、破壊した人は必ず一定時間以内にルームに来なければいけなかった。

それを花あてと言い出したのがモモだった。現実の職業をヌシの遥だけは知っていて、その職業からすればモモの聡明さは当然のことと思われた。
花カードはヌシから購入することができるが1か月に一人1枚までとルールを決めていた。そうでないと、破壊と創造が頻発して街が混とんとするからだ。これは遥が部屋をつくって1か月で起こったことで、ルールを決めた時にはずいぶんと誹謗中傷も浴びたが、それも運営に連絡して数か月で落ち着いた。当初は部屋の閉鎖も考えたほど心を病んだが、運営の担当者が丁寧に対応してくれたので、街ごと破壊せずにすんだ。その担当者には遥も心から感謝していた。

「ええ。それはそれでちょっと悪いなあ」

泣きついたメロンが遠慮すると、レモンはアバターの人差し指をチチッと左右に振った。

「じつはねえ。わたし、赤のカードを手に入れたの~」

「ええ、おめでとう!よかったねえ」

レモンが赤のカードを取り出すとクラッカーがポンポン鳴った。この仕様はなぜかといえば、赤のカードは現実にもめでたいからだ。カードはそのカードの色の場所を破壊するとその色のカードしか出てこないわけではなく、完全にランダムだ。しかし、赤のカードは赤の土地が開いているときにしか出現しない。そのため、赤の土地が欲しい人は赤のカードが出現するまで持てるカードのすべてを使って破壊を繰り返すことが多い。なぜなら、赤のカードの土地でしか、現実の商売の出店ができないからだ。この街で商売を始めたいと思う住人が来てくれるのは遥にとってもうれしいことだが、現実にネット販売がうまくいかないとここの住人でなくなる人も多い。だから、赤の土地が開くこともそれなりの頻度で起こった。出会いと別れ。
この仮の部屋でヌシである遥はそれを繰り返していた。

「ええと。じゃあ、なんで青のカードも欲しかったんだ?」

ブドウのもっともな質問にレモンが機嫌よく応じた。

「ペットのアイテムが手に入ったから、犬の散歩用に公園をつくりたかったの。それに、そうやって赤の土地以外に街づくりができれば、商売がうまくいかなくてもこの部屋でずっと遊べるじゃない。私、本当にこの街が好きなのよ」

「レモン・・・ありがとう」

「おお!ヌシが照れてるぞう」

モモが茶化すと本当にみなが笑っている声が聞こえるような気がした。現実の辛さも忘れられる。この土地にお金を費やして現実にお金の心配が出来てしまったことを後悔しないとすら遥は思えた。副業の古物商もこの部屋も儲かっているとは言い難いが、現実にはない幸せがあった。儲けるだけなら、この人気の街を利用する手はいくらでもあったが、それではこの平穏は手に入らないと遥は思っていた。

「じゃあさ、私が公園作るよ」

「ええ。いいよ。花屋を再建しなよ。ただでさえ、破壊して申し訳ないのに」

「ううん。私も、私のペットを公園で散歩したいもん。それに私の花屋は花カードをデザインするだけだし。それだって、ヌシに直接売りつければいいから、店舗なんていらないし」

「う。花カードのデザインはしばらく新調する予定はないからね」

「何?ヌシ、金欠なの?それなら、私がデザイン買おうか。カードは定期的にデザイン変えないと偽造されるよ」

「そうだな。それなら、俺だってカードのデザイン買ってもいいよ」

「いいよ。今のデザインが気に入ってるから、、、まだ、しばらくは」

「なに~?ヌシ、うれしいこと言ってくれるねえ。なら、もっと気に入るデザイン作っちゃうからね」

優しいモモとブドウに懐事情を言い当てられたが、遥は精一杯強がった。とはいえ、気に入るようなデザインをすぐに作るのはやめてもらいたいと心の底から願った。お金がなくても買いたくなってしまう。

