我が家の庭の風景 part.66
梅雨のはしりで、天気がぐずつきやすくなってきた。今年の5月の終わりは雨は多くなるようだ。
篠突くとは、篠(竹)を突き立てるように大粒の雨が激しい勢いで降るさまをいう。
まだ雨は細いが、夜雨の音は嵐のように激しくなった。
山から吹きおろす風が容赦なく窓にたたきつける。
飼い猫と私は寝付かれなくて、朝は背中が痛くなった。猫はご飯をもらったらすぐ寝入っている。
まだそれでも雨の強さが序の口だと思うのは、植物が曇天の下で生き生きとしているからだ。まだ飲んでみていないが、マロウの紫の花が毎日よく取れる。一つの株で花が10個も一日でとれることもあり、毎日摘んでは流しの横の小さな網籠に無造作に干している。三日もすると赤から青紫に変わって小さく縮れる。
気の早い父が3月に植えて霜で溶けたと思ったピーマンの苗も復活した。葉っぱがぽつぽつついてきて、斜めに地面に倒れてきたのがぐっと体をもちあげてきた。タイムなどのハーブの近くに植え替えておいたおかげか、まだカメムシもついていない。父が5月に買ってきた獅子唐は花をつけ始めているが、カメムシに気に入られてしまったので、毎日手作りのハーブ液をふりかけて叩き落している。
ピーマンとパプリカと獅子唐は四株をコンテナに植え替えた。一つにつき二つ植えており、一つはプラスチックの籠にビニルの袋をかけて作った手作りコンテナだ。雑なつくりだが、獅子唐は気に入ってくれている。
ピーマンとパプリカは安売りといっても800円した丈夫でおしゃれなコンテナに植えた。家の土と培養土と鶏糞と腐葉土と混ぜた過保護仕立てである。ところが、これが育ちが悪い。なんだか水はけが悪く臭いせいか、カメムシが来ない。しかし、1週間すると土の上に変な羽虫がうごめいて、慌てて手作りの虫よけのハーブ水をふりかけはじめた。
虫よけもピーマンとパプリカには天然成分由来の買ってきたものを使っていたのだが、私が手作りしたものの方が効きがよく、虫がほどよくいなくなり、パプリカの葉は除虫した日の夕方に太陽に向かってピシッと広げられた。
一方で、隣のピーマンは枯れそうなところからは復活したもののやはりちょっと葉が縮んでいる。霜に弱いが、雨にも弱いのか。さらに、過保護も合わないのか。
ナス科の植物は同じところに植えられないので、ピーマンはもう少し育ったら地植えに戻そうかと考えている。すると長方形の鉢にパプリカ一人になってしまうが、コンパニオンプランツとしてバジルをそばに植えてもいい。バジルはあまりに日差しが強いと葉焼けするが、過保護や過酷な土壌はどちらでも気にしない。今年は種をまいたらたくさん生えてきて、あちこち植え替えているが、4月終わりから5月はじめは日差しが強かったので、鉢から植え替えた分は大きくなっておらず、残りは鉢である程度の大きさになってから植え替えることにした。生き残ってはいるから、雨で復活することを願うしかない。その雨もあまりに強いと植物がやられてしまうこともあるが。
梅の実をちぎる時を今か今かと待っているが、その前に雨で落ちそうだ。昨年は雨で柿が青いうちにほとんど落ちてしまった。台風で枝は折れなくても、雨で実が落ちてしまう。しかし、雨が降らないなら降らないで枯れるのだ。
生き物はすべからく我儘だ。譲れない条件というのがいくつかあって、その条件が合わないと途端に弱くなってしまう。それは植物も人間も同様だ。
五月雨はまだ優しい。それでも、河川が岸ぎりぎりまで増すほどの雨量の日もあった。これから夏に入って篠突く雨となると、生き残っても実は落ちたり、園芸品種になると根腐れするものも多い。また五月雨には卯の花腐しもある。卯の花を腐らせるほどの長雨のことだ。
篠突くは、 歌舞伎下座音楽の一つでもある。大太鼓を長桴 (ながばち) で打つ鳴り物で、風に鳴る樹木の音を表し、山中の場の幕開きと幕切れなどに用いられる。
篠突くような雨が、舞台を終わらせる。激しい雨はまるで矢が幾本も突き刺さるようでもある。篠突く雨は何か世の中の情勢のひとつをたとえるようでもある。激しい雨のようなものに打たれて弱ってしまうものがある。
体調の異変は気づかぬうちに起きている。その原因が急激な気候の変化だけとは限らない。
例年の如くぐずついた天気。どんよりと体に絡みつく空気。
今年は一層、絡みつく何かが首を絞めているみたいに息苦しい。
人によっては恵の雨。しかし、篠突くほどになるとどこかに避難しなければ、あっという間に体温を奪われて心の臓まで冷たくなる。
雨宿りする場所で篠突くものから守られて、晴れの日が来ればいい。