「ヌシも、もうちょっとリアルに金銭感覚を養った方がいいよ。人気の部屋なのに、あまりにもお金をとらなすぎるのよ」

「大きなお世話。それより、赤の土地にレモンが何か店を出すんでしょ。すぐに立てるなら見に行こうよ」

モモの苦言を聞かない振りでそう提案すると、みな一も二もなく賛同した。

ところが。

「やだあ。建物とられちゃった~。これじゃあ、今日中に建てられない~」

「ええ!?」

レモンのアバターが道路が冠水するほど大泣きした。実際の店をオープンさせるためのアイテムだ。どんな豪華な建物だろうと見に来たら、それを立てる時になって、レモンがアイテムを盗まれていることに気づいた。
この仮想空間はどういう仕組みかしばしばアイテムの窃盗が起こりうる。
実際にお金を出してアイテムを買っている場合もあるのに許されるのかと思うが、ゲーム内のルールなのでOKらしい。その代わり、窃盗された人のお金はゲーム内で使用できるコインという形で戻ることになっていた。
とはいえ、現実の消費税の増税やインフレなどでコインの価格が変わることもあるので、等価とは必ずしもいかないが、それで文句を言うためには法的に訴える必要があるらしいから、基本は泣き寝入りだ。この仮想空間で唯一納得できないシステムで、もう1年利用している遥も目にするのは初めてだった。

「すっごくカスタムしたのに~」

「ええ」

「そりゃ、かわいそう」

建物を購入したコインは返ってくるが装飾したアイテムのお金は返ってこない。大抵は装飾にそう大きなお金がかかることはないが、それでもその建物のデザインを詳細に自分で覚えていない限りもう一度作るのは大変だ。同じアイテムが売られていないこともある。

「泣かないで。この土地はレモンにとっておくから」

「え。いいの?」

泣いていたはずのレモンが、ヌシの言葉にピタリと涙を止めた。現金だが、あくまでアバターだから、現実の心の機微に一挙手一投足まで連動してくれるわけではないから、本音はわからない。

「いいよ。だって、盗まれただけで、本当はすぐ建てるはずだったんだもん」

赤のカードは土地が空かないと出現しないが、以前のカードを持っている人がいる場合もある。そのため、建物を立てるまではその土地はその人のものにならないというルールにしていた。しかしながら、レモンは建てようとして盗まれたことに気づいたんだから、ヌシとしては許せる事態だ。ルールの厳格化ばかりがいいことではない。現実社会ほど世知辛くなくていい。
だって、ここは遥の部屋の中なんだから。

「ソールドアウトの立て札をしておくね」

「それじゃあ、殺風景だよ。草原くらいにしたら?」

「草原?」

「うん、そう。ほら、既定のこのアイテム」

チャットでメロンが教えてくれたアイテムを使って、遥は赤のその土地を草原にした。草原には花弁の形の判然としない花がいくつも咲いていた。

「花カードが雑草になっちゃった・・・」

「私の花カードはこんななんの花かわからない見た目はしてないけどね!でも悪くないでしょ。長く空き地になっても不自然じゃないよ。実際の街ならこういう土地はあるんだからね」

「私の花カードね。メロンはデザインしただけね。でも、まあ、確かにこれも一種の余裕ってやつかもね」

レモンが納得したが、元をただせば花カードの所有者は自分だとヌシは思った。しかし、野暮なことは言わないで置いた。
レモンの言う通り、花カードが花畑に変わるのも悪くはないと思ったから。


「次回はこういう漫画で行こうと思うのですが、どうですか」

「やめてください。果実町の要素がどこにあるんですか。なんで私が登場する必要があるんですか」

しかも職とお金のないキャラクターで。現実にそういう体験を遥がしたことがあると目の前の男が知っているはずがないが、なんとなく不愉快だった。

「フルーツが登場するじゃないですか!紅茶が登場するのは2話からですよ」

フルーツは人間のアバターじゃないか。紅茶はどうやって登場させる気か。

「私が登場しなければ・・・」

「却下。モデルはいる派の漫画家なんで。名前変えればいいですか」

ダメと言っても描くんだろう。出版できなくても、この男は描く。

遥はどう突っ込みをいれたらいいか考えあぐねて、フルーツフレーバーティーを一口すすった。今日はお気に入りの梨と栗のフレーバー。
それがとっても美味しくて、このまま現実逃避してもいいかと空を見た。

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